庭にある
一際大きな木の上。短い手足を必死に動かしてゴリ子はてっぺんを目指していた。けれど、小さい体からするとてっぺんは宇宙ほどに遠く、諦めたように移動した先は突き当たりの枝だ。
使用人が一生懸命選んでくれた着せた白桃色のワンピースも、ところどころ土に汚れ、レース部分はほつれてしまった。そんなこと気にもとめずお尻を太い枝へと到着させる。
地上を見下ろせば、一番低い枝といえど高さはそれなりにあり、落ちてしまえば怪我ではすまないだろう。幹にもたれかかり、足をぶらぶらとさせていると、不意に下から声があがった。
「探しましたよ、お嬢様!」
鼓膜を震わせる甲高い声に視線だけ動かすと、木の下から怒り顔した女性がこちらを見上げていた。ゴリ子は現れたのが彼女だったことを確認して落胆してしまう。
「なんだあ、エレーネかあ」
「なんだとはなんです! またそんな所に登って!」
小さい呟きもすぐさま拾いあげる地獄耳っぷり。落胆しながらも、その事実がゴリ子は少しだけ愉快だった。
自分よりずっと年上女性は厳かなふりをしているが、その実何もないところですっ転ぶ特技を持つおっちょこちょい人間だ。そんなドジっ子を物心ついた頃から見てきているゴリ子としては、どれだけ凄まれようと「こわい」という感情には至らない。
「危ないから降りてきてください!」
「やだ」
「お嬢様!」
他の使用人であればゴリ子が降りる際に落下しては困るからと連れ戻しにくるが、このエレーネという女。ドジっ子に加えて高所恐怖症であった。それも、はしごさえ登れず足元不安定な脚立さえ乗ることができないくらい重度の。踏み台程度なら大丈夫だと言うが、それでよくこれまでの人生を歩めたものだと感心する執事長を見たこともある。
どうせエレーネは登ってこれない。そう確証があるからこそ、ゴリ子はその場から動こうとはしなかった。
「――またやってるのか」
エレーネとゴリ子の高さある攻防は数分と続き、いよいよエレーネが泣き出しそうになった頃だ。ゴリ子は耳の中へと飛び込んできた声を捉え、弾かれたように顔を動かす。エレーネの後方十数メートル先、呆れたような表情で男性がこちらに向かって来ていた。
黒髪を遊ばせることなくきっちりとオールバックにまとめ、蓄えた顎髭も綺麗に整えられている。眉だけは色を抜いていながら、誠実さはまるで変わらない。
体格もよく強面ではあるが、どことなく険しさを抜いた彼の姿を目にした瞬間、ゴリ子の表情は明るくなった。
「ヒィ! お嬢様ァ!?」
紅潮する頬を隠すこともせず、それまで梃子でも動かなかったはずのゴリ子は、自らその身を投げ出していた。そんなことしてしまえば小さな体であれど、重力に従う。その先の展開は想像に難くなく、当然嫌な結末を確信したエレーネは悲鳴をあげながら顔を覆い隠した。
対するゴリ子は反射的に目を瞑ってしまうが、そこに恐怖は存在せず、口元を緩めたままだ。
――やがて、体の落下速度はやんだ。しかし、衝撃は全くない。むしろ、一切のダメージを与えることなく柔らかに体は受けとめられ、ゴリ子は両瞼を持ち上げる。
ゴリ子を受けとめたのは十メートル先に居たはずの男性だ。見下ろしてくる彼と視線がかち合ったと同時に喜びが全身から広がり、ゴリ子は飛びつくようにその首に腕を回した。
「おじさま!」
力のあらん限り抱きついていけば、彼は一瞬身を強張らせたものの諦めた表情でされるがままだ。元気いっぱいなゴリ子の声を聞いてか、エレーネはおそるおそると両手の隙間から目を覗かせた。
ゴリ子が無傷であることに気づいて、エレーネはとうとう両目から涙を噴き溢し駆け寄ってくる。
「お、おじょうさまあぁ……ごぶじでぇえ」
