無防備ラブファクター!
ざあざあと外で振り続ける雨。どくどくと五月蝿いくらいに鳴る心臓。ぎゅっと抱きしめてくる臣クンの力強い腕。いつもの自室と違う、慣れないホテルの匂い。どうして、どうしてこうなったんだろう。熱に侵され上手く働かない頭で、俺は必死にこの状況を打開する方法を探していた。
*****
簡単にいえば、心の準備が出来ていなかった。ただそれだけ。
臣クンと恋人という関係を初めて、ちょうど二ヶ月くらい経った頃。ちょっとしたハグとか、みんなに隠れて手を繋ぐとか、やさしくてどきどきするようなキス、とか。そういう恋人っぽい触れ合いをひと通り済ませて、そろそろもう一歩先に進もうかってなった時、俺の心は途端に悲鳴を上げた。もちろん臣クンとする、そういうことは大好きだ。嫌いなわけない。でも、臣クンが与えてくれる快感は、ハジメテの身体にはあまりに刺激が強すぎて。身体ばかりが先走って心が置いてかれたように固まってしまい、結局パニックでわんわん泣いてしまった俺は、最後までするのは卒業まで待ってほしいと言った。気持ちいいって感覚に、心が慣れて、怖くないって思うまで。臣クンがくれる快感が、全部全部嬉しいって思えるまで、時間が欲しかったんだ。
臣クンは優しいから、笑って「待つよ」って言ってくれた。太一の嫌がる事はしたくないからって、そう言ってくれた。張り詰めて窮屈そうなそこを、俺に見えないようにして、その日はふたりで抱き合って眠った。
ほんと、深夜向かい合ったベッドの上で、全裸の男がふたりして神妙な顔になって何やってんだろうな。くすくす笑う臣クンにつられて、俺も笑って。好きになったのが臣クンでよかった、心底安心した。
それが、一週間前の話。
しかし神様といういきものは、本当に気まぐれで残酷だ。俺はこの数時間で、嫌という程それを実感していた。
「太一、ちょっと買い物に付き合ってくれるか?」
発端は休日の昼下がり、リビングでごろごろしていた俺にかけられた臣クンのひとことだった。
「いいッスよ!今日はどこまで行くんスか?」
暇を持て余した俺は、一も二もなく賛成して立ち上がった。臣クンの買い出しを手伝うのは、もう日常茶飯事だ。男二十人の大所帯を支える厨房担当は、もちろん買い出しだってお手の物。だけど流石に大量の食材を買い込むには人手が足りないので、こうして寮内で暇そうにしている人に声をかけることが多々あった。
今日は俺でよかった。
弾む心持ちのまま、にこにこと笑顔で臣クンの後に付いて玄関に向かう。
「駅からちょっと離れたスーパーなんだ、少し歩くが大丈夫か?」
「もちろん大丈夫ッスよ、俺っちの体力舐めないでくださいッス!」
鍛えてるッスからね!自慢げに力拳をつくれば、
「そっか、助かるよ」
やさしい表情で微笑まれて、どきどきと一斉に騒ぎだす心臓が痛い。臣クンが誰かに買い出しの手伝いを頼む時は、決まって駅から離れたスーパーに行く時だ。安い食材がたっくさん売っていて、業務用なんかも扱っているところ。そこまでは徒歩で三十分くらい。往復一時間の、ちょっとしたデートだ。最近稽古が忙しくて、臣クンを独占出来なかった分を取り返すぞ。へへへ、思わずにやけた顔を慌てて隠して駆けだす。だめだめ、せっかくのデートなのに、子供っぽいなんて思われたくない。それでも足取りはいつも以上に軽かった。
デート、もとい買い出しは、そりゃもうスムーズに終わった。大きなカートにお目当ての食材を入れていく臣クンも、野菜の鮮度を確かめる臣クンも、レジでお会計する臣クンも、最高にかっこよかった。
俺はそんな臣クンについて、きょろきょろ食材を探したり、あちこち探索したり、見慣れない食材に大興奮したり…ってあれ?もしかしたらはしゃぎすぎて子供っぽいって思われたかも?うう、久しぶりのデートなんだからちょっとは多めに見てほしいッス……。
まぁそんなこんなで無事に会計を終えた俺たちは、大量の食材を入れたレジ袋を両手に抱えて店を出た。さぁて帰るか、そう歩き始めた途端、降ってきたのはにわか雨。すぐに止むだろうと小走りになったのも束の間、いきなりバケツをひっくり返したような激しい雨が降り始めた。天気予報では雨が降るなんて一言も言っていなかったから、もちろん俺も臣クンも傘なんて持っていなくて。地面を叩きつける雨は、俺のお気に入りの服をいとも簡単に濡らしていった。あーあ、途中まではいい感じだったのに、最後の最後でこれなんて。悲しみにくれる俺に、同じくすでにびしょ濡れの臣クンが問う。
「太一、そこまで走れるか?」
「もちろんッス!」
