Prolog

  家族が鬼に殺されるまで、私はとても幸せだった。
ある日、家に帰ると、家族は皆血を流して倒れていた。数十分前まで家族の体内を流れていたであろう赤黒い血と生臭い嫌な匂いが、家中に充満していた。
その日、私はいつもと同じように尋常小学校へ行った。いつもと同じように授業を終えると、いつもと同じように同級の女の子たちと話しながら帰った。いつもと同じように途中でお別れをして、家へと続く山道を歩いた。
傾斜は緩やかとはいえ、山道を歩くのは大変で、家に帰るのにいつも時間がかかった。私が山を歩いているうちに、日が沈んでしまうのが日常であった。熊よけのお守りとして付けていた鈴が、しゃん、しゃん、と闇に溶けていた。
対して兄は、鍛錬だとか言って、そんな山道を走って帰った。先に家に着いた兄が今度は山道を駆け下りて来て、「小春はのんびりだなぁ」なんて軽口を叩きながら、私の隣をゆっくり家まで歩いてくれる、そんな日常のはずであった。家に帰ると、白い割烹着を着た母が食事の支度を始めていて、木こりの父が道具の手入れをしている、そんな日常のはずであった。何も特別なことはないけれど、幸せな日常のはずであった。
その日、兄は戻ってこなかった。そんな日もあるだろうと、私は何も疑わなかった。家の中の惨状を見るまでは。
母の割烹着は赤黒い血に染まり、父の斧は何かの爪痕で傷だらけになっていた。兄は鬼のような形相で唸りながら、血の海を這っていた。兄の*には青筋がたち、苦しそうに息を荒らげていた。そんな兄の姿が、私には、知らない醜い生き物のように思え、気持ちの悪さと恐怖でその場にへたりこんだ。あまりの衝撃で意識が遠のく中、覚えているのは確かな殺意。今にも死にそうな程弱った兄が、最後の力を振り絞って私に襲いかかった姿だった。優しかった兄は、私を鬼に変えて息絶えた。
しゃん、しゃん、今日も闇夜に鈴の音が鳴る。しゃん、しゃん、今日も闇夜に罪人が消える。