「おじさま、助けてくれるって信じてた! ありがとう!」
情けない顔で縋りついてくるエレーネの存在など眼中にもなく、ゴリ子は「おじさま」に頬を寄せる。綺麗に無視されてもエレーネはめげることなく、ゴリ子から男性へと視線を移した。
「恩に着ますツェズゲラどのぉ……」
「……大したことはしていない」
ツェズゲラはゴリ子を横抱きにしたまま、泣きついてくる女性になんとも言えぬ表情を浮かべた。静かに言葉を返しながら、すり寄ってくる小さな子どもに困り果てていることが窺える。
彼の表情に潜む疲れをいち早く察知したエレーネは、すぐさま彼を解放すべくゴリ子へと向き直った。
「お嬢様、お部屋に戻りますよ! 先生がお待ちなのです!」
「エレーネうるさいわ。今おじさまといちゃいちゃしてるんだからこっち来ないで」
ツェズゲラとの時間に割り込まれ、ゴリ子は不機嫌そうにエレーネを睨むが、彼女は引き下がることなく彼の腕を引っ掴む。突然のことにツェズゲラはぎょっとした。
「そんなわけには行きません! 今日こそはちゃんとお勉強しないと私が叱られるのです!」
「ちょっと! おじさまにさわらないで!」
「お嬢様がお部屋に戻るのなら離します! そうでないなら私もツェズゲラ殿に抱きついちゃいますよ!? いいんですか!」
「おい、なにを……」
自分そっちのけて押し問答を繰り返す二人にツェズゲラは引き攣った顔で制止に入ろうとするも、どっちも聞く耳持たずといったところだ。
ゴリ子の怒りをものともしないエレーネは、本気で両腕を広げツェズゲラへと迫る。ツェズゲラがゾッとして半歩退こうとした瞬間、ゴリ子が折れた。半ギレ状態で腕から抜け出て着地した彼女を、エレーネは勝ち誇ったように見下ろす。
「さあお嬢様。戻りましょう! ツェズゲラ殿、失礼します!」
「あ、ああ……」
ふぐのように頬を膨らませるゴリ子はエレーネによって引きずって行かれる。記憶に間違いがなければ、エレーネは雇われた身であるはずだ。しかし、今のように意外と雇い主の娘をぞんざいに扱っている節がある。それでも、それがまかり通っているのは暮らしている年数によるものか……。
まるで嵐のようなふたりを、ツェズゲラは黙って見送るしかできなかった。
ツェズゲラがこの屋敷にはじめて訪れたのは、まだほんの数ヶ月前だ。元より、彼は屋敷の主の護衛として雇われたはずだった。
マネーハンターとして功績を上げ続けた彼は、過去グリードアイランドのプレイヤーでありながら生還し、第十三代ハンター協会会長総選挙では一定の支持者から投票を得ていた。ゴリ子の父もそんな彼の業績を聞き、ある種で支持者となった一人だ。
今回携わる仕事が危険を伴うものであり、ちょっとした懸賞首も現れるから、と雇われたはずなのだが――。なぜこんな
子守をするはめになってしまったのか。思い出したくもない数ヶ月前のことを、ツェズゲラは思い出すことでいっそ消してしまいたかった。
まだ仕事を請け負う前の段階で、依頼の打ち合わせをしている時だった。当主であるゴリ子の父親はどういった任務であるか、ツェズゲラに如何なる利益をもたらすかを説明し、交渉してきた。
交易も担っている当主は国外での取引も多く、より円滑に済ませることが望みで、潜む危険因子をツェズゲラや他の護衛者に排除してもらいたいと述べた。
仕事の内容としては申し分ない。報酬も護衛としてだけでなく、賞金首を捕らえることで得ることができる。ちょうど、一仕事終えたあとの肩慣らしとしては十分だとツェズゲラは二つ返事で請けた。そんな折り合いで――、ゴリ子と出会ってしまったのだ。
「おとうさま!」
「駄目ですってば、お嬢様!」
応接室の扉を不躾に開け放ち飛び込んできた少女にツェズゲラは思わず眉を顰めた。
