ガラスの靴は置いてきたの

「らー、ららら、らー」
豪邸に澄んだ歌声が響き渡る。ここは巷ではそこそこ有名なお金持ちの家族が住む家である。歌いながらくるくると忙しなく働くのは、この家の末っ子、三月であった。誰もが目を引くオレンジ色の明るい髪に、くりくりと吸い込まれそうな程大きな瞳、そしていつも元気で気立ての良い三月は、その可愛らしい外見に似つかわしくないボロボロの女物の洋服を着ていた。否、好んで着ているわけではなく、彼の意地悪な姉たちがそうさせたのだ。
以前は彼も普通の生活を送っていた。男物の洋服を着て、剣を習い、勉学を嗜んだ。いずれは立派な剣士となって、城で王に仕えたいと考えていた。しかし、父親が再婚したことから不幸は始まる。初めは優しく接してくれていた継母とその連れ子の姉たちは、実父が亡くなった途端に、三月につらく当たるようになった。原因は言わずもがな、彼の外見と性格の良さへの嫉妬である。彼女らは三月が外に出ていけぬよう、彼の男物の洋服をすべて捨て、代わりに女物の洋服を与え、一通りの家事を三月に押し付けた。こうして三月は豪邸に閉じ込められ、日々家事をこなす毎日を過ごしている。
「諦めなければ夢はかなう、よな!」
彼の澄んだ歌声に集まってきた小鳥たちが、音色に合わせて囀る。その光景はまるで絵画の一ページのようだ。剣を持てなくなった代わりに、三月は歌うことを覚えた。つらい家事でも歌っていれば心は軽くなる。そう実感してから、三月はよく歌うようになった。歌っている時だけは、三月は自由だったから。
「三月!三月!」
「はーい!今行きます!」
感傷に浸っている時間はこれっぽっちもない。早速姉に呼びつけられた三月は、ほんの少しだけため息をついて、小鳥たちに別れを告げた。



そんなある日、豪邸に一通の手紙が届く。
「お母さま!お城から招待状よ!」
バタバタと品のない足音を立てて、姉たちが家中を走り回った。その騒音にしかめっつらの三月を通り越して姉が言う。
「王子様の結婚相手を見つける舞踏会ですって!」
「なんとまぁ!それは何時なの?」
「今夜よお母さま!」
「今夜ですって!?大変!急いで準備をなさい」
「えぇお母さま!」
さらにうるさい足音を立てて準備をし始める継母が、唐突に三月の前で立ち止まった。その顔は今までに見たことがないくらいの笑顔であった。
「三月、お前も支度をしなさいな」
「えっ、」
「女物のドレスを着て、王子様を射止めることが出来たなら、お前を解放してやろうじゃあないか」
ごくり、三月の喉が鳴った。それは悪魔のささやきであったが、もうそれしか目の前の苦難から逃れる術はなかった。いずれ仕えたいと願っていた王族の前で、とんだ恥さらしではあるが、三月は藁にもすがる思いで頷いた。途端。
「あっはははははは!!!」
突如として継母は狂ったように笑いだした。意味が分からず三月が呆然としていると、さも楽しそうに、継母は言った。
「お前はとうとうそこまで落ちぶれたか、三月!もはや男のプライドもあったもんじゃないね。いつも通り、家事と洗濯と掃除をおやり」
 かっと頭に血が上ったが、三月は何も言えなかった。信じていたわけじゃないが、心を一瞬でずたずたにされてしまった。
「はい、お母さま」
結局三月に出来ることは、赤くなった顔を隠すために、俯いたまま返事をすることだけだった。



