夢想にくちづけを

「ねぇ龍臣くん、私、あなたが好きだ」

今にも泣き出しそうに眉をひそめ、両目を固く瞑った苗字さんが俺の袖を掴んだ。
彼女が弱気な姿勢を見せたことは今までにも何度かあった。少しだけ胸を貸してと、そう言って力無くもたれ掛かる彼女に付き合って、そのまま二人で眠り込んで、気付けば朝になっていたなんてこともあった。でも、今日の苗字さんはその時の何倍も辛そうに見えて、そんな彼女の口からいつもは甘えた声で奏でるはずの「好き」という言葉が飛び出すものだから、俺は驚いてしまった。

「どうしてそんなに苦しそうなんですか……?」

いつもと明らかに様子の異なる苗字さんを抱き寄せると、彼女は抵抗することなく俺の胸元へと顔を埋めた。返答に困っているのか、彼女からの返事は無い。

「俺も好きですよ。苗字さんが大好きです」

そう言って顔を下げたままの苗字さんのつむじに軽くキスを落とすと、彼女の肩が少し震えたのが分かった。

「たつおみ、くん。龍臣くん、龍臣くん」
「はい。苗字さん、俺はここにいますよ」
「……っ、う、……たつおみく、ん」
「苗字さん」

ぎゅっと抱きしめると、苗字さんも俺の背中に腕をまわして強く抱きしめ返してきた。それがまるで縋りつく子供のように小さく思えて、この人はいつか俺の知らないうちに消えてしまうんじゃないかと少しだけ不安になって、そんな不安ごと抱き潰すように苗字さんを抱え込んだら「たつおみくん……くるしい」と彼女が小さく鳴いた。

「すみません」
「ううん、……もっと、ぎゅってして」
「苗字さん……」

望み通りもう一度抱きしめると、苗字さんは俺に頬をすり寄せて息を吸い込み、沈むようにゆっくりと息を吐いてもたれ掛かってきた。

「龍臣くん、大好きだよ」
「俺も大好きですよ」
「……全然言い足りないの。返事しなくてもいいから、たくさん言わせて」

そう言って苗字さんは「すき」と「だいすき」と「龍臣くん」を確かめるように何度も囁きはじめた。その度に俺も「すき」と「だいすき」と「苗字さん」を囁き返すと、苗字さんは俺の胸に額を擦り付けては声を押し殺して泣いていた。何も言ってくれない以上、俺からもそれ以上どうすることもできず、ただただもどかしい。

「龍臣くん、触らせ、て」

両手を伸ばして俺の頬に手の平を触れさせた苗字さんの目から、溢れてしまった涙が落ちた。
苗字さんの手から伝わる体温が俺の頬から内側へと染み込んでいく。頬から耳へ、鼻へ、唇へ、額へとひとつひとつのパーツを確認するかのように指を滑らせる彼女が、どうしてこんなに苦しそうな顔をしているのか分からない。
彼女の指が俺のうなじへ触れたとき、俺もまた彼女の頬へと手を触れさせて見つめ合った。

「…………苗字さん」

流れるままに奪った彼女の唇がわずかに震えていた。そのことが、やけに記憶に焼き付いている。

結局、あなたが泣いた理由は分からずじまい。