年齢は凡そ十前後。当主には今年九歳になる娘が居ると聞いている。となれば、この無作法者は雇い主のご令嬢というわけだ。
娘はツェズゲラをつま先から頭のてっぺんまで品定めするように見つめてきた。若干の苛立ちを感じはしたが、ここはツェズゲラが大人にならねばならない。全く純粋とは言い難い子どもの視線に耐えることを決めた。
「ゴリ子、今は大事な会議中だ。あとにしなさい」
「どなた?」
「ゴリ子……」
当主は厳格な父親を気取ろうとして失敗していた。外では凛々しい男も愛娘を前にすれば骨抜き状態だということは予め知っていたが、ここまでだとは思いもしなかった。
注意してくる父親を完全にスルーし、少女はツェズゲラを見上げる。大きな丸い瞳は、先ほどよりも澄んだ色をしていた。
「彼はツェズゲラ。今度私の仕事についてきてくれる方だ」
「ちぇず……? 変な名前!」
「お嬢様! 失礼なのです!」
舌を噛んだことが悔しいのか、令嬢は一瞬しかめっ面を作ったあとそう吐き出した。
変な名前とまで言われながらも、ツェズゲラは冷静を保った。ここで大人気なく怒りを見せてしまえば、プロハンターとしての沽券に関わる。
無言のまま見下ろす彼をつまらなく思ったのか、令嬢はもはや興味ないとばかりに父親へと向かう。
「お父様、約束覚えてる? 今日は一緒にお食事の日よ! 隣に座っていいんでしょっ?」
「ああ、覚えてるとも。今は大事なお話をしているからまた後で話そう」
寄ってくる娘の頭を父親は優しい手つきで撫でた。その表情は、子どもを甘やかす父親そのものだ。
親子水入らずの空間に僅かな居心地悪さを感じツェズゲラは視線をそらす。令嬢を制止していた使用人らしき女は話がついたと判断したのか、少女を引っ掴むや否や部屋を飛び出した。
これが、ツェズゲラとゴリ子の初めての対話だ。
この時点ではまだゴリ子が彼に懐いている素振りは微塵もない。ではなぜ、ああもゴリ子がツェズゲラに懐いているのか……。たしか、あれは二人が対面した翌日のことだった。
結果から言えば、父親は娘との「約束」とやらを後回しにし、仕事の打ち合わせを優先させた。当然、料理が並ぶ食卓に父親が現れることがないまま娘は広いテーブルにつき一人で食事をすませたと言う。
よくあることだと使用人たちは言っていた。部外者であるツェズゲラ自身、それもそうだと他人事でいた。けれど、娘はそうではない。度重なる約束の反故に幼い心は何度も傷ついたのだろう。
そこで泣き喚く子どもではないのが、彼女ゴリ子だった。父親に負の感情を抱いたゴリ子がとった行動は――、“木登り”。
自分より大人たちより高い木へと登ったゴリ子は、今に比べると不安定で今にも落ちそうなくらい覚束ないバランスのままよじ登っていった。もちろん使用人の何人かは止めていたが、これまで我が道を邪魔されることなく進んでいた娘が聞く耳を持つわけなどない。
女の金切り声に気づいたときには、ゴリ子は完全にバランスを崩し落下していた。悲鳴は上がるが、誰ひとりとしてその体を受け止めようとする者はおらず……。
ほとんど無意識にツェズゲラは動いていた。足にオーラを集中させ、勢いよく地面を蹴り上げる。垂直跳びの応用で、瞬時に子どもの落下地点へと滑り込んだ。
叩きつけられるより速く小さな体を抱きとめれば、呆然とする少女の顔が視界へと広がる。無傷な令嬢の姿に誰もが胸を撫で下ろした。誰より安堵しただろう子どもは、唇をきゅっと結ぶなりツェズゲラを睨みつける。
「余計なことしないでっ!」
出会ったときから生意気というか、わがままな子どもだとは思っていた。つまらない反抗心を恥ずかしげもなく振りまき、気に入らないものを気に入らないと言いのたまう可愛くない子どもだと。
