輝きの中に潜む


「支配人って、とても聡明よね。私、初めて人に憧れたわ」

 そうカジノの端に備えられた手洗い場で手を洗いながら言った彼女は、最近カジノへやって来た客だ。名前は知らないけれど、やけに匂いのする香水と茶色に染まった髪で、あぁ新しくやって来た人かと気が付いた。
 現在の時刻は夜の七時。客足も丁度カジノへ伸び始め、混み合う時間。カジノの従業員として雇われていた私は、客の様子を見る為にカジノ内を歩き回っていた。この時間は客が増えると同時にトラブルも増えるので、数名の従業員がカジノ内を歩き回っている。私はその数名の内に指名され、指示通り巡回して居たのだが――彼女の大きな独り言が聞こえ、つい足を止めてしまったのだ。
 大きな独り言を吐いた彼女は、夢見心地な様子で水から手を引いた。手をパッパと何度か払って、用意していたハンカチで丁寧に水気を取る。持っているハンカチや服装、それから手の拭き方を見る限りどこかの令嬢なのだろう。彼女は表情を緩めたまま、くるりと身をこちらへ翻した。

「ねぇ貴方、カジノの従業員なんでしょう?」
「へ?」
「あら、違った?」
「え、あ、いえ、従業員ですが」

 突然彼女に話かけられ、私は柄にもなく慌ててしまう。けれど直ぐ従業員にあるまじき行動だと思い直し、少し開いていた足をそっと揃えた。ついで彼女の瞳を見つめ、次の言葉を待つ。しばらくして、彼女は笑みを浮かべながら言葉を放った。

「ねぇ、私支配人に会いたいの。貴方従業員なら支配人を呼び出せるでしょう」
「えっと、申し訳ございませんが支配人は多忙な方です。呼び出しは不可能かと思われます」
「そう。でも憶測で物を言わないで欲しいわ。絶対に不可能と言うわけでは無いんでしょう?なら、一度試して貰いたいんけど」
「と言われましても」

 不可能な物は不可能なので、と言いかけて口を閉ざす。この言葉だと、客の気分を損ねてしまうかも知れない。そうなると、最悪の場合カジノから立ち去られてしまう可能性がある。それだけは避けたい。故に言い方を変えようと思案している時だった。彼女は眉を顰め、明らかに不機嫌な態度を取り始めたのだ。

「優柔不断な人ね、無理なら無理だとハッキリ言えば良いのよ」
「……呼びだす内容にもよります」
「内容?」
「はい。例えば不正が発覚したから呼び出す、なら通るかと思います。お客様はどんなご要件があって支配人を呼び出したいのですか?」

 不正が発生した場合は従業員が対応したあと。支配人自らが登場し、被害者に謝罪および不正を行った者をカジノから追放する。それ以外は執務やら何やらで支配人は忙しく、従業員の私でも殆ど会えないのだ。
 もしこの客が不正を行ったか、もしくは被害に遭ったのなら支配人に会えるが、この様子では絶対に違うだろう。そう考えながらも、私は彼女の言葉を聞き漏らさないため耳を傾ける。

「私、彼に名前を呼ばれたのよ」
「はい?」

 意味が良く理解できず聞き返すと、彼女はムッとした表情でイラつきながらも「だから」と口にした。

「支配人に名前を呼ばれたのよ。まだ入店して間もないのによ?私、それに感動したの。ここの支配人は俊英な方だと直ぐに分かったわ、だからどうしてもお近付きになりたいの」

 言われて、私はまたかと目を細めた。と言うのも、ここ最近こう言う客が増えているのだ。名前を呼ばれたから近付きたい、支配人の人柄をもっとよく知りたいので会いたい、何なら「好意がある」と明言した客までいる。その人たちには何とか会うのを諦めて貰っていたが、この客はそうも行かないだろう。
 そもそも、私には名前を呼ばれたから会いたいと言う気持ちが分からない。何故そんなことで会いたくなるのだろうか。そりゃ乗客の名前を全て覚えている、と言うのは凄い事だし私には一生できない芸当だ。そこは理解できる。けれど会いたくなる気持ちばかりは理解できなかった。
 まぁどちらにせよ、この理由では支配人を呼び出すことは出来ない。彼女には悪いが、否が応でも諦めて貰うしか無いのだ。そこまで思考を巡らせ、私はそっと頭を下げた。

