無題
夕方の、少しだけ人の少ないCDショップ。
静かに流れる音楽と、整然とさまざまなアーティストのレコードやCDが並ぶケース。
仕事終わりに立ち寄る、名前の小さな癒やしの場所だった。
「……あ」
ふと手に取ろうとしたCDに、もう一つの手が重なる。
反射的に引こうとしたけど――
「ご、ごめん!」
先に声を上げたのは、彼の方だった。
慌てたように手を引いて、申し訳なさそうに頭を下げる。
「大丈夫ですよ。気にしないで」
思わず、柔らかく返してしまう。
顔を上げた彼と、目が合う。
明るい瞳。少し無邪気で、でもどこか真剣な色を宿している。何故だか感じた。この子は善人だ。
迷わず手が止まった彼の代わりにそのCDを棚の名から取り出して彼に差し出した。
「どうぞ」
「え?」
少し困ったようにCDと私を交互に見る彼に対して笑いかける。
「このCD欲しいんですよね」
「で、でも、俺が先に見てたわけじゃないし‥」
「関係ないですよ。気にしないでください」
そう言って彼は折れたようにCDを受け取ったのでその場から立ち去ろうとすると彼の真っ直ぐで力強い声が私を引き留めた。
「な、なあ!このアーテイスト好きなのか?」
「え?」
今度は私が驚く番だった。一瞬きょとんとして、すぐに返事をする。
「うん。曲も歌も好き」
私の返事を聞いてぱあっと明るく笑った。
「分かる!特にサビのリリックがいいよな!毎曲ハズレなし!」
その笑顔が、あまりにもまっすぐで。
太陽みたいな人だと思った。
「歌声も綺麗だよね。曲調が違う時も音外さないしラストのベース音も聞いてて心地いいなって」
「すげえ分かる!まさかあそこの低音ベース持ってくるとか天才だよな!‥あ」
彼につられて自然と言葉が零れていた。それに彼もふと思い返したように止まった。
「ご、ごめん‥」
「ううん、私もごめんなさい、、」
「え、なんで謝るんだよ。俺が、その、」
「、、?」
「いや、そんなに好きなのにこれ譲ってもらって」
「それは本当に気にしないで!本当に好きなんだなって、私も今話して思ったの。あなたみたいな人に買ってもらえるのが一番嬉しいと思うから」
「、、」
今度は申し訳なさそうにCDを見つめながら俯く彼に耳が垂れ下がった犬みたいでなんだか可愛く思えてしまった。
この短時間でコロコロと表情が変わる彼に不思議と惹かれてしまっている自分がいる。
名前、なんていうんだろう。
何歳だろう。
この辺に住んでるのかな。
ただ、そこまで踏み込める自信がなかった。
私はただのOL。今ここで知り合っただけ。
そもそもこんなにいい子なら、もうすでに彼に見合った女の子がいるかもしれない。
それでも、これからもここに通ってまた姿を見かけることだけは、してもいいかな。
「、それじゃあ、」
「あ!」
外も暗くなって来たのでカバンを持ち直して声をかけると、俯いていた顔を突然あげた。
「これ帰ったらプレイヤーに取り込むからさ、その後あんたに貸すよ!」
「え、、」
「そしたらおねーさんも聴けるだろ?」
吹っ切れたように笑顔になった姿に呆気にとられた。
「おねーさん、またここに来る?」
「え、、うん、」
「よかった!じゃ、俺も明日来るから!」
「いいの、、?」
「え?」
とんとん拍子に話を進める彼。
なんとも素直でまっすぐな人なんだろう。
「本当にいいの、、?」
「何言ってんだ!もちろん!だって好きなんだろ?音楽!」
また、会えるんだ。
嬉しい。曇りなくそう思えた気持ちに見て見ぬ振りはできなかった。
この出会いは、大切にしたい。逃したくない。
「あ、そうだ!俺、朱雀野アレン!おねーさんは?」
CDを買ってお店を出ると彼はにこりと笑って言った。
「#name1#名前、です」
「#name2#だな!じゃあ明日の同じ時間くらいにまた!」
初対面なのに、距離感が近い。
でも、不思議と嫌じゃない。
勢いよく名乗られて、少しだけ目を瞬く。
「李灯。よろしくね、アレンくん」
「李灯、か。いい名前だな!」
照れもなく言うから、少しだけ困る。
「……ありがとう」
それから、少しの沈黙。
でも気まずさはなくて、ただ同じCDを見つめる時間が流れる。
「……あのさ」
ぽつりと、アレンが言う。
「またここ、来る?」
「え?」
「俺、よく来るんだよ!音楽探しに!」
まっすぐな視線。
断る理由なんて、特にない。
「……うん、仕事帰りに」
「ほんと!?じゃあさ!」
ぱっと顔を明るくして、
「また会えるな!」
その一言に、胸が小さく揺れる。
(“また会える”って、こんなに嬉しいものだっけ)
「……うん」
小さく頷くと、アレンは満足そうに笑った。
⸻
それから――
「李灯!これ聴いた!?」
「新譜出てたよ」
「一緒に聴こうぜ!」
気づけば、CDショップで顔を合わせるのが当たり前になっていた。
年下なのに距離が近くて、
でも、無邪気なだけじゃなくて。
音楽の話をするときの真剣な横顔に、
何度も、目を奪われる。
「……アレンくんって、ほんと音楽好きだね」
「うん!命かけてる!」
「……そこまで?」
少し驚いて笑うと、彼はまっすぐに言った。
「だって、俺――ステージ立ってるから」
「……え?」
「Paradox Liveって知ってる?」
その言葉に、少しだけ息を飲む。
聞いたことはある。
激しくて、命を削るようなステージ。
「そこで、歌ってる」
まっすぐな瞳。
あの無邪気さの奥にある、本気。
「……すごいね」
自然と、そう言っていた。
「すごくないよ、まだまだ!」
でもその声は、少しだけ悔しそうで。
「もっと上に行きたいし、もっと……」
一瞬、言葉を止めて。
「李灯に、すげぇって思ってもらいたいし」
「……っ」
不意打ちの一言に、心臓が跳ねる。
「……もう、思ってるよ」
小さくそう返すと、アレンは一瞬固まって――
「……え」
それから、耳まで赤くなる。
「そ、そういうの、急に言うなよ……!」
「アレンくんが言ったんでしょ」
くすっと笑うと、彼は照れ隠しみたいに目を逸らした。
(……かわいい)
そう思ってしまった瞬間、
自分の気持ちに、気づきかけてしまう。
⸻
でも――
(この子は、夢に向かってる)
(私は、ただの社会人で)
踏み込んじゃいけない距離が、ある気がして。
「……李灯?」
「ん?」
「なんか、今日元気ない?」
覗き込まれる。
やっぱり、まっすぐで優しい。
「……なんでもないよ」
そう言って笑うと、
「……そっか」
少しだけ納得してない顔。
そのまま、ぽつりと呟く。
「無理すんなよ」
「……うん」
優しさが、胸に刺さる。
⸻
(近づきたいのに、近づけない)
(でも――離れたくない)
同じ気持ちを、
きっと、アレンも抱えてるなんて――
このときの二人は、まだ知らない。