正直に言えばツェズゲラはこの子どもに関心など一切抱いてはいなかった。雇い主のわがままな娘。ただ、それだけだ。たったそれだけの存在だからこそ――、堪忍袋の緒というものが切れてしまった。
「余計なことをしているのはどっちだ!」
昨晩の冷静さはどこへやら。カッチーンっと来てしまった次の瞬間、ツェズゲラは怒鳴ってしまっていた。
大きな両目をより大きく見開く子どもと、青ざめる使用人たちなど、気にする余裕などないまま、小さな体を地面へと下ろす。
「オレが居なかったら、怪我だけじゃ済まなかったかもしれないんだぞ!」
これが甘やかしの結果であるというならば、ツェズゲラは決してこの子どもに頭を下げたりはしない。下手すれば死んでいたかもしれないあの状況で助けたことが「余裕なこと」ならば、この子どもを守る理由などないのだ。……そもそも、彼は父親の護衛であって子どもに関してはノータッチでいい。それでも助けてしまったのはツェズゲラが腐った人間ではないから。
――そう、ツェズゲラはハンターである前にひとりの「人間」だ。無力な子どもが危険な目に合っていて見過ごすことなどできるわけがなかった。
「死にたいんならオレの見えないところでやれ!」
三度怒鳴ったところで彼は我に返った。視界には、目に涙を浮かべて見上げてくる少女の姿が映る。小刻みに震える体と涙ぐむ子どもは、小さな手でツェズゲラの服を握りしめた。
「ご、ごめんなざいぃ……ッ」
両目と鼻穴から液体を流す娘は、やはりツェズゲラからすれば「ただの子ども」だ。泣き喚く彼女にもう怒りなど抱けず、ツェズゲラは手のひらにおさまるサイズの頭を軽く撫でた。
――ゴリ子が彼を「おじさま」と呼び、懐き始めたのはこの時からだったと思う。それまで彼女の大人への反抗的態度はとてつもないものだったらしく、父親でさえ驚きに染まったくらいだ。
「ゴリ子が誰かにここまで信頼を寄せるのも珍しい」
そんな理由から、ツェズゲラは当主への同行ではなく「まさか」の屋敷護衛へと変更させられた。当主がいない間の留守を護る役目。それは改めて依頼された仕事だった。
いわゆる“お留守番”の報酬は、はじめに提示された金額を遥かに上回るもので利益自体はプラスとなっている。マネーハンターとしては申し分ない金が振り込まれたわけだ。
しかし、プロハンター。それもシングルハンターであるツェズゲラが“子守”だなんて……。複雑に淀む心境を抱え、ツェズゲラは記憶を脳内の引き出しへと片づけた。
◆
「も〜、お嬢様まだ怒ってるんですか?」
自室へ戻り家庭教師のあと、礼儀作法のレッスンまでしっかり受けたゴリ子は椅子に腰掛けながら思い出したように頬を膨らませた。
目の前には美味しそうなクッキーが並べられており、エレーネがホットココアを添えてくれる。甘味物質への欲求を刺激する甘い香りに頬の筋肉が緩みそうになるも、ここで絆されてはならないとふぐ状態を保った。
「おやつ要らないのなら片づけますよ」
「いるもん! 食べる! エレーネのあんぽんたん! ドジっ子!」
ワッと怒りを吐き散らし、ゴリ子のふぐは即座に萎んでしまった。
クッキーを一枚つまみ取り、齧る。さくさくした食感と広がるバターの風味が気に入ったのか、不機嫌丸出しだったはずのゴリ子は頬を弛ませた。
単純なほどの表情の変化にエレーネもこっそり笑みを浮かべる。わがままなお嬢様ではあるが、小さな頃から傍に居る身としては憎らしさなどなく、むしろ困った妹の世話をしているような感覚だった。
「お気に召しました?」
「ええ! これとっても美味しい! エレーネも食べてみて!」
