誰にも言えないパステルグリーン

和泉三月は悩んでいた。それはもう盛大に悩んでいた。もし明日世界が滅ぶとしたら何をしますか?なんて唐突に聞かれた時と同じくらい、深刻に眉を寄せて思考回路に足を突っ込んでいる。おかけで可愛らしいふっくらとした顔付きはどこにも見当たらず、鬼のような形相であった。
が、しかし、本人は気にも留めずに先程からぶつぶつと何かを呟いている。どれどれ何をそんなに悩んでいるのかと手元を覗き込んでみれば、片手にはピンクの可愛らしいレースたっぷりのブラ、もう片手には大人っぽい艶やかな光沢のある黒のブラがあった。ぷすぷすと音を立て今にもパンクしそうな頭を抱えて三月は叫ぶ。
「だーーーっ!どれにすればいいかわっかんねー!!!」
けれど悲しいかな、応えてくれる声はなく。店内で突然大声を上げた三月に、怪訝な視線が返ってきただけであった。



【誰にも言えないパステルグリーン】



話を遡れば数日前になる。それはいつも通りの日常の中で起きた出来事だった。
三月は先月から同じグループ内の大和と交際をスタートさせて、順調に関係を築いてきたところで。恋人という距離感にようやく慣れてきたところだった。元々スキンシップは取っている方だったが、やはり関係が変わると慣れないこともある。以前から女の三月に甘いところがあったが、付き合いだしてから輪をかけたように優しくなった。とは壮五談である。変な部分で女慣れしてるとわかるのもいい気はしないが、それが今は自分に向いているのならまぁいいかと思えてしまう。要するに、三月も大和のことが好きなのだ。
長々連ねてきたが、ここまでは話のあらすじ。本題はここからである。お互いにもう一歩先に関係を進めたいと思い始めていたその矢先。
「ヤマさんってさぁ、おんなのひとのこのみの下着とかあんの?」
何も知らない環が放ったひとことで三月は凍り付いた。先に説明しておくが、三月はその場にいたわけではない。たまたま深夜喉が渇いてリビングに降りてきてみれば、このひとことである。それはそれは驚いた。もちろん環からそんな話題が出たことに対してもだが、大和が嫌悪感も抱かずに笑いながら答えたことにも驚きが隠せない。
「これまたタマは突拍子もねぇな、…うーん基本的にあまりない、な」
「えぇ、まじかよ、つまんねー」
「聞いてきたのはそっちだろー?文句言わないの。まぁほら女の子の下着なんて脱がせてなんぼじゃん、そんなに見てない見てない」
「ヤマさんがいうとなんつーか、なまなましい…」
「ははははは、それなりに経験ありますから。模範解答的に言うと似合ってたらそれでよし」
「なるほどー」
かなり上機嫌な声色から察するに、おそらく酒が入っているのだろう。三月が聞いていることも知らずにつらつらと語ってみせた。一方の三月はというと、そこから一歩も動けないほどに完全に固まってしまっていた。三月の脳内はこうだ。いや女性経験あるとは分かってはいたけど手早すぎねーかおっさん、仮にもどどど同衾した相手だろ、もっとこうなんていうか色々あんだろなんか!だってやっぱり女の子にとっては勝負時だし、かっ可愛く見られたいから気も使うし…あれ?もしかしてこれってオレにも当てはまる?まだ大和さんとそういうことしたことねーけど、い、いつかはしたいと思ってたけど、オレの下着?とかなんかそういうもんに全然、これっぽっちも興味ないってこと…?確かに今まで大和さんとそゆことしてきた女のひとに比べたら、オレなんて子供っぽいし色気もないし興味ないって思われても仕方ないけど、仕方ないけど…
――なんかむかつく。
