作られた偶然.01

 今から探偵事務所に来てもらってもいい?

 そんなメッセージがコナンくんから送られてきたのは、今から数十分前のことだった。何のために来てほしいのか追加の連絡は無し。いいよ、の返信には既読が付くだけで言葉が返ってくることはなかった。それでも部屋着から外に出られる服装に着替えて軽くメイクをしているのは、こういった連絡が割と頻繁に来るからだった。経験上この後にメッセージが送られてくることはほとんどないのをわかった上でもう一度だけ新着メッセージの有無を確認した。

 小さな探偵と出会ったのは偶然だった。
 たまたま事件に巻き込まれたところに居合わせただけ。私は犯人でも被害者でも、それらの知り合いでもなく本当にただ居合わせただけ。容疑者にすらならなかった。だけどただ通りかかっただけというわけでもなく、事件発生から解決までその場に立っていただけ。
 そこから何の縁なのか、彼は事件が起きればすぐに来てほしいと連絡を寄越すようになっていた。本当にどうしてかはわからない。私は推理をして犯人を見つけ出したわけでも、探偵の手伝いをしたわけでもないのに。

 だからこそ、この連絡も事件が起こってしまったのだと、そう考えて。車のキーを掴んで戸締りの確認をした後急いで車を走らせた。
 法定速度を守りながら走る車は探偵事務所の裏側へ停まる。少し歩かなければいけないけれど、表に停めてしまうのは他の人に迷惑がかかる。何より駐禁を切られるのは嫌だった。

 慣れた道を速足で歩いて階段を駆け上る。普段運動もせず、そろそろ三十路に差し掛かる年齢になった今の身体にはそれすらもしんどいと訴えてくるのを無視して事務所の前までやって来れば、そっと目の前のドアノブが捻られた。ちなみに、捻ったのは私ではない。内側から押された軽い扉の隙間から呼び出した張本人が顏を覗かせて、困ったように笑った。

「急に呼び出しちゃってごめんね! 今回は事件じゃないんだ。だから落ち着いて?」
「コナンくんに呼び出されるときはいつも事件だから……。今日は誰も死んでないのね?」
「死んでない死んでない! 物騒なこと言わないでよ」

 ごめんごめん。軽い謝罪を繰り返して、まだ微かに上下する肩を落ち着かせようと深呼吸をする。たった少し階段を駆け上がるだけでこの有様なんて。そろそろ体力をつけるために運動でも始めるべきかもしれない。ついでに、と言ってはなんだけれど事件ではない安堵からホッと胸を撫でおろした。
 扉が大きく開かれると、招かれるまま事務所に足を踏み入れた。

 中はシン、と静まり返っている。
 窓際に座って競馬を楽しんでいる小五郎さんがいなければ、世話を焼く蘭ちゃんもいない。一通り中を見渡して誰もいないことを確認してから、普段通されるソファに腰を下ろした。

 私が事務所に入ってからすぐにどこかへ行っていたコナンくんは茶色い液体の入ったグラスを一つ、目の前のテーブルに置く。
 まさか小学生にもてなされるとは思ってもいなかったな。招かれた客、という立場ではあるから、コナンくんがもてなす側になるのはわかるんだけど。
 よいしょ、と隣に座ったコナンくんは少し申し訳なさそうな顏をして、おずおずと話を切り出した。

「今日はおっちゃんも蘭姉ちゃんもいないんだ。本当は博士ん家に行く予定だったんだけど、博士も灰原もどっかでかけてて。僕一人で困ってるんだ」
「そうなの? タイミング悪いね」
「そう。で、お姉さんにご飯作ってもらえないかなあって!」

 にっこりと笑ってすぐにあざとく「ダメかな?」と聞いてくる小学生に、いい歳した大人が断れるわけもなく。いやそもそも断るようなことでもないんだけど。だけど……。
 髪を撫でると抵抗されることなく大人しく受け入れてくれている。単純にまだ傷み知らないのか、何か手入れをしているのかはわからないがサラサラの髪が指の間を抜けていく。
 いいよ、と言えば嬉しそうにするコナンくんに、今度はこっちが申し訳なくなる番だった。

「だけどねぇ、私料理が得意じゃなくて。代わりにどこか食べに行かない?」
「お姉さんって三十じゃなかったっけ?」
「まだ二十九です! それに料理が出来ない大人もいるの!」

 いつの間にか撫でていた手が離れて宙をさ迷う。手持無沙汰になって麦茶の入ったコップに伸びた。この短時間の間に生まれた結露が手を濡らしていくのがわかって、ゆっくりと指先だけの力でコップを持ち上げた。
 ガラスと氷のぶつかるカラン、という音が小さく鳴った。

 コナンくんは顎に手を当て少し考える姿をした後、何か閃いたような顔をする。それ、ご飯のことだよね? 謎解きとか、事件とか、そういうのじゃんはいよね? 私一般人だからね?

「僕、ポアロで食べたいな!」
「……ポアロ?」
「そ!」
「下にある?」
「そのポアロだよ」
「喫茶店の?」
「だからそうだってば!」

 何度も確認する私に呆れた視線を寄越したコナンくんは、私の返事を聞く前に服を引っ張り始めた。その様子は早く、と言っているようにも読み取れる。というか早くって言ってるんだよね、目が。

 腕につけられた安物の時計を見れば十四時を少し回った時間だった。コナンくんから連絡を受けたのが十三時四十分頃。お昼ご飯とするには少し――かなり遅い時間帯だけど、コナンくんはまだ食べていないようだし(だからこそ連絡が来た)、私が料理を得意としない以上、ポアロで済ませるしかないようだった。
 心做しかキラキラと目を輝かせているように見えるコナンくんに引かれながら、ついさっき必死になって駆け上がった階段を今度はゆっくりと下って行った。
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Red Moon