「私は先に頂きましたので、これはお嬢様の分ですよ〜」
「なにそれ。ずるい!」
嘘ではない。毒味という名目で、エレーネはすでに食している。けれどそういった「大人の事情」をゴリ子に告げる必要性などなく、エレーネは美味しかったと言わんばかりの表情を浮かべた。
また少しだけ拗ねたゴリ子だが、甘やかされて育ちながら他者に分け与えようとする性質は生まれついたものだろう。蝶よ花よと育てられた一人娘が気に入ったものを独り占めしようとするのは今の所、ツェズゲラくらいだ。
「おじさまもおやつは頂いたかしら」
「お嬢様は本当にツェズゲラ殿がお好きですね」
エレーネが思考内に名を出した途端これだ。
ゴリ子はエレーネのゆったりした言葉に「もちろん!」と満面の笑顔を浮かべる。お転婆でわがままなお嬢様の、子どもらしい笑顔というものはここ数ヶ月でようやく戻ってきた表情だ。
――きっと、これもあのおっかない顔をしたツェズゲラのおかげなのだろう。エレーネは屈強な体つきの強面を脳内に浮かべ、なんとも言えない気持ちを抱いた。
当主であるゴリ子の父は娘を溺愛してはいるが、それはやはり甘やかしの延長でしかなく機嫌取りにも近い。エレーネ含め使用人たちは当然雇われの身であるから一線を踏み越えられない立場にある。自分たちでは絶対にゴリ子と心から向き合うことは無理だった。
なぜなら、屋敷に居る誰もがこの小さな子どもを傷つけられないから。
ゴリ子が六歳の頃、奥方が他に男をつくった。妻の不貞に当主は激昂したが、幼いゴリ子を思うと母親は必要だと説得を試みるも、彼女の思いは変わらず。縋るゴリ子を振り払って奥方は屋敷を飛び出した。
この出来事を皮切りに、彼女のわがままが激しくなった。母親に捨てられた事実は、幼いゴリ子の心を酷く傷つけたはず。屋敷内は、ゴリ子の心を案じ、彼女のわがままに振り回されることを由としてしまった。
だからこそ、当主はゴリ子の笑顔を引き出せるツェズゲラという男を選んだ。ゴリ子を愛しく思うエレーネとしては気に入らない事実ではあるが、ゴリ子のためならば仕方ないのだろう。
「明日はどこに隠れようかな〜」
「駄目ですよ、お嬢様。明日は真面目にお勉強してもらわないと!」
「明日も勉強なの? やだ!」
「いやではありません! レディとして教養ある行動をですね……」
「エレーネうるさい」
「お嬢様!」
――その夜。交易に出ていた当主が傷だらけになりながら帰宅したという報せがエレーネの耳にも入った。
◆
「内部に、スパイが居る」
「!」
すぐさま適切な処置を施されベッドの上に横たわった当主は、ツェズゲラと数人を室内に呼ぶや否や、言葉を投じた。
室内にはツェズゲラの他に、彼を手当した医者と執事長、エレーネのみが居る。四人が四人とも当主の言葉に驚きを表現した。
「取引は全て手筈通りだった。しかし、排除したはずの脅迫者は影武者。私はこの程度で済んだが、相手方は皆殺られてしまった」
排除した脅迫者というのが今回ツェズゲラが利益にできたはずの賞金首だ。脅迫者ヘンリー。彼は脅迫文を標的に送り込み、確実に皆殺しにする。これまで彼の手にかかったのは富豪や権力者ばかりで、殺しだけを目的とし、金品などは狙わないと言う。
多くはないが生き永らえた者もおり、そのいずれもが植物状態であったり、後遺症により身動きがとれない状態であったりする。
「おそらく、私がまだ“生きている”ことは、ヤツにも伝わるだろう」
「内通者について、目星はついているのですか?」
脅迫者ヘンリーに遭遇しながら殆ど無傷である当主をみつめ、ツェズゲラは問うた。内部というのは恐らく屋敷内だろう。使用人だけでもそれなりの人数が居る。内通者が一人だとも断言できず、動きは最小限に抑えるべきだとツェズゲラは判断した。
