寝ても覚めても

衣擦れの音が聞こえた気がして、引き金にうっすら意識が覚醒する。
カーテンで日差しが遮られた、まだ薄暗い部屋の中。すん、と匂いを嗅げば、昨夜の名残かかすかな青臭さが鼻をついた。
まだ眠い、つづるも、ここにいたら。出かかった言葉を飲み込んで、絡めようと伸ばした腕はぽすりと空を切った。あれ、おかしいな。距離が足りなかったかと、もう一度伸ばしても、探っても。お目当ての身体には辿り着かず。ぽすぽす、シーツを叩く虚しい音だけが鼓膜に届くばかりだった。
「あ…?」
ようやく開き切らない瞼を擦って確認すれば、情事のあと一緒に力尽きて眠ったはずの恋人の姿はなく。自分が取り残されたことを知った。
「ばーか」
なんとか起き上がって、重い腰をさする。一晩共にした可愛いかわいい恋人をこんな風にほおって、自分だけさっさと日常に戻っていくなんて、薄情にもほどがある。仮にも芸術家なんだから、もっとこう情緒とかなんとかあるだろ普通。ま、そんなとこも可愛いんですけど。
「あーお腹減った…」
昨夜は情事の準備のために夜食は食べていない。流石に最中にクソなんか出たら、それこそ情緒もへったくれもないからね。そういうとこには気が利くのよ俺。ふふん。
……朝飯食うか。途中立ち寄った洗面台で、寝癖だらけの汚い顔が映ってぎょっとする。とりあえずさっと洗い流しせば、腑に落ちずむくれた気持ちも少しだけすっきりした。
と思っていたのに。
「はよー」
「至さんおはようございますっ」
「イタル!おそようネ〜!お上りさんダヨ!」
「咲也、シトロンおはあり。あとシトロンそれお寝坊さんな」
リビングに入った瞬間俺に気が付いて挨拶をくれる他のメンバーとは違って、臣と談笑に夢中な恋人を見つけて、再びむっと嫌な気持ちが競り上がる。俺のこと置いてったくせに、何楽しそうに話してんだよ。しかも俺に気が付かないとか何事?信じられない。
イライラした気持ちのまま、咲也とシトロンに続いてダイニングテーブルに腰かければ、そこでようやく気が付いたらしい。
「あっ至さん!おはようございます、今朝食準備するっす」
なんて呑気に話しかけてきやがった。
あー!気に食わない気に食わない気に食わない!俺のこと置いてったくせに俺に気が付いてなかったくせにそんな優しいそうな笑顔向けてくんなっつーの!しかも俺がめっちゃ好きな甘やかしてくれる時に見せる笑顔とかずるすぎだろ!昨日もそれで流されました!めっちゃ気持ちよかった!あああ気に食わない!でも一番気に食わないのはたったひとはにかみで全部許してしまいそうになった自分だわ!
これじゃだめだ、一矢報いねば。俺の気が済まない。もはや八つ当たりのような何かで綴の方をキッと睨めば、その何かを察したのか綴は気迫に負けて一歩後退った。
「綴は?」
「…へ?」
「綴はもう食べた?」
「いや、まだっすけど…みんなの準備してたら食べ損ねちゃって」
「じゃあ一緒に食べよう、ここ座って」
有無を言わせぬ口調で、真向かいの席を指さす。
「は、はぁ……わかりました、もってきます」
「よろー」
思わずガッツポーズしそうになって、慌てて内心に留めた。なんとかしてあの綴に仕返ししてやりたい。俺の決意は岩よりも固かった。
「はい、これ至さんの」
「さんきゅー」
朝食のプレートを受け取って、行儀のいい綴にならって手を合わせる。
「いただきます」
「いただきます」
今日はトーストに半熟目玉焼きにウインナーとフレンチサラダ。さらに冷製コーンスープも付いている。相変わらずえげつなくバランスのいい食事だ。半熟目玉焼きを口にしながら、ちらりと目の前の綴を観察するとこっちには目もくれずトーストを齧っている。しめしめ、いい具合に油断してるな。
そのままじっと熱心に綴を見つめていると、俺の視線に気が付いたのか、ふと綴が俺を見た。
――今だ!
つ、づ、る。声なき吐息で名前を呼んで。狭いテーブルの下、今にも触れそうだった素足にそっと自分のそれで触れた。固い骨ばった足の甲を柔らかい親指の腹でやさしく撫でて。すりすりと気まぐれを起こした猫のように、誘うように何度も擦り合わせる。極めつけに両の足をふくらはぎに絡ませて撫でてやれば、きっと綴の頭の中は昨日の激しい行為を思い出――
ガタンッ!
大きな音がして、した後にそれが椅子の倒れた後だと知り。ハッと目の前の綴に目を向ければ、いつの間にやら立ち上がっていて。その顔は可哀想なほど耳まで真っ赤に染まっていたのだった。
「つづ、」
「ご馳走様でした!!!」
叩きつけるなり脱兎のごとく逃げたした綴に、ぽかんと一瞬取り残された俺たちは。数拍置いて、ようやく事態を飲み込んだ。どうやら綴に何かあったらしいと。
「えっちょっと、綴くん!?」
「ワーオ、ツヅルどうしたネ?」
「……っ、ふ、」
「…至さん?」
「あっはっはっはっは!!!」
騒ぎ立てるメンバーの中で、ひとり状況を把握した俺は込み上げる笑いを押されることが出来ず、それも心配されることになるのだが。俺は予想以上に可愛い姿を見せてくれた恋人にご満悦で、それどころじゃなかった。
あーほんと、これだから大嫌いになれないってね!