とまぁこんな感じで、三月の何かのスイッチを押してしまったのである。一旦辿り着いてしまった考えは、すぐには拭えず。結局三月はある結論に至る。
「だったら、オレがめちゃくちゃ可愛くってえっちな下着で大和さんをめろめろにしてやる!」
そんなこんなで思い立ったが吉日。三月は翌日仕事上がりに完璧な変装で、下着ショップに立ち寄ったのである。こういった店に入るのは実は初めてであったため、入店するまでにかなりの時間を要し、店員に不審がられたのは言うまでもない。
そしてようやく冒頭に戻るのだった。
「大和さんは似合ってるのが一番だって言ってた、模範解答だけど」
ということはつまり、自分に似合ったとびきり可愛くてえっちな下着を選べば間違いないということだ。さっそく手当たり次第に鏡の前で体に合わせてみる。まず三月が手に取ったのは、たっぷりふわふわのレースが付いた、薄いピンクのいかにも女の子といったブラとショーツのセットだった。言っていれば王道であるが、王道には王道の訳がある。そのセットは明るい三月の髪色によく似合っていて、普段可愛くないことを言ってしまいがちな三月の心少しだけ和らげる気がした。
「ん〜でもこれは流石にぶりぶりすぎる…」
しかしなんと言ってもこのレースが気になるようである。一際主張するたっぷりのレースをひと撫でして、三月は呻いた。似合わないわけではないが、ここまで可愛いものを身に着けるのはいささか恥ずかしいらしい。一旦棚に戻して再び店内を物色し始め、次に手に取ったのは普段三月が全く身に着けない黒色の下着であった。
「さ、さすがに攻めすぎだろ〜!?!!?」
先程の薄ピンクの下着はフルカップのブラが付いたセットであったが、こちらはハーフカップのブラであり三月の豊満な谷間を強調することが伺える。レースよりも繊細な刺繍が施されており、手触りは抜群なつるつる具合である。その感覚を触って楽しんでいた三月はちらりとブラをめくって絶句した。
「てぃ、てぃーばっく…」
そうこのセットのショーツは、なんとティーバック仕様だったのである。途端にイケないものを触ってしまったかのように、素早く棚に戻してはきょろきょろとあたりを見回す様子がなんとも小動物だ。ハーフカップはまだしもティーバックには流石に耐えられなかったようだ。かっかと火照る頬を抑えて次に三月が手に取ったのは、パステルグリーンの素朴なデザインのセットであった。胸元には白いレースの縁取りがなされ、中央にはワンポイントとしてリボンが飾られている。フルカップで手触りもよく、ショーツにはブラと同じようにレースがさりげなくあしらわれて程ほどに甘さがあるセットになっていた。一番の決め手はやはり大和のイメージカラーである、ということなのだろうが、本人がそれを意識して手に取ったかどうかは分からない。しかし思ったより気に入ったらしく、三月はこのパステルグリーンの下着のセットを購入することにした。
きっとこの下着なら、大和さんもその気になってくれるだろうし、この下着でもっともっとオレに夢中にさせてやるんだから!と謎の意気込みで、三月はふんすと鼻息を荒くした。そのままレジへ会計に進もうとした時、ワゴンセールの広告が目に入り三月はふと足を止めた。
「うっわ安い!いくつか買っていこっと」
そこには三月が購入を決めたセットとは全く違う、つまり普段三月がよく好んで身に着けている綿のショーツやスポーツブラが大量に山積みされていた。節約できるところはなるべくしたい三月は、迷いなくそこから数点購入を決めた。これがのちに悲劇を生むことになるとは全く思いもせずに。



