ひとしく甘い

「カルーアミルクだれ?」
 ざわざわと騒がしい店内に、聞きなれた明るい声が通る。
「はいはい! むぎの〜! ありがとう、がっくん」
「そっち飲み物行きました?」
 澄んだ青い目に問われた僕は、ジョッキを掲げて見せた。中身はもちろんビールだ。
「ありますよー」
 久しぶりのアルコールに馴染の顔。僕の声も自然と明るいものが出るというもの。
「じゃあ、乾杯すっか!」
「はぁ〜い」
 むぎちゃんが返事をしたものの誰も口を開かない。中途半端にジョッキとグラスを抱えたまま、みんなしてガクくんを見遣る。目配せで笑い合うのもくすぐったい。
「もぉ〜、やっぱオレか〜!?」
 こういう時の音頭は、やっぱり僕じゃなくてガクくんが適任だ。諦めて、ぐっと一際高くジョッキを掲げたガクくんが言う。
「ハピトリコラボお疲れ様でした&むぎっち成人おめでとう! カンパーイ!」
「乾杯!」
 口々に祝いの言葉を述べてから、ごくりと喉を潤す。
「おいし〜!」
 ご機嫌らしい。むぎちゃんが少し火照った顔に笑みを浮かべた。手元のミルクがとろり蕩ける。
「むぎ、初心者なんだからペース考えなよ」
「心配してくれてるの!? リリ好き〜!」
「あ〜はいはい」
 いつも通りのやりとりも、何年経ったって変わらない。それこそ、こうやってお酒を酌み交わすようになっても。
 最初にガクくん、次に僕とリリちゃん、そして今日ようやくむぎちゃんが成人した。僕らは変わらずライバーを続けていて、この四人でやるコラボは五回目を迎えたあたりから数えるのを止めている。
「むぎちゃん、お酒飲めないかと思ってた」
 美味しそうにグラスを傾ける彼女に、正直な感想。
「え〜!? それ馬鹿にしてる〜!? むぎだってお酒飲めるもん! ……ビール以外」
「ビール飲めないんじゃん! お子様だなぁ〜」
 くすくす揶揄うように、手元のジョッキを傾ける。少し泡の弾けた金色のアルコールは、それでも火照った身体を宥めるように冷たかった。
「だって苦い〜」
「わかるわかる」
 そういうリリちゃんは、初っ端からワインでかっ飛ばしている。
「むぎっち、ビール飲めないのか?」
「がっくんまで馬鹿にしてる!?」
「してないしてない!」
 でも、美味しいんだけどなぁ。呟いたがっくんは。
「刀也さんお代わり頼んでもいい?」
「えぇ、ガッくん早くないですか?」
「そうか〜? 大丈夫だって!」
「その自信どっから湧いてくんだよ! 明日おはガクあるんでしょ? 程々にしてくださいよ」
 忠告しつつも、目の前にあったオーダーボタンを押す。程なくしてやってきた店員にピースのサイン。
「生中、二つで」
「って、刀也さんも飲むんじゃん!」
「……今日ぐらいいいでしょ」
 笑ったリリちゃんとむぎちゃんをちょっと睨んで、僕も噴き出す。美味しいご飯とお酒に、気心許した仲間と肩を揺らすほど笑って。こんなに楽しい時間は他になかった。
 間もなく運ばれてきた二杯目、三杯目、四杯目あたりだっただろうか。
「刀也さん、とぉやさーん。おい剣持ィ」
 視界が揺れている。否、揺れているのは頭か。判別がつかないほどに、どうやら僕は酔っぱらっていた。
「ん〜? ガッくん、なに……?」
「ほら水飲んで」
 介抱されるがままに、ソファに背を、頭を隣に座るガクくんに預ける。途端に視界が安定して、僕はほっと息をついた。
「あはは、剣持さん酔っ払ってる〜!」
「……酔ってない、っ」
「完っ全に酔っ払いのテンプレートですね」
 くすくす、くすくす。誘う笑い声と触れ合った心地良い体温に、ゆるりと睡魔が訪れる。楽しいな、まだこの時間が続けばいいのに。思えば思うほど瞼が下がる。
「伏見、先輩寝かけてますよ」
「……ね、てなぃ」
 吐き出した音は、果たして言葉になっていただろうか。
「刀也さ〜ん」
「ん〜」
「はぁ〜誰が連れて帰ると思ってんだよ……」
 ガクくんが口を開くたびに、胸が上下して気持ちがいい。現実と夢の間で、みんなの声が聞こえる。
「でも連れて帰ってあげるんでしょ?」
 目を瞑っていても分かる。むぎちゃんがニヤニヤとこちらを見ている視線。心なしかリリちゃんまで口角が上がっている気がした。