「申し訳ございませんが、その理由で呼び出すのは難しいかと思います」
「……思いますって、少しでも可能性があるなら呼び出しなさいよ。まぁもういいわ、貴方には頼まない。私が会いに行くわよ。それで、支配人はどこに居るのかしら」

 私を押し退けて支配人を探そうとし始める彼女の腕を、私は咄嗟に捕まえた。そんな理由でカジノ内を歩き回られては困るし、何より支配人の手を煩わせるわけには行かない。故に腕を掴んでいると、彼女は険しい顔をより険しくさせた。

「困ります、お客様」
「もう貴方に用は無いわ! 邪魔しないで! 私は支配人に会いたいだけなの! 本当、分からない人ね!」

 と、私が静止の言葉を掛けた時だった。彼女の怒りゲージが遂にピークへ達してしまったのか、彼女は鬼の形相で私の事を睨んだのである。かと思えば声を張り上げ、掴んでいた私の腕を勢い良く叩いた。腕がジンジンと痛みだし、私は掴む手を少し緩めてしまう。すると彼女は手を緩めた事に気がついた様で、するりと私の手から抜け出したのだ。
 ――不味い、見失ってしまう。そう思って、もう一度彼女を止めようと口を開いた時だ。コツコツと、どこからか聞き覚えのある靴音が響いて来たのである。

「そこで何をしている」
「支配人! すみません、少しトラブルが生じてしまいまして」

 異国人を思わせる様な髪色に、端正な顔。品のある服と、どこから取り寄せたのか分からない靴。そんな特徴的な様相をする支配人――シグマさんが、私の前に現れたのだ。
 支配人は一度辺りを見渡し、今度は従業員である私のことをジッと睨むかの様に見つめてきたのだ。

「下がっていろ」
「……はい」

 言われた通り一歩引いて、支配人に場所を譲る。すると支配人はふっと顔の緊張を解して、客である彼女の前に立ったのだ。彼女の方も先程の形相はどこへやら、顔を赤らめて支配人に笑みを浮かべていた。

「あらやだ支配人様、お会いしたかったです」
「お客様、どうなされましたか」
「えぇ、そこの従業員が支配人様に会わせないと言ったんです。私はただ支配人様に挨拶がしたかっただけなのに」

 一度彼女がこちらへ視線を移し、けれど直ぐ支配人の方へと向け直した。その様子を、私はただ黙って見ているしか出来ない。「挨拶だなんて聞いてないです」と口に出しても、支配人を困らせてしまうだけだろう。ここは支配人に任せた方が良い。そう脳で情報を処理していると、支配人が口を開いた。

「そうでしたか、お客様にご不快な思いをさせてしまい申し訳ありません」
「あらやだ良いんです。こちらこそお騒がせしてしまったみたいで。支配人様にも会えましたし、私もう行きますわ。支配人様、またお話させてくださいね」

 支配人と話せてすっかり気分が良くなった彼女は、鼻歌を歌いながらカジノの方へと消えて行った。それを確認した私は早足で支配人の方へと近寄り、そっと頭を下げる。

「支配人、お手数をお掛けしてしまってすみません」
「それは別に良い。が、客にはもう少し柔和に接しろ。次私に会いたいと言う客が現れたら、まず私に無線を繋げ。対応する」
「は、はい!」

 支配人の指示を頭の中で記憶し、返答する。すると支配人は少し息を吐いて、強ばらせていた肩の力を抜いた。けれどもその時間は長く続かない。他の従業員に「支配人!」と呼ばれ、支配人はそちらへ目を移したのだ。再度彼の肩に力が入り、顔が険しい物になる。まさに支配人の顔だ。
 そう思いながら彼の横顔を眺めていると、彼は思い出したかの様にこちらへ顔向けしたのである。

「あぁ、それと今日は八時から特別なパーティを開く。それまで#name2#は引き続き巡回をしてくれ」
「分かり、ました」

 私が返答したのを確認すると、彼は背を向け他の従業員の元へと歩き出した。私はその後ろ姿をただぼんやりと見つめる。けれど次第に心が温まり始め、私は目を見開いた。
 ――あぁ、なるほど。名前を呼ばれるだけでこう言う気持ちになるなら、彼女の「会いたい」と言う気持ちも理解出来る。そんな事を考えながら、私は小さく笑みを作り上げたのだ。


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