「正直に言えば、この屋敷に居る誰もが疑わしい」
当主は、低い声でハッキリと言いのけた。
この屋敷に居る、誰もが……とは、つまりツェズゲラはもちろん、執事長もエレーネも疑いの対象であると言える。どこか力ない表情で彼は天井を見上げていた。
「私は決していい
主ではない。恐らく外へ出れば、善からぬ感情を抱く者はごまんと居るだろう。――それは、屋敷内でも同じだ」
執事長もエレーネも、否定はしなかった。医者の医療道具を片す音だけが室内に響く。
屋敷全体が疑わしい。そう言う主はツェズゲラ自身何人も目にしてきた。生活する場所、外敵から身を守るための壁内。本来ならばどこに居るよりも安心できるはずなのが“自宅”だ。けれど、使用人という他者を抱える
当主からすれば、自宅でさえ外界と変わらないのだろう。
淡々と言葉を紡ぐ当主を前に、ツェズゲラはふと自分を慕ってくる小さな存在を脳裏に浮かべた。
「だから、君たちには私ではなく……ゴリ子を護ってほしい。私にとって、何よりの宝は――あの子だ」
何も知らないまま自室で眠りについているであろう少女へと思いを馳せる彼は……、出会ってから今まで変わることなく“父親”の顔をしている。
ツェズゲラは彼を子どもとの約束さえ優先できない父親だと認識していた。甘やかすだけ甘やかして、ちゃんと教育しない親。ずっと、そう感じていた。
けれどゴリ子は叱れば謝るし、何か与えればきちんと礼を言う。当たり前なことではあるが、その当たり前ができるということは「育っているから」だ。つまり、彼に足りないものは「子どもと向き合うこと」。
彼は娘が何よりの宝だと言った。我が子を「宝」と表現できるのなら、それだけで生きる理由になるはずだ。
「(あの娘は、独りになるべきではない)」
娘を守るため、自身の防御壁を取り払おうとする父親をツェズゲラは「愚か」と称した。彼を殺せば脅迫者は満足するのかもしれない。……しかし、それではなんの解決にもならないのだ。
短い期間であるが、どれほど約束を忘れられようと必死で父親とぶつかろうとする娘の姿をツェズゲラは何度も見てきた。それが意味するものは、彼女が父親を必要にしているということ。
“心”まで守れずして何が「宝」か。
ツェズゲラは、かつて最愛の人を失い自暴自棄になってしまった男をこの目で見た。失意の中、注いでいた全てを放棄した姿は、ツェズゲラにも僅かな衝撃を与えたほどだ。
子どもは、ただでさえ構って欲しさに危険を冒す無謀さを持つ。そんな彼女が繋ぎ止めるためにしがみついている存在を失ってしまえば――、おそらく。
最悪な未来を想定し、ツェズゲラは一歩前へと出た。この場に居る誰もが当主の言葉通りゴリ子を優先させようとしている。それが、彼女を“護る”と信じている。
「ツェズゲラ殿?」
エレーネが訝しげに名を呼ぶ。
彼女に反応せぬまま当主を見据えるツェズゲラを阻止するかのように、負傷した使用人が室内へと転がり込んできた。
「旦那様! お嬢様が――!」
突然の乱入者に対して身構えたツェズゲラたちは、苦しげに吐き出された言葉を理解し瞠目する。
脅迫者は、とっくに動き出していたらしい。
報告を受けた彼らは弾かれるようにゴリ子の部屋へと向かった。
――十数分前。ゴリ子は深い眠りについていた。今日の夢は、幸せな夢だった。楽しいことをして、美味しいものを食べて、優しい夢を見ていた。
父に笑いかけられながら、母とお花の冠を作っていた。白やピンクの花でつくる輪っかは、いつか現実で母に教わったもので、ゴリ子はそれを幸せそうに組み合わせていく。