「……しょうがないだろ」
「愛だねえ」
「愛ですねえ」
「うるせ〜! 相方なんだから仕方なくだぜ、ったく」
 なんだか、笑みが深くなる気配。
「おっ、のろけか〜?」
「のろけか〜??」
 ガクくんは呆れた風に、何も言わなかった。相手にしていられないのだろう。手持無沙汰にビールを飲みくだした音が、触れたところから僕の身体にも響いた。
「いいなぁ、むぎもリリと一緒のお家に帰りたーい」
「おうおうどうした、家長」
「だってふたり見てたら、うらやましくって!」
 うらやましいってなんだ。男ふたりに使う言葉じゃないだろ。アルコールに侵された思考でもわかる。
「えぇ……?」
 案の定、ガクくんも困惑しているようだった。
「まあ、わからないでもないけど」
「リリっちまで!」
「見てれば嫌でもそう思いますよ」
 小さくはにかむ様子と、場にやさしい空気が満ちる。
 僕は途端にいたたまれない気持ちになって、ぎゅっとガクくんの肩に寄った。
「……大事にしてるんだね」
「だな〜」
 テーブルの下で、宥めるようにガクくんの手が重なった。熱くて大きくて、大事にしたいひとの手。力が入らないなりにゆるく握り返すと、隣の身体が小さく揺れた。
「あ〜あ!」
 大きなわざとらしい溜息でむぎちゃんが伸びをする。
「リリ〜むぎも酔っちゃったかもぉ! ホテルまで送ってくれる?」
「同じホテルでしょうが」
「えへ、そうだった!」
 犬も食わない女ふたりの会話を放置して、ガクくんが立ち上がる。そろそろ時間だ。
「刀也さん立てるか?」
「……ぅん、」
 まだぼんやりする頭で三人の後をついていく。一方で、上手く会計出来ない僕の代わりに、僕の財布から万札を抜こうとした伏見の手は抓っておいた。しぶしぶ五千円札にしたので、タクシー代は出してやってもいい。
「うぅ〜さむ!」
 外に出ると、白い息が火照った頬にかかった。先に止まったタクシーにむぎちゃんとリリちゃんを乗せて、見送る。
「がっくんありがと〜!」
「先輩も気をつけて、また連絡しますね」
「おう、ふたりこそ気をつけて」
「……も、はよ帰れ」
 先程の意趣返しにひらひらと手を振れば、花が咲くようにむぎちゃんが笑う。
「起きて第一声がそれ〜!? ひど〜い!」
「ほら、むぎ。窓閉めるよ」
 きゃらきゃらとした笑い声が遠ざかっていく。ひんやりした空気の中、こっそり繋いだガクくんの手だけがじんわりと熱い。
 ようやく止まった二台目のタクシーに乗り込んで自宅を目指す。幸いまだ時計は日付を越えていなかった。
「ほら刀也さん、」
「やだ」
「やだっつったって、降りてくんないと困るんだねえ」
 本当はうれしいくせに。
 運転手さんを困らせない程度に駄々をこねる。僕はタクシーを降りても、自宅のベッドに転がされても、半分夢の中だった。
「はぁ……疲れたぜ」
 ふたり分の上着をクローゼットにかけたガクくんが、水を片手に戻ってくる。
「ガッくん」
 ぽすぽす。乾いた音を立てるダブルベッドはひとりでは広すぎる。もちろん、ふたりだと少し狭い。
 ガクくんは僕の無言の要求に、ため息で返事をした。空いたスペースにぬくい身体が潜り込んでくる。
「酒くさ……」
「それはお互い様だろ〜?」
 正面から抱き合ってくっつけば、呼吸が楽になる。
 ガクくんが笑うと、僕の身体も揺れて。そんな些細なことが、僕の心をちょっとだけ満たす。
「ねえ」
「ん〜?」
 僕の身体に回した手の向こうで、アイフォンを弄る気配。大方今日のお礼と挨拶、明日の告知でもしているんだろう。本当にマメな男だ。
「……明日のメニューなに」
「コンソメスープ」
「へぇ〜」
 それなら三十分もあれば作れるか。脳内で算段をつける。冷蔵庫の中は、確かスープの材料になりそうなものぐらいはあったはず。
「聞いたのに興味なしかよ」
「うるさいなぁ」
 手探りで尻ポケットを探る。記憶通り、僕のアイフォンもそこにきちんと収まっていた。
 忘れないうちに目覚ましを五時半にセットして、再びガクくんの隣に潜り込む。伝わる鼓動が遠のいていた眠気を誘った。するりと足を絡ませると、応えてくれる体温に安心して、そっと目を閉じる。
 風呂は明日でいいや。
 