*****



そうして数週間後、ドキドキしながら買った下着の存在すら忘れてしまう程、過酷なスケジュールが続いたある日。三月を含めたユニット、通称ピタゴラは突然2日間のオフをもらうことになった。最近あまりにも忙しかったため、なんとかスケジュールを調整してくれたマネージャーからのちょっとしたプレゼントである。しかも今日は午前中で仕事も終わり、実質2日半のお休みである。3人ともそれはそれは喜び、さっそく仕事終わりの車内で休日の予定について考え始めた。
「ワタシは諦めていたここなのグッズ販売に行ってきます!あぁ神はワタシを見捨てていなかった!!!」
「おうおう、気をつけて行って来いよ〜、大和さんは?」
「寝る」
「ですよねー」
いくらメイクで隠せると言えども、それにも限度がある。ここ数日ろくに眠れていなかった大和の顔には、くっきりと隈が表れていた。流石に寝かせてあげないと、大和の体が心配だ。とりあえず寝かせて、起きたら体に優しいご飯を作ってあげようと、冷蔵庫の中身を思い出していた三月に、大和が思い出したように問いかけた。
「ミツは?なんか予定あんの?」
隣に座っているというのに、大和の目線は窓の外に向けられたままで。言う程三月の予定にはあんまり興味がなさそうに感じられた。なんだかそれが寂しく思えた三月は、大和の気を引こうと明るく答えた。
「オレも特にないかなぁ、掃除と洗濯して、気が向いたら実家に顔出すよ」
「ふーん」
なんだよその返事、と思わず気のない大和に突っかかろうとした三月だったが、無造作に置いていた手にすっと大和の手を重ねられて、驚きに思わずぴょんと跳ね上がった。て、手繋いでる…!?ここここれってもしかして、いやもしかしなくても誘われてるんじゃ!?一気に脳内が仕事から恋愛モードにシフトした三月は、最高速度で大和の質問の意図を解析しようとし始める。
スマートフォンで情報収集に夢中になっているナギはふたりの行動に全く気が付いておらず、三月は一安心するも大和の手は一向に離れようとしなかった。それどころか重ねるだけでは飽き足らず、するすると手の甲や指の間を丁寧に撫でられては、もうたまったもんじゃない。三月はどんどんと体温が上昇していくのを感じ、潤みだした瞳を隠しもせずに大和の方を見つめた。
しかし大和の視線は窓の外に固定されたままで、三月の方を向く気配すらなく。もしかして自分の勘違いだったのかと、例のパステルグリーンを着てベッドに寝転ぶところまでシュミレーションを始めていた思考にストップをかけた。そんな三月の行動に気が付いたのか否か、ふいに大和は振り返って声を立てずにそっと笑った。
――ミツのえっち。
色々と妄想していたことに気付かれていたらしい。それを知った三月の顔はさらに真っ赤に染まり、事情を知らないナギに心配されたのは言うまでもない。結局大和の意図がなんだったのか分からないまま、三月たちは寮へと帰り着いたのだった。