あの頃はボロボロで冠なんて言えるものではなかったけれど、出来上がりの達成感があった。
夢の中では、母が作ったみたいに綺麗な花冠が出来上がって……、ゴリ子はそれをツェズゲラの頭へと、乗せる。
母がいなくなって、父もいなくなって、いつの間にかツェズゲラが隣に居たのだ。それをゴリ子はなんの疑念も抱くことなく受け入れて笑う。ツェズゲラもゴリ子の笑顔を見て薄く微笑んだ。――彼の笑った顔なんて見たこともないのに。
「……ん、」
そんな幸せな夢の終わりは突然で、誰かに起こされてゴリ子は現実へと引き戻されていく。徐々に浮上する意識の中で、自分を見下ろす人物を捉えた。
「ゴリ子様、おはよう」
頬をするりと撫でられる。なめらかな手のひらは子ども体温には冷たく感じて、思わず身じろいだ。
鼓膜に触れた声は、優しげな色をしていた。覗き込んでくるその人を見上げ、ゴリ子は首を傾げる。
「先生、どうしたの? まだ、暗いわ……」
うっすらと笑む彼女は、ゴリ子の家庭教師で昼にも顔を合わせている。明日も朝から勉強があると聞いてはいた。
真っ暗闇はこわいからと、室内は完全に消灯されたわけではないが、それでも朝のような明るさはない。家庭教師の女は、困惑するゴリ子を柔らかにみつめた。それは、いつも目にする彼女の姿だが、底しれぬ不気味さを覚えゴリ子は喉を鳴らす。
物言わぬ彼女を不審に思いながら、鼻がひくついた。様々な機能が少しずつ覚醒してきているのか、鼻につく臭いを感じ取る。
「(なに、このにおい……)」
嗅いだことのない臭いが、室内に充満していた。むせ返りそうなそれに眉をしかめ、家庭教師から視線を動かす。――すると、視界が闇で覆われた。
「見ちゃあ、だめよ」
「なにするの!?」
「ゴリ子様にはちょーっと刺激が強いかなぁ」
目隠ししてきたものが布であることに気づいて、ゴリ子は暴れた。何が起きているかは分からないが、現状が普通でないことだけは分かる。家庭教師から逃れようと手足をばたつかせても、やはり大人の力にはかなわない。
そのまま、ゴリ子は抱き上げられてしまった。
「お嬢様!」
「エレーネ!」
混乱して暴れ続けるゴリ子は見えない世界でエレーネの声を耳で捉え、すぐさまその名を叫ぶ。続いて、エレーネは驚きの声をあげた。
ゴリ子のためにと用意した愛らしい子ども部屋は、今や使用人の死体が無数に転がっている。地に伏したどれもが、エレーネの選んだ使用人たちだ。その奥で、窓を背にこちらを見つめる女は――
「アシュリー先生!? なぜ貴方が!」
「この状況でそういう疑問を形にするのって、大体答えが出てるからだよね〜。予測通りだよ、エレーネ」
ゴリ子を抱えた家庭教師は、ナイフを彼女に突き立てた。
「ヘンリエッタ=アシュリー。脅迫者ヘンリーとは、私のことさ」
なんてことだ――。エレーネは、妖しく笑む家庭教師を前に愕然とした。なぜならば、彼女を推薦したのは他でもないエレーネだ。つまり、内通者は……、
「しかし、お前は当主が屋敷を出ている間もここに通っていた」
動揺を隠しきれない一同とは対照的に、彼だけは冷静だった。ツェズゲラは、傷だらけの当主を支えながら家庭教師アシュリーを睨み据える。
ツェズゲラの声に、ゴリ子は反応しかけたが家庭教師がナイフを持つ手でその口を塞いだ。
「ああ、それ? 簡単な話さ。私は狙った人間の“呼吸”を追える」
じっくりと滲み出す家庭教師のオーラを感じ取ったのはツェズゲラと執事長とエレーネだけだ。ツェズゲラはこの二人が念能力者であることは知っていたが、家庭教師までもがそうだとは気づかなかった。
本来なら、念能力者と一般人ではオーラの流れが違う。一般人の常に僅かな生命エネルギーを放出し続けており、念能力者はそれを纏うようにコントロールしている。