夜になり、継母と姉たちは意気揚々とお城へ出かけていった。
「綺麗だなぁ…」
屋根裏部屋の小さな窓から覗くお城は、舞踏会のためにあちこちで明かりが灯されていて、それはそれは見事な光景であった。
いつかあそこで、剣士としてお仕え出来たら。そう思うも、今日で望みは絶たれたようなものだった。もしかしたら、このまま一生この家に縛り付けられて、死ぬまで、そこまで考えて三月は急に泣きたい気持ちになってきた。今までどんなにつらくても笑って乗り越えられたのに、今日だけはもうだめだった。ぽろぽろと流れる涙を拭うこともせずに、三月はただ静かにお城を見つめ続けた。
そんな時だった。三月の耳に、三月以外の声が聞こえてきたのは。
「お前さんアが泣くことはねぇよ」
「え、おっさん誰?」
「お兄さんとお呼び、オチビさん。俺は魔法使い。可哀想な三月くんを助けに来ましたとさ」
非現実なことに、いまいち状況が飲み込めていないらしい三月が、ぱちくりと数回瞬きをする。その動作につられて、まつ毛に絡まっていた涙がぱたぱたと落ちていった。
「助けるって?どうやって?」
「お兄さんは魔法使いだから、今すぐお前さんの洋服を男物にして、この家から解放してあげられる。さぁ、どうする?」
それは願ってもない甘いお誘いだった。継母も姉もいない、絶好のチャンスは今しかない。得体の知れない魔法使いだけど、眼差しは優しくて心のどこかでこの人は信用してもいいと思った。魔法使いは手を差し伸べて三月の返事を待っている。この手を取ってしまえば、三月はもう、自由だ。
「いや、いい」
 しかし三月はその手を取らなかった。
「あらまどうして?つらいんじゃないのか?」
「つらいけど、こうやって自分の運命から逃げるのは嫌だ」
 さっきまで泣いていた三月はもうそこにはいなかった。瞳は静かに強い光を放ち、その佇まいは凛としていた。
「それに散々色々させられてきたんだ、このまま何もやり返さずに逃げれるかよ!」
ぷりぷりと怒りながら言う三月に、魔法使いは怒るどころか、そうこなくちゃと笑い出した。
「ミツ、俺は大和。魔法使いだ」
「うん?それはさっき聞いたけど、ってミツぅ?」
「まぁまぁ、細かいことは気にするなって。継母に言われた条件は覚えてるか?」
「あぁもちろん!舞踏会で王子様の心を射止めることが出来たら解放してくれるって」
 突然の質問の意図がよくわからず、首をひねったまま三月は答えた。それに満足そうな顔をした大和は、どこからともなく魔法の杖を取り出して、言った。
「じゃあ、それを叶えれば、誰も文句は言わねぇ、そうだろ?」
「はぁ!?いやまぁそうだけどちょっと待って!?」
三月の制止も聞かずに、大和は魔法の杖を一振り、二振り、そして仕上げとばかりに三振り振った。一瞬の後、そこにはキラキラと輝くドレスを身にまとった三月と、豪華な馬車と、お付きの者がいた。
「なにこれすごい!」
 生まれて初めて魔法を目のあたりにした三月は、我を忘れてはしゃいだ。くるくるとあちこちを歩き回っては、ひらりとドレスの裾を翻して踊るように跳ねた。その姿を、大和は眩しそうに見つめていた。
「さぁミツ、意地悪な継母と姉たちをびっくりさせてやれ。そして、王子様の心を射止めて自由になれ」
ミツならやれるさ。
その言葉に押されて、三月はぴかぴかの馬車に乗りこんだ。
「ありがとう大和さん」
「いつも頑張ってたミツに、ちょっとしたご褒美だから気にすんな。ただしこのご褒美は十二時までだから気を付けろよ」
「うん、わかった。行ってきます!」
元気な笑顔を残して、三月はいよいよお城へと向かった。



