キスマーク

「ひっさしぶりにでっかい仕事貰ったんだよねぇ*!俺っち超張り切って頑張っちゃったから、楽しみにしててねん!」
と面白おかしく言われたのはいつの事だったか。
ぐるっと思い巡らせて見たけれど、どうにも思い出せなかった。おそらく自分はどうでもいいこと、にそれを分類したのだくろう。
だって、多くの人々が行き交う、大都会の交差点で。とてつもない大きさの液晶画面に映った恋人が悪い笑みを浮かべているのを見て、ようやくその"でっかい仕事"の存在を思い出したくらいだから。

「そういえばさぁ、タイガきゅんあれ見た?」
ごろごろと勝手にひとの部屋に上がり込んだ、オレンジ頭の浮かれ野郎がなにやら機嫌よく問いかけて来たのは夜も更ける頃だった。
「……なにが」
求められている答えはなんとなく分かっていたが、あえて素知らぬ振りをする。手元に落とした視線の先には、憧れてやまないカヅキ先輩のインタビュー記事があった。
「つれないなぁタイガきゅんは*今日渋谷行ったこと俺っち知ってるんだからね!」
だから、見たでしょ!
ずずいっと迫る顔に雑誌を押し付けて逃げる。
「あぁもううるせぇよ!」
「その反応は見たよね!?どうだった!?俺っちどうだった!?」
雑誌越しに諦める気がないカケルの声が響く。こうなったカケルはまじでしつこい。観念した俺は、素っ気なさを装って口を開いた。
「……別に、フツー」
「はぁ?もっとあるでしょ、なんかこう*かっこよかったとか、素敵ぃ!とか、エロかったとかさぁ!」
そう言われて、無意識に昼間の液晶広告を思い出してしまう。
化粧品の、広告だったと思う。思うっていうのは、その、あんまり直視出来なかったからだ。なんで女の化粧品の広告にカケルがいんだよ、って思ったけど、問題はそこじゃなかった。
素肌にシャツだけ羽織ったカケルが悪い笑みを浮かべていた。それも、鎖骨当たりに真っ赤な口紅の跡を付けて。
脳が理解した瞬間、頭にカッと血が上ったのを覚えている。もしかしたら数分その場で放心していたかもしれない。気が付いたら液晶広告は別のものに変わっていて、我に返った俺は逃げるように大都会を後にしたのだった。
「ね、ね、口紅……妬いた?」
黙っていれば好き勝手言いやがって。そう応じようと思ったのに、口が言うことをきかなかった。きっと図星を突かれたからだ。
行為の時、たいてい決まって跡を付けたがるのはカケルの方だった。俺が気持ちよくてわけがわからなくなってる間に、身体中のあちこちに跡をつけまくって、正気に戻った俺に殴られるのは毎度のこと。
一方俺は、いつもいつもキモチイイに流されないようにするのが精一杯で、他のことなんか気にする余裕なんかない。だから、カケルにそういう跡を付けたことはなかった。
なのに、先を越されたのだ。
あの広告を見た時最初に思ったのは、俺だってまだ、つけたことないのにってことだった。仮にも、コイビトって立場の俺よりも先に、この男に印を刻んだやつがいるって考えただけで、腸が煮えくり返りそうだった。
忘れよう、そう思っていたのに、カケルはわざわざこの話題を持ち出してきた。つまり、面白がっている。さらに腹が立った俺は、いつもならスルーするところを、つい拾ってしまった。しかも、らしくない感じに。
「妬いたって言ったら?」
おめぇ、どうすんの?
予想外の返答に驚いたらしい。ちょっとだけ目を見開いたカケルは、すぐにいけ好かないにやけ顔に戻って座っていたベッドに仰向きに倒れ込んだ。ご丁寧に、両手を広げて。
「タイガもつけていーよん」
「……………は?」
けっこうマジなトーンが漏れたと思う。だけど、カケルはいつになく真面目な声で続けた。
「ほら、いっつも俺っちばっかり付けてるじゃん。たまにはタイガからもつけて欲しいなぁ、なんて」
橙の瞳がじっと俺を見つめてくる。なんだかそれが妙に気恥ずかしくて、さっきの怒りはどこへやら俺の心臓はばくばくと鳴り始めた。
「撮影してる時に俺っちやっと気がついたんだよね、タイガからまだ付けてもらえてないのに悪いことしたなぁって。だから、ほら」
誘うように大きな手のひらが、襟元を広げて鎖骨を晒した。
ぐっ、と唇を噛んで、思順する。目の前に吊り下げられた人参、もとい鎖骨から目が離せない。こんなチャンス二度とないかもしれないのに、みすみす俺は逃すのか?ぐるぐるぐるぐる、理性と欲望が頭の中を駆け巡って、鼓動はばくばく、鼓膜はわんわん喚いて俺を責め立てた。つけたい、つけない、つけたい、つけたい。
そんな俺を見て、カケルがあの悪い笑みで、鎖骨をなぞって誘う。
「ね、ここ。つけて」
ダメ押しのごとく、続けられた言葉に、あっさり理性が負ける音がして。吸い寄せられるように、鎖骨に口付ける。でもそれだけじゃ跡はつかない。コイツ、いつもどうやってたっけ。見よう見まね、カケルが自分にやっていたのを記憶から手繰り寄せて、強く吸う。ぢゅ、音とともに生まれたのは、鎖骨に咲くひとつの赤い跡だった。
ぼうっとその跡を眺めて、思わず笑みが漏れる。なるほど、所有印というのは確かだな。くらくらする頭でそんなことを思って、悦に浸る自分に少しだけ驚く。まさか、自分がこんなにも嫉妬深い人間だったなんて、知らなかった。
強請った本人は、どう思ったのだろう。
「カケ、…おわっ!?」
やけに静かなカケルに不安を覚えて、名前を呼ぼうとした途端。ぎゅっと苦しい程に抱きつかれた俺はベッドの上をカケルと共に転げ回った。
「あああ***最っ高!あの撮影受けてよかったぁ*!まさか本当にタイガきゅんがキスマーク付けてくれるなんて!俺っち、感激過ぎて泣きそう*!!!」
「クソ!離せ!バカケル!離せ!」
カケルのオーバーなリアクションで、心配は杞憂に終わったことを悟る。ぎゃんぎゃん騒ぎ立てるカケルに、落ち着いていたはずの怒りがふつふつと再び湧き上がってきて。ついに頂点に達した俺は、未だ目の前に晒されたままのカケルの喉元にがぶりと噛み付いた。
「痛ったぁ!!!」
突然の反撃に涙目で飛び上がったカケルは、俺をようやく解放してまたまた大袈裟に喚き散らした。それを横目にベッドの下に落ちた雑誌を拾って言う。
「フンっ、お前には歯型くらいがちょうどいいんだよ!」
「熱烈だねぇ*そんなタイガきゅんも大好きだよん!」
「うるせー黙れ!このクソ坊ちゃん!」
カケルのせいで無意味な時間を過ごしてしまったと、読みかけのカヅキ先輩のインタビューに再び目を落とす。だけどどの文字も、最初のように頭に上手く入ってこない。視線だけが文字の上を滑って、何度も何度も同じ箇所を辿ってしまう。
「ねぇねぇタイガきゅん。さっきからページ、進んでないね?」
にやにやと悪い笑みが俺の顔を覗き込んで。そこでようやく思い知る。ああ、クソ。俺も、同じってことかよ。浮かれたオレンジ頭にお似合いの、ふわふわなお花畑思考にもうちょっとだけ付き合うくらい、今夜だけは許してほしい。