とはいえ、三月は依然として諦めてはいなかった。宣言通り自分の下着姿で大和をめろめろにさせてやると、クローゼットの奥深くに大事に大事に仕舞い込んだパステルグリーンの下着を引っ張り出してきて、鏡の前で当てちゃったりなんかした。帰宅早々自室に籠って眠りについてしまった大和は、そんな三月の意気込みを知らないだろう。
三月の見立てはこうだ。仮眠から目覚めた大和にあったかくて美味しいご飯を用意して、満腹になったところでお風呂を勧める。大和がお風呂に入っている間に、食器を片付けて続けて三月もお風呂に入り、昼寝のおかげで眠れないであろう大和の元へ例の下着に着替えてGO!という流れである。まぁ言ってしまえば特にいつもと変わらない流れであったが、例の下着、つまり勝負下着を身に着けると思うだけで全然気持ちが違うらしい。決め台詞は「ちょっとは意識した?」で決まりだ。
「これで完璧っと!」
頭の中で何度もシュミレーションを繰り返して三月はひとり満足げに頷いた。パステルグリーンの可愛らしい下着に身を包んだ三月を見れば、きっと大和は女の子の下着なんてどうでもいいという考えを改めてくれるだろう。そうしてやっとふたりだけの夜を迎えることが出来るのでは…!?うわうわうわそれってそれって!?数週間前とは違い、右手におたま、左手にお皿を握りしめてひとしきり騒いだ後、三月は迷いなくご飯の支度を進めていった。
そうこうしているうちに、時計の針は20時あたりを指し、のっそりと長い昼寝から大和が起き出してきた。自分から起き出してきたところを見るに、おそらくお腹を空かせているのだろう。待ってましたとばかりに大和をテーブルに誘導し、用意しておいたご飯を並べる。メニューは豚の冷しゃぶに、野菜たっぷりのコンソメスープ、炊き立てのほかほか白米である。吸い込まれるように椅子に座った大和が、きちんと手を合わせて箸を取る。
「流石ミツ、よくわかってんなぁ」
もぐもぐと咀嚼してはにこやかに言う大和に、三月の機嫌はさらに良くなっていく。三月も反対側の席に座り、美味しそうにご飯を頬張る大和を眺めては、幸せそうな表情でぱくりとひとくち口にした。三月がそんな表情で見守る中、大和の箸の進みは早く、あっと言う間に全て平らげてしまった。忙しかったため冷たいロケ弁や栄養の偏った外食を続けていた大和にとって、温かい食事は予想以上に嬉しかったらしい。そしてここぞとばかりに食後のお茶を出し、くつろいでいる大和をテーブル越しに見つめて三月はしばしのゆるりとした時間に浸る。
「って違う!」
「は?」
「い、いや何でもないです、大和さん風呂は?」
「おー、ちょっと早いけど入ってくるか」
危ない危ない、あまりに幸せな空間に満たされて、当初の目的を忘れかけていた三月は慌てて大和に風呂を勧めた。こんな最初の段階でミスってしまっては、計画は丸潰れになってしまう。せっかくもらえたこのオフの日を逃せば、次いつ重なった休みが来るかはわからない。三月は、今日、必ずや任務を遂行しなければいけないのだった。気持ちを新たにした三月に勧められるがまま、大和は風呂へと向かって行った。
「俺も続けて入るから、上がったら電気とかそのままでいいよ」
せっかく張ったお湯も冷めちゃうし、と何気なく付け加えた三月に、脱衣所への扉に手をかけた大和が止まった。物音がふいに止まったことに訝しんだ三月が振り返ると、それはもう楽しそうな表情をした大和がにやにやと笑っていた。それこそ帰りの車の中で見せた、ねっとりと絡みついて離れない、三月を期待させるような雰囲気で。
「一緒に入るか?背中流してやるよ」
そうして放った含みを持たせた言い方に、三月の頬はかっと一気に染まった。さ、誘われてる…!!!予想外の事態にぶわわと毛が立つように跳ねあがった三月を見て、大和は一瞬にして表情を崩して笑い声を上げた。その表情には先程のような怪しい雰囲気はなく、健康的な笑みを浮かべていた。
「嘘うそ、お子様にはまだ早いよな〜んじゃ入ってくるわ」
がらがらと閉まっていく引き戸の向こうに大和を見送って、三月はその場にへなへなと座り込んだ。
「からかわれた…」
確かに今日これから三月が計画していることと内容は大差ないのだが、自分で覚悟して仕掛けるのと、不意打ちを仕掛けられるのはわけが違う。やはり、大和もふたりっきりの今夜に期待しているのだと、三月はいよいよ逃げ場を失っていることにようやく気が付いたのだった。そっと頼りない肩を抱いて、深呼吸をひとつ。大丈夫、大和がやる気なら願ったり叶ったりだと、心に言い聞かせて三月は食後の片付けに取り掛かった。