一方その頃お城では、舞踏会を開いた張本人である王様は、とっても退屈していた。なにしろ、ナギ王子がどの娘にも明確な反応を示さないのだ。ナギ王子はこの世の物とも思えない輝くほどの美貌をしていたのだが、昔からこの国に伝わる伝説のここなに心酔しており、今日に至るまで結婚という言葉とは無縁の生活をしていたのだった。このまま、ナギ王子が誰にも興味を示さなかったとしたら…王様はいよいよ諦めるべきかと思った時だった。
「失礼します、まだ間に合うでしょうか」
姿を現したのは、先ほど大和に魔法をかけてもらったばかりの三月だった。その姿は会場にいる誰よりも華やかで、男とも女とも言えない不思議な魅力に溢れていた。
「イエス、マイガール。宴はこれからです。それもアナタとワタシだけの」
吸い寄せられるように、ナギ王子は玉座から降りて三月の手を取りそこにキスをした。いつの間にか流れ始めた音楽に身を任せて、ゆったりとふたりだけで踊る。生憎三月はダンスをちゃんと習ったことがなかったので、ナギ王子の足を踏んでしまったが、彼は何も気にしていなかった。それどころか、三月に合わせて踊ってくれているようだった。
遠目とはいえ、継母と姉たちはそれが三月だと一目でわかった様子で、絶句していた。それに気をよくした三月はすくすと笑って、ナギ王子に身を任せた。
「あぁなんて素敵な夜でしょう!」
ふたりっきりのテラスで、ナギ王子はそう言ってほほ笑んだ。三月は初めてのお城に、ダンスに、そして目の前のナギ王子にすっかり魅了されていた。ナギ王子は想像よりずっと優しくて、面白くて、話し上手であった。ただ一点、伝説のここなに心酔していることを除けば。話の八割がここなのことである。いい加減三月は怒りそうであった。そんな時、お城の鐘が鳴り始めた。はっと我に返った三月は、ナギ王子に別れを告げて走り始めた。
「どこに行くのですマイガール!」
「帰らないと!」
「待ってください!せめて名前だけでも!」
鐘の音が鳴り響く。三月はもつれる足を一生懸命動かして走った。剣を触っていないせいで、体力が落ちているかと思いきや、日々ハードな家事をこなしているおかげか、全く衰えていなかったことに安堵する。三月はお城の中を駆け巡り、駆け巡って、飛び出した。しかし追手は数が多く、途中で三月は捕まってしまいそうになった。
「あぁもう!」
邪魔だとばかりに三月は大和にもらったガラスの靴をぽいと放り投げ、追手がそれに気が取られているうちに、馬車へ滑り込んだ。
「早く馬車を出してくれ!」
お城の鐘の音が鳴り響く中、一台の馬車が街を森を走り抜け、ようやく三月の元いた家へ戻ってきた。その頃にはすっかり魔法は解け、三月はいつも通りのボロボロの服を身にまとっていた。しかし、心はとても軽かった。
「おかえり、ミツ」
玄関のすぐ側で、大和が声をかけた。大和がまだいると思っていなかった三月は、興奮のまま大和に抱き着いて言った。
「ありがとう!さいっこうに楽しかった!」
「そりゃあよかった、これでミツは晴れて自由の身だ。どこへでもお行きなさいな」
大和が再び魔法の杖を振ると、三月の洋服は年頃の男物の洋服に変わっていた。継母と姉たちが帰って来る前に、三月を家に出そうとしてくれる大和を制して三月は笑った。
「オレ、大和さんに着いていく」
「はぁ!?そりゃまたなんで」
「ここを出ても行く当てもないし、生まれて初めてオレのことを大事にしてくれた人だから!ね?」
驚きの余り、目を見開いて固まっていた大和は、ひとつ微笑んで三月の額にそっとキスを落とした。
「今以上に苦労しても、お兄さん文句は聞きませんよっと」
「うん!大丈夫!」
こうして三月と大和はふたりっきりで、夜の街を後にしたのだった。その後、ふたりの姿を見たものはいなかった。



その頃お城では、あることで大騒ぎになっていた。ナギ王子が惚れこんだ女性が逃げてしまったこと。彼女が二足のガラスの靴を残したこと。
そして、そのガラスの靴が、十二時をすぎると、まるで魔法が解けるかのように、消えてしまったことで。





ガラスの靴は置いてきたの、あなたと一緒にいるために。
(ガラスの靴は元からなかった、君を探せないように。)