とにかくどっかで雨宿りがしたい。その一心ですぐに頷いた俺は、この時、臣クンが言った『そこ』が何を示すのか、全く理解していなかった。
*****
どしゃぶりの雨の中、先行く臣クンを追っかけて辿り着いた先は、何かの建物のようだった。落ちかけた日は雨雲に隠れ、あたりはすっかり暗くなっていて。掌に食い込んだビニール袋の痛みだけが、妙に現実味があった。それ以外はなんだかふわふわしていた。
建物の軒先に入った臣クンが、俺の耳元で囁く。
「フード被ってくれ」
言葉の意味がわからなくて、首を傾げていると、臣クンの手が近づいてきて。いつもより乱雑な手付きで濡れて重くなったフードを被せられた。
重さが増した頭がうっとおしくて、振り払おうとしても荷物が邪魔なせいで出来ない。せめてもの抵抗に、目線で臣クンを辿って。
「なにするんス、か……ぁ、」
後悔した。
困ったような表情で、何かを耐えるその視線に、俺が弱いのを知っててやってる。だから結局、俺は大人しく臣クンの言うことを聞くしかなくなるんだ。
「俺がいいって言うまで、下、向いてろ」
「…………うん」
開く自動ドアの向こうは、少し薄暗くてよくわからなかった。だけど臣クンは迷いなく進んで行くから、遅れないように続けて足を踏み入れる。なんなんだろう、ここ。得体の知れない雰囲気にちょっと怖気付くも、臣クンの言いつけを守って足元だけを見つめて歩いた。
突き当りで立ち止まった臣クンが、なにかを操作している時。ふと視線を感じて顔を上げてしまった。
俺を、見てる……?
そうっと窺った先、ホテルのフロントのようなところに人が立っているのが見えて、慌てて下を向き直す。もしかして、もしかして、ここ。ぽたぽたとこめかみを伝って床のタイルに落ちる雫が、くっついて小さな水溜りを作っていく。さっきまで雨に濡れたせいで冷たかった身体が、急にじわじわと熱を帯びて。その感覚に震えている俺を知って知らずか、臣クンは再び歩きだした。慌ててその後ろについて、廊下の奥のエレベーターに乗り込む。しん、と静まった箱の中で、俺の心臓の音だけがどくどくうるさくて。臣クンに聞こえてしまうんじゃないかって、急に心配になった。
何階かわからないけど、エレベーターが止まったどこかの階で降りて、またつま先だけを見つめて歩く。臣クンはずっと黙ったまんま、何も言わない。扉がたくさん並んだ部屋は、一見ただのホテルに見えるけど、きっとここは普通のホテルじゃなくて。たぶん…恋人同士がそういう行為をするための場所だ。
臣クンとはちょうど一週間前に、しないという約束をしたばかりなのに。いくら雨が降ったとはいえ、なんでここに俺を連れて来たんだろう。ざわざわと揺れる胸内は、不安か。それとも、期待か。
ある扉の前で立ち止まった臣クンが、鍵を差し込んで、部屋に足を踏み入れた。続いて扉をくぐれば、そこはふたりっきりの空間だ。
「太一、もういいぞ」
やさしい臣クンの声につられて、おそるおそる顔を上げる。そこには俺の大好きな笑顔の臣クンがいて、ほっと息をつく。よかった、いつも通りの臣クンだ。謎の緊張で強張っていた身体が、すっと解れていった。
きっと臣クンは一週間前のあの約束を覚えているし、守ってくれる。だから、俺が困るようなことは起こらない。それでいいはずなのに、いいはずなのに、心のどこかでほんの少しだけ落胆する自分がいた。
「ずっと下見てたら、首痛くなっちゃったッス」
へらり笑って荷物を降ろし、ほぼ確信がついていたことをなんでもない風に尋ねる。
「臣クン、あの、ここってもしかして、」
「…あー、うん。太一の思ってる通り、ラブホだ」
相談もなしに連れ込んでごめんな。一番近くに雨宿りできそうなところが、ここしか思いつかなくてさ。臣クンは肩をすくめてそう言った。一方の俺は、
「やっぱりッスか!俺っちはじめてッス!」
先程までの雰囲気はどこへやら。産まれて初めて足を踏み入れた空間に、一気にテンションが上がってしまい、その場でついぴょんぴょん飛び跳ねてしまった。あぁしまった、また子供っぽいことしてしまった!慌てて口に手を当てて様子を窺えば、臣クンは案の定くすくす笑っていたので、むくれた俺は臣クンを置き去りにして、先に部屋の奥へと進むことにした。
「うわー!広い!ベッドもおっきいッス!」
寮の決して広いとは言えない部屋よりも、広々とした室内に俺の声が響き渡る。隣にいる誰かの生活を気にしなくていい空間が新鮮で、バタバタと意味もなく走り回って騒いだ。中央に置かれたダブルベッドは、これまた寮のロフトベッドとは大違いの大きさで、これならふたり並んで寝ても窮屈じゃなさそうだ。なによりふかふかのシーツの肌触りが最高で、勢い良くダイブしたい衝動に駆られてしまう。が。