しかし、家庭教師のオーラは完全に一般人のソレだった。
「(この女――、オーラのコントロールだけでもかなりの手練だと分かるが……)」
呼吸を追うということは、追跡型能力者。ゆえに手を下す際は己の実力そのもので行っている可能性が高い。能力が追跡だけでないことも視野に入れながら、ツェズゲラはゴリ子をみやった。
黒い布で目隠しされ、喉元にはナイフを突き立てられている。まだ十にも満たぬ子どもだ。その恐怖は計り知れないだろう。それなのに――、ゴリ子は震えながらもじっと耐え抜いていた。
どうしようもない無鉄砲者でわがままで泣き虫な娘が、泣き喚くことなくそこに居る姿を捉えツェズゲラは形容しがたい激情に駆られた。
「(何故、オレの周りに居る子どもは、こうも……)」
以前出会った少年たちの姿を思い浮かべ、ツェズゲラは一度目を閉じた。あの少年たちも無鉄砲でわがままな奴らだった。勝手に相手に気を許し、勝手に信じて……、こちらの気も知らず。
だが、彼らが居たからこそツェズゲラは得たものもある。それを否定してしまえば、あの無鉄砲者たちに顔向けできないだろう。
思考が行き着いた時、ツェズゲラは当主をエレーネへと引き渡した。家庭教師が脅迫者だと知った瞬間の反応を見れば、彼女が一番信頼できると判断したためだ。
家庭教師はツェズゲラの動きを警戒し、ナイフをゴリ子へと押し当てようとした。瞬間、ツェズゲラは家庭教師に肉薄する。
「!」
スピードはツェズゲラが勝っていた。家庭教師がゴリ子の首を掻き切るより先に、その腕を掴み強く握りしめる。嫌な音を立てる腕の痛みに耐えかねず、家庭教師はナイフを落とした。
小さな体を奪い、そのまま腹に膝を打ち付ける。相手が女であることを忘れ、力加減はできなかった。
「グッ……!」
体をくの字に曲げ、家庭教師は地面へと倒れ込む。一連の流れを目にし、執事長をはじめ使用人たちが家庭教師の拘束に成功した。
どうやら、完全追跡型能力者でしかなかったらしく、ツェズゲラが危惧するような相手ではなかったらしい。脅迫者ヘンリーの犯罪歴はここで幕を閉じた。
「ゴリ子!」
「お嬢様……! お怪我はありませんか!?」
当主とエレーネは一目散にゴリ子へと駆け寄る。
さっきまで震えていたはずのゴリ子は自分で目隠しの布を取ると、父親とエレーネには目もくれず、ツェズゲラを見上げる。その表情は、見慣れてしまった満面の笑顔で――、赤らむ顔を隠すように胸へと飛びついてきた。
「助けてくれるって信じてた! ありがとう、おじさま!」
「お、お嬢様ぁ……!?」
「エレーネうるさいわ。今わたしとおじさまは感動のきゅうしゅつげきを繰り広げてるの。あっち行って」
「ゴリ子……」
「おとうさまも! 邪魔しないで!」
ツェズゲラは、もはや何も言えなかった。木登りはどんどん背の高い木に移っているし、自分が助けると確信して危険を冒す娘ではあったが……、こんな状況であっても変わらないとは。ある意味でツェズゲラは彼女について見誤っていた。
呆れるくらいの無謀者だ。この娘、もしかすると過去に出会った少年たちに匹敵するのでは……。そんなゾッとすることを考えながら、ツェズゲラは肩から力を抜いた。まあ、しかし――
「無事で何よりだった。――ゴリ子」
そっと微笑んで、小さな頭を撫でる。初めて見せた笑みと、初めて紡いだ名はツェズゲラ自身、胸の内側をひっかいた。
それを間近で見たゴリ子は――これ以上ないくらいに顔を真っ赤に染め上げて、それでもこれ以上ないほどの笑顔を浮かべた。
「ありがとう――、ツェズゲラさま! だいすき!」
おじロリ!100%
もう垂直跳びおじさんとは言わせない
作者:しろ