灰谷蘭という人間は、基本的に横暴で自分勝手、人を振り回して楽しんでいるような人間である。これだけ聞くと最悪だな、間違いなく最悪なんだけど。
ただ、それでも弟の灰谷竜胆に対してだけはものすごく甘い人間だった。多分他人に向けるはずだったほんの少しの優しさでさえ全部弟に向けられている。しかもそれを当たり前として受け取っているのが、灰谷竜胆だった。なんだこの兄弟。
相変わらずイカれているな、と言うのが、ほんのちょっと縁が続いているだけの私が、改めて抱いた感想だった。
▽
がちゃり、と何個かある内の部屋の扉が開く。完全に寝起きなのか、意識がふわふわとしたまま蘭はスウェットの中に手を突っ込んで腹をかいていた。物騒な刺青がチラ見えするけど、やってることは完全に休日のおっさんだった。私のお父さんもよくやる。
あんたまだ若いだろ。私と同じ歳だろ。
「……あ? なんでいんの。りんどーは?」
「お邪魔してまーす」
「理由になってねーじゃん」
「いつでも入れるようにしたのはそっちでしょう。ここ広いしくつろげるんだよ。あと竜胆はどっか出かけてる」
「あーそぉ」
くぁ、と欠伸を零した蘭は、どかりと私の隣へ腰を下ろした。ソファの重心が変わって体が傾く。整えられてない髪はボサボサで、何本か顔にかかっている。邪魔じゃないのかな。てゆーかずっと気になってたんだけどその髪の毛どうしたらそうなるの? そうはならんだろ。
まだ眠そうにウトウトしているのを見て、そっとテレビの音量を落とした。
「もう昼だけど」
「だから?」
「……いや、なんでもない」
昼、と言うよりもう昼過ぎと言った方が正しいけど。
私がこの家に足を入れたのは昼前、その後すぐに竜胆が出かけて行ったけど行先までは聞いてない。だからあとどれぐらいで帰ってくるかも知らない。私も満足したら帰るから正直そんなに興味はなかった。
蘭はしょーもないお笑い芸人が必死にリアクションを取っている様をただただ眺めている。微塵も笑う様子がない。わかる、面白くないよね。他のチャンネルがニュースやらドロドロしたドラマだったりしたから、このチャンネルにしただけだし。
「飯は?」
「食べたよ」
「何食べた」
「パスタ」
「……そんなモンこの家にあったか?」
「いや、普通に自分の家で食べて来たけど。流石にこの家にあるものまで把握してない」
「………………オレのは?」
少しの間があいたあと聞こえたのは、ほんの少しだけ小さい声だった。蘭の方を振り向くといつも間にかこちらを見ていて驚く。全然視線感じなかったんだけど、なに、こわ。
「食べたいの?」
「ねーの?」
「……勝手に使っていいなら、作るけど。なんかある?」
「いらねー」
「どっちなんだよ」
あとせめて質問には答えろや。
仕方ないな、と少し腰を浮かせると、蘭の視線が追ってくる。でも何も言わない。私が何をするのか、ただじっと見つめてくるだけ。
浮かせた腰を、今度は隙間のないようにぴったりと蘭にくっついて再度下ろす。普段なら嫌そうな顔をしてどこかへ行くから追い出す方法として使ってるけど、今ばっかりは例外だった。
大人しくくっつかれてる蘭はまた眠そうに欠伸をひとつ。そして体重を乗せるようにもたれかかって来て、そのままこてん、と頭を預けてきた。
「まだ寝んの?」
「寝る。オマエ枕な」
「……うっざなんだこいつ」
「ぁ?」
本当に眠いのか、普段なら震えるほど恐ろしいはずの声も今は迫力がない。暫く黙り込んでみると耳元で寝息が聞こえてくるから、完全に私を枕にして寝やがった。
寝る子は育つって言うよなあ。こいつの場合もう育たなくていいけど。
灰谷蘭という人間は、基本的に横暴で自分勝手、人を振り回して楽しんでいるような人間で、弟に対しては死ぬほど甘い。
そして、死ぬほど甘え下手だった。
数時間後。私が話しかけてもテレビで笑っても何をしても目を覚まさなかった蘭は、竜胆が帰ってきた音で目を開いた。
廊下から聞こえる足音と共に無言で離れて行くもんだから、笑ってしまった私は決して悪くない。