「太一、はしゃぐのもいいが、風呂に入らないと風邪ひくぞ」
後から続いた臣クンの一声に、はっと我に返って、今の状況を思い出す。言われてみればさっきから寒い気がするし、濡れた服は張り付いていて気持ちが悪い。ここは臣クンの意見を聞いた方が得策だ。
「そうッスね、お風呂お風呂〜って、わぁ!?」
今度はパタパタとお風呂場に近寄って、俺は思わず歓声を上げた。
「おおおお臣クン!お風呂ガラス張りッス!すごいすごい!こんなお風呂見たことないッス!」
足を伸ばして入れる程広いバスタブが鎮座するお風呂場は、一部の壁がガラス張りになっていて、お風呂に入っていても部屋の中が余裕で一望できた。あまりに豪華な仕様に興奮を隠せない俺は、またぴょんぴょんと飛び跳ねてしまって。再び臣クンに笑われてしまったけど、くしゃみひとつで我に返った臣クンから、お風呂場に押し込まれてしまった。
「ごゆっくり」
「…?はいッス!」
入り際、妙に笑顔の臣クンが気になったけど、豪華なお風呂の誘惑には勝てなかった。とりあえずお湯を溜めている間に、さっさと冷えた身体をシャワーであっためてしまおう。張り付く洋服を籠に脱ぎ捨てて、ぺたぺたと素足でタイルを歩く。シャワーのコックを捻ると、ちょうどいい温度のお湯が体を滑り、冷たくなっていた肌をほぐしてくれた。この際髪も身体も洗って、帰ったら寝るだけにしたい。手に取ったボディソープからは、なんだかとてもいい匂いがして変な気分になる。いつも通り泡立てただけで、倍以上に膨らんだもこもこの泡にひとりまたはしゃいで肌を擦る。鍛えているけどなかなか臣クンみたいな筋肉が付かない腕、腹筋、わき腹に、腰。きめ細やかな泡が体中を覆って見えなくなる。なんだか楽しくなってきて、鼻歌交じりに下半身にもあわあわと広げては擦った。やっぱいいボディソープは違うなぁ、今度左京さんにおねだりしてみよっと。なんてことを考えながら、ざばーっとシャワーで豪快に泡を流す。そろそろお湯も溜まっただろうと、ふと顔を上げ、俺はやっと気付いたのだ。
「え、ぁ……?」
ガラス越しに突き刺さる、臣クンの視線に。
そうだ、さっき散々はしゃいだじゃないか。ガラス張りの、お風呂だと。中から見えるということは、向こうから中も見えるということ。
状況を把握した頭は、一気に容量オーバーでパンクした。途端、忘れていたはずの熱がじりじりと競り上がってきて、体中を支配する。いったいいつから見られていたんだろう。一度気が付いてしまえば、気が付かなかったのが不思議な程に、臣クンの視線は熱く、ねっとりと絡みついて離れない。視線に、犯されそうで、苦しい。どこにも逃げ場なんてないのに、じりじりと後退る足が止められなくて。カッカと火照る頬は、もうシャワーのお湯などいらないほどに熱を帯び、朱に染まっていた。
たった一枚、貞操を守るには心もとないガラスを越えて、向こう側の臣クンが立ち上がり、風呂場へと入って来る。
どうしようどうしようどうしよう。
ぐるぐると同じ言葉ばかりが巡って、まともな思考が出来ない俺の頭はやっぱり使い物にならないらしい。結局、抵抗らしい抵抗も出来ないまま、あっさりと臣クンの侵入を許してしまった。
「太一、おいで」
臣クンの言葉は、魔法の言葉だから。吸い寄せられるようにその腕に捕まってしまう。
「そ、卒業までしないって、」
「もちろん」
太一の嫌がることはしないよ。
つうっと背筋をなぞられて、思わずびくびくと震える。臣クンの服に乳首が擦れて気持ちよくて、こぼした吐息に熱が混じる。腰に回された手がそっと下に降りて、尻たぶをゆうるりと撫でた。
「だけど、手を出さないとは言ってない」
「ぅ、そ……んんっ!」
息も出来ないような深いキス。苦しいはずなのに、やめてほしいのに、快感に飲み込まれるのは怖いと思っていたはずなのに。
「ん、はあっ、…ぁッ、んぅ、おみく、んっ」
どうしてこんなにきもちいいんだろう。
必死で臣クンの舌を追いかければ、ちゅうっと強く吸われて、背筋を快感が走り抜けた。
「太一、俺は太一の嫌がることはしないさ」
だから、太一から言ってほしいな。唇が触れ合う距離で臣クンが囁く。あぁ俺はなんて人を好きになってしまったんだ。分かっているのに、逆らえないのは惚れた弱みか、それとも。
「ね、おみくん。して…?」
最後にガラス越しに映った自分は、それはそれは幸せそうに微笑んでいた。