オレに魔法をかけるのは
「いらっしゃい」時間より少し早くカランと軽い音を立てて開いた扉の方に目を向けると、小柄なオレンジ色の頭がひょっこり覗いた。こちらを見て嬉しそうに笑うその笑顔がまぶしい。
「大和さん久しぶり!」
レッスン帰りなのかこれからレッスンに向かうのか、大きな荷物を抱えている。小柄なせいでまるで荷物をおぶっているようだ。ひらひらと手を振りつつ挨拶に答えて近寄った。
「はいはい、荷物預かるから貸しなさいって」
「ん、ありがと」
受け取った荷物を顧客専用のロッカーへ入れ、席へ座るように促す。準備をしながら大きな鏡に負けないぐらい大きくて綺麗な瞳を覗き込んで聞いた。
「んで?今日はどうすんの?」
そうだねぇ、と少しの間考えたかと思えばいつもの言葉がかけられる。
「世界で一番、男前にして!」
「…またそれかぁ?お子様なくせに飽きないねぇ」
軽口を叩きながら、出会った頃から変わらないサラサラと流れる日向の色をした髪を撫でる。さて、今日はどんな髪形にしてやろうか。
【オレに魔法をかけるのは】
鏡の前にちょこんと座ったオレンジ色の頭が、目前に置いてある雑誌の表紙を見て眉をしかめた。
「うわ、こんなところで自分と向き合う羽目になるとは」
手に取ったそ表紙は、紛れもなくたった今鏡に映る人物、新人アイドルとしてその名を知られるようになった和泉三月であった。三月はそのまま表紙を裏返して伏せ置いた。
「なに、そんなに嫌なの」
髪の毛を梳きながら不思議に思って訊ねると、嫌っていうか恥ずかしいじゃんと照れた様子で返ってきた。なるほどね、と複雑らしいその心中を察して鋏を手に取った。今でこそ見慣れたオレンジ色だが、三月が初めてこの店に訪れたときはその不思議な色に感嘆を漏らしたものだ。見る人をやさしい気持ちにさせるあたたかな色だ。ふと思い当って大和は三月に訊ねた。
「そういえば今日も染めなくていいのか?」
「うん、しなくていい」
芸能人というものはやはり見目に気を使うものらしく、(大和も曲がりなりにも美容師なので気をつけてはいるが、人前に露出する回数は格段に違う)しょちゅう髪色を変えたり、もしくは番組などの役柄で雰囲気を合わせるためにカラーを変えたりする。しかし三月はデビューしてからも頑なに変えようとはしなかった。以前今日のように男前にしてくれと言われたので、たまにはカラーでもと染料を取り出せば焦ったように言葉をぶつけられた。
「だって、大和さんがこの色好きって言ってくれたから変えたくないんだよなー」
こんな感じで。と、まぁこう言われてしまえば、もはや大和にはどうすることもできない。秘かに鼓動を鳴らす以外には。
「最近は?忙しい?」
動揺してとってつけたようなありきたりな話題を振って誤魔化した。
「まぁね、今はライブ前で忙しくて忙しくて」
今日はどうしてもここに来たかったから頑張って時間作ったんだぜ、なんて満面の笑みで言われて返り討ちにあったけれど。気を取り直してしゃりしゃり、と長さを揃えるように注意しながら不思議なオレンジ色に鋏を通していく。
「じゃあライブに向けて男前に仕上げなきゃな」
「最初からそう言ってんじゃん!」
こんな軽口を叩ける間柄が心地よい。しかしけらけらと楽しそうに笑うその笑顔を直視出来なくて、大和はそっと目を伏せた。何度も何度も願掛けのために髪を伸ばしては、何度も何度もオーディションに落ちる度に精一杯見栄を張った笑顔で、一番短くしてと頼んできた面影はそこにはなかった。あの時ひとり泣いていた三月はもうここにはいない。年が近いこともあり、自分が見習いのころから知り合いで。ずっと見守ってきた三月が夢を叶えていくのはとても嬉しい。しかしどんどん遠くに行くようで少し寂しかった。
「前髪切るからちょっと目ぇ瞑ってろよ」
「ん〜」
伏せられた瞳を縁取る案外長いまつ毛に、どきりとまた心臓が音を立てた。そのまつ毛を優しく撫でることが出来たなら。ちょっと低い可愛い鼻頭にひとつキスを落とすことが出来たなら。オレンジ色の髪をかき上げて抱きしめることが出来たなら。こうやってふとした瞬間に漏れ出る欲望から目をそらすのにいつも必死だ。今まさに夢を掴んで飛び立ち始めた三月には、この思いは伝えない方がいい。きっと重荷になってしまう。
「大和さんまだ?」
なかなか動かない大和に痺れを切らしたのか、三月がぱちりと瞳を開けた。予想外に近い距離に驚いたのか、かっとまろやかな頬に朱が差す。その仕草すら愛しい。固まってしまった三月の額にキスの代わりにひとつデコぴんをお見舞いしてやった。
「なに期待してんの、ガキじゃあるまいし」
「うっさいおっさん!」
本当に期待してるのは自分なくせして。自重的な笑みをこぼしながら告げる。
「ほい、終わり」
「ちゃんと男前にしてくれた?」
「したした」
渡した手鏡を覗いて満足したらしい三月が、散らばった髪の毛を払い落として立ち上がる。それに合わせてお疲れ様と声をかけて、カウンターへ向かった。待ちに待った合法的に三月に触れられる時間はあっけなく終わってしまった。これからまた一ヶ月以上はテレビの向こうの三月を追いかけるだけの生活だ。
「ていうかそんなに忙しいならわざわざここまで来なくていいんだぞ?ヘアメイクさんとかに切ってもらえるだろ?」
会計をしながらずっと思っていたことを口に出す。その言葉に三月はむっと口を尖らせた。
「大和さんって変なところで鈍感つーかなんつーかさぁ」
「はぁ?」
怪訝な顔をすれば、さらに三月は機嫌を損ねたようでつんとそっぽを向いて、なんでもないと呟いた。そして話を断ち切るように手を伸ばして荷物!と重ねて言った。言う通りに荷物を渡すと、さっきまでの上機嫌はどこへやらさっさと店を後にしようとする。そのまま出ていくかと思えば突然立ち止まって、振り返る。
「ずっと大和さんだけ!大和さんがいいから来てんの!いい加減気付けばーか!」
真っ赤な顔をしてそんな言葉をかけられて、期待しないわけがない。はっと我に返って振り切るように駆け出した三月を追いかけて、大和も走り出す。重荷だなんだと理由を付けて逃げるのはもうやめだ。まずは目の前の揺れるオレンジ色を掴まえて腕の中に閉じ込めて、その低くて可愛らしい鼻頭にキスを落とすのだ。
オレに魔法をかけるのは、何年経ってもあなたがいい。