八月のペトリコール



「苗字さん、あれが初めてじゃなかったんですか…!?」

驚きの声を上げる龍臣くんを下敷きにしながら、彼の発言に呆気にとられること数秒。言葉を無くした私の表情から察したのであろう龍臣くんは、心底驚いたとばかりに目を丸くしていた。

「あのねぇ、初めての女がこんな風に馬乗りに跨ってシャツのボタン外してくると思う?」
「だ、だって……それはその……」

ごにょごにょと口ごもる龍臣くんの考えていることが手に取るように分かる。馬鹿、AVの見すぎだ。夢を壊して悪いと思う気持ち半分、呆れ半分。付き合っていてそのへん気付かないものかな。

「てことは、やっぱり苗字さん今まで彼氏とか…」
「普通にいたし、龍臣くんぐらいの時にはとっくに初体験終わってたよ」
「へ、ええ…!」

驚きの顔を見せる龍臣くんの晒された胸元へ倒れ込み、息を吐く。色んな意味でなんだか少しショックだ。この人はどうも、この手の話のときだけは頼りなくなる。そのギャップも含めて好きではあるが。

「ばか」
「え!? な、なんで…んぐ!」

襟を掴んで少し乱暴に口付けると、龍臣くんがさっきまで飲んでいたオレンジジュースの味がした。甘くて酸っぱい果汁の味。子供の頃を思い出しそうになって、思わず眉間にシワが寄った。
何か言おうとしてかわずかに口を開いた龍臣くんの口内へ素早く舌を滑り込ませ、隙間もできないほど深くキスをする。鼻から抜ける甘い声が彼の脳髄まで響くように、呼吸の仕方を忘れてしまうように。ゆるりと龍臣くんの頭をかき抱いて密着すれば、彼の息がたちまち荒くなっていった。ここまでくれば、もはや彼の頭の中は行為への期待でいっぱいだろう。ゆっくりと離した唇の先は湿り、私と彼との間に銀の糸が引かれた。

「私、そんなに頼りなかった?」
「……そ、そんなことないです……」

汗ばんだ彼を見下ろし、彼の頬から首へ、鎖骨、胸にと人差し指を滑らせる。龍臣くんは馬乗りになったままの私の膝へおずおずと手を重ね、柔らかな太ももの感触を確かめるようにそっと撫ではじめた。目を見れば、もう一度キスをしてほしいと言わんばかりの顔。でも今日はもうしてあげない。少なくとも私からはね。

「やらしー顔」
「ぅ……、苗字さん……」

目を細め、龍臣くんの手から逃げるようにずり下がれば、すでに盛り上がった龍臣くんの膨らみが私を押し上げた。分かりやすく口を噤む龍臣くんを焦らすように丁重に手の平で膨らみを撫でる。ベルトに手をかけ金具を外したところで、龍臣くんがふいに私の手首を掴んだ。どうしたのかと顔を上げると、ほんの少し眉間にシワを寄せた龍臣くんと目が合った。

「…………」
「……龍臣くん?」
「苗字さんは……。…………いや、やっぱり何でもないです」

一瞬、龍臣くんが考え込むような顔をしたかと思えば、次の瞬間には私の視界は反転していた。目の前には彼の瞳がふたつ。この人は相変わらず綺麗な目をしているなぁ。そうぼんやりと見惚れている間に、龍臣くんが私との距離をグッと縮めた。鼻先が触れ合い、息を呑むような少しの沈黙が二人の間に流れる。あと一歩どちらが先に踏み込むのか、どちらを先にその気にさせるか探り合い、じりじりと焦がれるような空気が部屋の温度を上げていく。私はこの空気が好きだ。彼の熱い吐息が異様に近く感じられて、私の体も熱を帯びていく。わずかな嫉妬や苛立ちがいつもよりもそれを増大させていることに龍臣くんは気付いているのだろうか。

「んっ…」

先に動いたのは龍臣くんだった。優しいようで少し粗さの見えるキス。早々に口内へと侵入してきた彼の舌を拒むように押し返すと、させるものかと一層深く口付けられ、音を立ててかき回された。龍臣くんの背中に手をまわせば彼もまた私の頭に片手をまわし、もう一方の手で私のワンピースを一気に胸元まで捲り上げると、曝け出された胸に手を這わせ、大きく厚い手の平で押し上げるように揉みしだきはじめた。

「んっ、ぁ……は」
「っ……ふ、ふー……」
「たつおみく……、んっ……もっと」

胸の先を摘まれ、反射的に声が上がる。何度も角度を変えて押し付けるようにキスをされ、潰れてしまいそうだった。でもそれが気持ち良くて、嬉しくて、抱きしめる腕の力を強めると、龍臣くんもさらに体を密着させて求めてきた。
可愛い人。もっと求めればいい。溺れればいい。欲深くなってほしい。可愛い嫉妬で濡れさせてほしい。今は俺のものだと確かめて、私の中に荒々しく突き立ててほしい。あらゆる願望と我儘が頭の中に渦巻いていく。

「……っは、はぁ、はー……」
「んふ……」
「苗字さん……っ」

なぁに、龍臣くん。そう答えるよりも先にまた口を塞がれて舌を吸われた。荒い呼吸を時折吐きながら夢中で吸い付く龍臣くんに応え、私の口からも甘い吐息が零れていく。龍臣くんがまさぐっていた手を止め、煩わしいと言わんばかりの手付きで自分のズボンと下着を強引に引きずり下ろした。既に固く膨れ上がった自身を私の下着越しにグリグリと押し当てる彼は今にも達してしまいそうに見えて、必死な様子の龍臣くんとは裏腹に、私の頭は冷静になっていった。

「龍臣くん、待って」
「……っ、待てません」
「そうじゃなくて」
「……?」

"待て"じゃないとしたら何なのだと訝しげに様子を窺う龍臣くんに向かってニヤリと微笑みかけ、「脱ぐから」とわざとらしく囁いて下着に手をかけてみせると、理解した龍臣くんの視線が私の下腹部へと集中した。床に向けて下着を放り出し、脚を広げて最大限に誘惑する私の上に襲いかかった龍臣くんは、食いしばった歯の隙間からフーフーと唸るように息を漏らし、避妊具を着けることも忘れて、先走りを滴らせた行儀の悪い肉棒をじっとりと濡れた割れ目に押し込んだ。

「っう…! っは……、苗字さん…!」

ああ、手のかかる子供みたい。快感に身悶えぶるぶると震える龍臣くんの腕に指を滑らせながら「中で出しちゃダメだよ」と言ったものの、それが龍臣くんの耳に届いたかどうかは分からなかった。


君は想像もしてないでしょうけど、あんな事やそんな事だって色々してきて 今の私がいるのです

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