 

 
 
 ゆさゆさと意識が揺れる。
「ガッくん、ガッくん」
 わかった、わかったから。もうちょっと、この暖かさを享受させてくれ……。身体を包み込むぬくぬくの布団は、この時期魅惑の城だ。が。
「ほーら! おはガク遅刻しますよ」
 の一言で一気に覚醒した。
「え、もうそんな時間か!?」
「まだ六時です。おはよ」
 そのまま脱力してベッドにUターン。凹んだのは何も起こされたからだけではない。
「あ〜またやってしまった……刀也さんサンキューな。マジ助かったぜ」
 刀也さんとルームシェアをし始めてから、めっきり朝というものに弱くなってしまった。
「はいはい、ほら顔洗ってこい」
 今からスープを作って果たして間に合うか。最悪カップスープでも良いかと、キッチンへ続く扉を開けて、気づく。
「え、もしかして、刀也さん用意してくれた?」
 ふんわりと香るのは、コンソメの匂い。慌てて覗いたキッチンには、ことこと音を立てる鍋が鎮座していた。
「文句ありますか?」
 後ろから追ってきた刀也さんが、不満気に言う。
「ないないない! すっげえ美味そう!」
 じゃがいもに、にんじんに、たまねぎに、ベーコンまで。具だくさんのスープは、見ているだけでも暖まってくる。現金な腹が、きゅぅと鳴った。
「じゃあ、とっとと顔洗う! 配信準備する!」
「わかった、わかったから蹴るな!」
 ありがとう、と口にする前にキッチンから追い出される。こっそり振り返ると、機嫌が良さそうな刀也さんの背中が見えて脂下がった。
 照れ隠しだったかな。本人には言わずにおいた。
「なんで朝起きれないんだろうなぁ」
 配信のセッティングをしながら、ひとり呟く。返事が来ても来なくても、気にならない空気が好きだ。
「無意識化で僕を頼ってるんじゃないんですか? 恥ずかしいやつめ」
 火を止めた刀也さんが、にやにやと揶揄いが混じった声でこちらを見る。いつもなら、口で負かされるオレも、今日はとっておきの反撃カードを持っていた。
「それ言ったら刀也さんもだろ?」
「はぁ?」
 全く心当たりがないのか、眉根を寄せる刀也さん。心情は、何言ってるんですか、この人。あたりだろうか。だけど、オレは冷たい目線にもひるまず、たっぷりともったい付けて言い放ってやった。
「昨日、可愛かったぜ」
一拍の間。そして、じわじわと赤くなる頬。
「……は?」
 よっしゃあ、クリティカルヒット!
 ぽかんと口を開けたまま固まってしまった刀也さんに、オレは大満足。確信を持って、追い打ちをかけた。
「覚えてないのか? 抱っこして〜って言ってさぁ」
「それは言ってねえ!」
「覚えてんじゃねーか」
 イヒヒヒ、おかしくって笑いが漏れる。
「あぁ、も〜! 出来たから持ってけ!」
 酔っても記憶を失くさないところが刀也さんらしい。今度こそ照れ隠しに失敗した赤い顔で、出来上がったばかりのコンソメスープを注いでくれた。
「サンキューな! 今日も美味そうだぜ〜」
 トレイに載せてオレは配信スペースに、刀也さんはダイニングテーブルに座った。これが最近の、おはガクの光景になりつつある。
 六時四十五分。さっと意識が切り替わって、オレはパソコンへ向き直る。
「ピース! みんなライフ楽しんでる? にじさんじ所属ライバー伏見ガクっす。サクっとガクって呼んでくれよな」
 流れるコメントに返事をすれば、あとは刀也さんのコンソメスープに舌鼓を打ちつつ、アクターのガク食写真を楽しむだけ。
 途中気になって、ちらりと片目でダイニングテーブルを窺う。しかし思いがけず、こちらを見守る視線と絡んで噎せてしまった。
「んふふ、ダメじゃん」
 アクターに聞こえない程度に、刀也さんが笑っていたので、オレまで可笑しくなってちょっと笑った。
 
 

 
 
「じゃあ僕、先に出ますね」
 きっちりしっかりおはガクを見守ってから、刀也さんは席を立った。玄関まで見送るために、オレも後をついていく。
 靴を履くまあるい頭を眺めていると、ずっと思っていたことが不意に口をついて出た。
「このままいくとさ〜俺、刀也さんに甘やかされて、ダメになっちまうかも」
 それは愚痴のような、惚気のような胸の内だった。ここに昨夜のふたりがいれば、きっと呆れていただろうけど。
 オレの言葉に、玄関の扉に手をかけた刀也さんが振り向く。緑の瞳がぱちくりと瞬いた。
「お互い様ですよ。だって、」
 出会った頃より少し高くなった目線が、ゆるく解ける。
「しあわせでしょ?」
 とろりとろけた笑みに一瞬見とれて。
 いってきます、その声になんと返したかもわからない。ガチャンと音を立てて閉まる扉にはっとして、気が付けばずるずるとしゃがみ込んでいた。
「はぁ〜ずるいぜ、ほんと」
 ため息は砂糖を吐きそうなほど甘い響きをもっていたけれど、指摘するものはもちろん誰もいなかった。