*****



「あれ?大和さんいない…部屋か?」
ほかほかと暖まった体で、三月が風呂から上がったのは22時頃のことだった。あれから大和と風呂を交代して、いつも以上に念入りに体の隅々まで綺麗にごしごしと洗っては、その恥ずかしさにひとりで赤くなって震えていたため、予想以上に長風呂をしてしまったらしい。ようやく風呂から上がってみれば、大和の姿はリビングにはなかった。少しだけほっとした三月は、どきどきと音を立てて鳴る心臓をぎゅっと抑えて俯いた。この下には、パステルグリーンの可愛い勝負下着が出番を今か今かと待っている。服越しでもわかるそのふわふわした感触に、余計緊張を煽られるも、ここまで来たらもう引き返せない。震える体を叱咤して、いざ行かん!とまるで戦場に赴く戦士の気分で大和の部屋をノックした。
「たのもー!!!」
「うるせー!!!!!」
倍返しで即座に返しつつすぐに開かれた扉の向こうで、大和は言葉とは裏腹に快く出迎えてくれた。珍しく上機嫌なのを隠せないのか、口の端がわずかに上がっている。そんなところも好きだと思ってしまうあたり、もう三月は重症だと言って過言ではない。
「なに?どうかした?」
「えっと、いや、あの、せっかくだしちょっと話したいなー…って。だめ?」
きっと考えていることは同じだ。珍しく重なった2日間のオフ、まだ誰も帰ってこないふたりっきりの寮、夕食も風呂も済ませた寝るまでの時間。付き合っている男女ならお察しの通りの展開であることは間違いない。それでも考えていることを悟られるのが恥ずかしくて、三月は誤魔化すようにしどろもどろ伏し目がちに言った。だっておんなのこだもん、恥ずかしいに決まってる。心の中で三月は言い訳のごとく呟く。
が、しかしいつまでたっても大和の反応はなく、不審に思った三月はいよいよ俯いたまま固まって動けなくなっていた。もしかして期待してるのバレたんじゃ…は、はしたないとか思われたらどうしよう…!さっきまでの勢いはどこへやら、本人を目の前にすると強気な気持ちは空気が抜けた風船のようにしおしおと萎んでいった。何か適当な嘘をついて逃げてしまおうと顔を上げた瞬間、大和が口を開いた。
「…ん〜いいけど、話すだけ?」
「へ?んむっ、ん、ふっ、」
薄っすらと笑った大和の顔が、やけに近く感じるなぁなどと呑気に考えていたのもつかの間。急に腰を抱かれて、大和の腕の中に閉じ込められた三月は、息継ぎも許されない深さで強く口付けられた。扉の閉まる音をどこか遠くのことのように聞き、気が付けばその閉じた扉に背中を押し付けて大和は三月の口内を犯していた。いつもの優しい触れるだけのキスではないことが大和の本気さを感じさせ、三月はひそかに背筋を喜びで震わせた。
「ま、まって、ちょ…っと」
「待たない」
必死で空気を取り込もうとするその瞬間さえ、大和にさらなる侵入を許すきっかけになってしまう。なんとか休憩を申し出るもすげなく却下された三月に残されたのは、もう大和が飽きるまで与えられるそれを甘受することだけだった。三月のただでさえ狭い口内はあっと言う間に大和に支配され、好きなように遊ばれていく。 唾液を含んだ舌でつるりと歯列をなぞられ、上顎をくすぐるように触れられて。奥の方で縮こまっていた三月の舌をやさしく吸い、自分の口内に誘っては追いかけてきたそれを大和は甘噛みした。ちゅう、と大和がわざと音を立てて吸い付くたびに、三月の腰は無意識にゆらりと揺れて大和をさらに楽しませた。
「はぁっ…ん、ふぁ、ぁ」
息苦しいはずなのに、絡んだ舌の熱が気持ちよくて離したくない。次第にぼんやりしていく思考と視界の中で三月は確かにそう思った。絡みあった舌から伝わる唾液はもうどちらのものかわからない。最後に仕上げとばかりに下唇をやんわりと噛まれて、三月はようやくキスの嵐から解放されたのだった。しかし快楽に蕩けた三月が自力で立てるはずもなく、がくがくと震える足はあっけなく崩れていった。すかさず大和が腰に回した腕で支えるも、三月は息絶え絶えといった様子で、今だぼんやりと与えられた心地よさに浸っていることしか出来なかった。
「キスだけで腰抜けたのか」
「…馬鹿にしてんの?」
「いんや、可愛いなってだけ」
賛辞と共に唐突に落とされた額への軽いキスに、ぎゅっと心臓が鳴った。優しい顔をした大和がそっと見つめるものだから、三月の体温はとどまるところを知らずどんどんと上がっていく。そのままひょっと抱きかかえられ、向かった先は予想通りのベッドであった。やはり大和は最初からそのつもりだったのだ。そう思い知った三月は計画通りとはいえ、流石に緊張で体を強張らせた。それを感じ取ったのか否か大和がゆっくりふかふかのベッドに降ろそうとしてくれ、ちょっと困った顔で動作を止めた。
「大和さん?」
「ミツ、嬉しいけどちょっと放してくれる?」
そこでやっと三月は大和のTシャツの胸元を握りしめて皺を作っていることに気が付いた。おそらくキスに夢中になっていた時に、無意識に縋り付いてしまったのだろう。恥ずかしい、その気持ちだけが三月の思考を支配した。慌てて離そうとするも強張った体は言うことを聞かず。力が入って余計に握りこんでしまい、ますますパニックになる三月を見て、大和は快活な笑い声を立てた。
「なに笑ってんだよ、おっさん!!!」
「やっぱミツだよなぁ…大丈夫、やさしくするから。な?」
三月がその表情に弱いと知っていて、わざと見せるところが敵わない。三月はいつだって大和には勝てないのだ。
「うー、ずるい…いいよ」
ここまできたらなるようになれ、と、やっと持ち前の男勝りな部分が出てきて、三月はほっと肩の力を抜いた。いつものパジャマの下で、パステルグリーンがいい加減出番をくれと言いたげである。とん、と肩を押されて、三月はあっけなくふかふかのベッドにぽすりと倒れ込んだ。見下ろす大和がごくりと唾を飲み、前開きのパジャマのボタンに手を伸ばす。ぎゅっと目を瞑って、来るべき時に備えていたものの。ぽすり、と手が落ちた先はボタンでも胸でもお腹でもなくて。ついでに言うと落ちたものも大和の手ではなく。恐る恐る目を開けてみれば、完全に寝落ちた緑色の塊がくぅくぅと寝息を立てて胸に収まっていた。
「…は?」
和泉三月、21歳。据え膳食わぬは男の恥、この時ほど目の前の男を殴りたいと思った日はなかった。そう後に語ることになる、二階堂大和初夜寝落ち事件とはこのことである。



後編に続く