無題
夕方の、少しだけ人の少ないCDショップ。
静かに流れる音楽と、整然と並ぶケース。
仕事終わりに立ち寄る、李灯の小さな癒やしの場所だった。
「……あ」
ふと手に取ろうとしたCDに、もう一つの手が重なる。
反射的に引こうとしたけど――
「ご、ごめん!」
先に声を上げたのは、彼の方だった。
慌てたように手を引いて、申し訳なさそうに頭を下げる。
「いや、俺が先に見てたとかじゃないし、その……!」
「大丈夫だよ、気にしないで」
思わず、柔らかく返してしまう。
顔を上げた彼と、目が合う。
明るい瞳。少し無邪気で、でもどこか真剣な色を宿している。
「……そのCD、好きなの?」
「え?」
彼は一瞬きょとんとして、すぐに嬉しそうに笑った。
「うん!めちゃくちゃ好き!」
その笑顔が、あまりにもまっすぐで。
「そっか、いいよね」
自然と、言葉が零れる。
「え、ほんと!?分かる!?」
ぐっと距離を詰めてくる彼に、少しだけ驚きながら頷く。
「歌詞も、音も…すごく熱くて」
「そう!それ!!」
ぱあっと顔を輝かせるその様子に、思わず笑ってしまう。
(なんだろう、この子……)
初対面なのに、距離感が近い。
でも、不思議と嫌じゃない。
「俺、朱雀野アレンっていうんだ!」
勢いよく名乗られて、少しだけ目を瞬く。
「李灯。よろしくね、アレンくん」
「李灯、か。いい名前だな!」
照れもなく言うから、少しだけ困る。
「……ありがとう」
それから、少しの沈黙。
でも気まずさはなくて、ただ同じCDを見つめる時間が流れる。
「……あのさ」
ぽつりと、アレンが言う。
「またここ、来る?」
「え?」
「俺、よく来るんだよ!音楽探しに!」
まっすぐな視線。
断る理由なんて、特にない。
「……うん、仕事帰りに」
「ほんと!?じゃあさ!」
ぱっと顔を明るくして、
「また会えるな!」
その一言に、胸が小さく揺れる。
(“また会える”って、こんなに嬉しいものだっけ)
「……うん」
小さく頷くと、アレンは満足そうに笑った。
⸻
それから――
「李灯!これ聴いた!?」
「新譜出てたよ」
「一緒に聴こうぜ!」
気づけば、CDショップで顔を合わせるのが当たり前になっていた。
年下なのに距離が近くて、
でも、無邪気なだけじゃなくて。
音楽の話をするときの真剣な横顔に、
何度も、目を奪われる。
「……アレンくんって、ほんと音楽好きだね」
「うん!命かけてる!」
「……そこまで?」
少し驚いて笑うと、彼はまっすぐに言った。
「だって、俺――ステージ立ってるから」
「……え?」
「Paradox Liveって知ってる?」
その言葉に、少しだけ息を飲む。
聞いたことはある。
激しくて、命を削るようなステージ。
「そこで、歌ってる」
まっすぐな瞳。
あの無邪気さの奥にある、本気。
「……すごいね」
自然と、そう言っていた。
「すごくないよ、まだまだ!」
でもその声は、少しだけ悔しそうで。
「もっと上に行きたいし、もっと……」
一瞬、言葉を止めて。
「李灯に、すげぇって思ってもらいたいし」
「……っ」
不意打ちの一言に、心臓が跳ねる。
「……もう、思ってるよ」
小さくそう返すと、アレンは一瞬固まって――
「……え」
それから、耳まで赤くなる。
「そ、そういうの、急に言うなよ……!」
「アレンくんが言ったんでしょ」
くすっと笑うと、彼は照れ隠しみたいに目を逸らした。
(……かわいい)
そう思ってしまった瞬間、
自分の気持ちに、気づきかけてしまう。
⸻
でも――
(この子は、夢に向かってる)
(私は、ただの社会人で)
踏み込んじゃいけない距離が、ある気がして。
「……李灯?」
「ん?」
「なんか、今日元気ない?」
覗き込まれる。
やっぱり、まっすぐで優しい。
「……なんでもないよ」
そう言って笑うと、
「……そっか」
少しだけ納得してない顔。
そのまま、ぽつりと呟く。
「無理すんなよ」
「……うん」
優しさが、胸に刺さる。
⸻
(近づきたいのに、近づけない)
(でも――離れたくない)
同じ気持ちを、
きっと、アレンも抱えてるなんて――
このときの二人は、まだ知らない。