星と少年

藍色の絵の具をどっぷり混ぜたような、そんな美しい宇宙の銀河の果て。
僕は皆とは少し離れたところにぽつんと、小さな光として生まれたんだ。僕の光はとても儚い頼りのないもので、僕自身、その姿を保つことに必死でならなかった。

宇宙の遥か彼方、遠い星たちとの約束。憶えているよ、きっと僕は君達のもとに帰ってくる。それまで、ほんの少しの間だけ僕を待っていて欲しい。約束だ、必ず守ってみせるよ。




1.星と少年



僕の魂は、いわゆる前世の記憶というものを宿しているのではないだろうか。僕の中の僕じゃないなにかが、そう訴えるのだ。ときどき、震えるように声が聞こえる。体中、何かでいっぱいに満ちて、僕は、僕だけの瞳じゃ何にも見えなくなるように感じる。

「はは、お前は星の子どもだって」

なんとなく見下すように現れた、目の前の背丈の高い青年は、吉弥という。彼は大学の中庭近くの階段に腰掛け、手に持っていた缶ジュースを軽快な音と共に開けた。こんな風に、僕の持ちかけた話題に対してはいつも少し口を曲げて意地悪なふうな口を聞くのだ。けれど、そうはいっても僕の話を必ず最後まで聞いて、いつまでも憶えていてくれる。それがどういった理由であろうと、僕にとっては価値のあることに感じられたので、僕は自分の感じるすべてを彼に託すことを一向にやめなかった。彼もまた、呆れたり突き放すようなことをいう癖して、僕の話を仕切りに聞きたがっているという風にも捉えられたのだ。だから、少なくとも僕の中では利害の一致した関係とみなしていた。
こんな風に頑なに友達と表現しないのは、なんだかそれが照れくさいような、ボタンの掛け違えた服をそのまま着せられるような思いがするからだ。僕達は双方にそういった類の言葉を使うことはなかった。

「君はさぁ、自分の生まれた使命を感じることはない?」
「そんなもの一向に考えたことがないな。」
「人が皆、ものを考えて生きていると思うのは間違いなんだろうね。」

一つのため息と、足を踏み出して吉弥の隣に腰掛ける。
気がついた吉弥が、少し腰をずらして開けてくれた。そういうところは気の効くやつなのだ。

「お前のそういう割り切り方は賢いと思うよ、純星。俺は自分の物の考えを押し付ける奴が大嫌いだ。いつもお前が話してることはとんだ夢物語だけど、おかげでお前の話は絵本を開くようなものとしか思っていないからな。」

そう、少し鼻で笑うようにも、にやりとした。
絵本。そうか、この男は僕の話を何処までも他人事と思い、そして現実と切り離して聞いているからこんなにも淡々とやりとりが出来るのか。僕は不思議と納得した。他の人に自分の感じたことを話そうにも、どうにも僕は「不思議っ子」だと、言葉一つで纏められてしまうことが多く、それがどうしても不服だったのだ。よく分からない、考えすぎだ、そういった類の言葉には飽きてしまった。どうして自由な思想と言論を許されていながら、ものを考え、話し合う機会すらも設けないのか、僕はいつもこういう世界をつまらないと零していた。真面目に取り合わずとも、必ず最後まで言葉を交わしてくれるのが吉弥だったという訳だ。そういう意味では、僕はこの男を心底信用しているのかもしれない。

「絵本か。あーあ、僕はもしかしたら絵本の中の人間だったのかもしれない。」
「それなら前世が星という方がまだ納得できるぞ。」
「わからないぞ、例えば今ここにある、三角定規。君はかつて此れだったかもしれない。息をしている者とは限らないんだ。」
「それにしたって絵本の中の人というのは可笑しな話だろ。あれは紙で出来てるんだ、そうなればお前の前世は紙だな。」

吉弥はゲラゲラと笑って少し小馬鹿したような顔をした。僕はこの態度にムッとすることはなかったけれど、なんとなく釈然としない思いを抱えて日夜過ごすことになってしまった。


僕は名を純星といった。すばる。この名前はとても気に入ってはいるのだけれど、「じゅんせい」、と呼ぶ輩も多い。仕方のないことだけれど、間違えられるのも訂正するのもあまり回数を重ねると気持ちのいいものではなくなってしまう。
僕は仕切りに宇宙に思いを馳せてばかりいるような学生だった。宇宙旅行をしてみたい、とかそういった類の感情ではない。銀河、惑星、ブラックホール────ただただ、書物で目にするそういった言葉の羅列に猛烈に惹かれた。だから、授業で教えられること以上に僕は星について知識を蓄えたかった。星を眺めていると、胸が静かに、けれども確実にゆっくり締め付けられるような思いでいた。僕にはそれがただ事では感じられないようにザワザワとしたのだが、吉弥なんかはこれを、単なる感動と評した(彼は現実的な人間ではあるけれども、感受性はそれなりに豊かなようで、意外なことにも綺麗なものを綺麗と思う感性はぶらさがっていたようだ)。

果たしてそうなのであろうか。感動とはこういった感情であったのだろうか。僕はまだ19であったけれども、それなりの時間を過ごしてきたように思っていたのだ。僕にはまだまだ知らない感情があると思っていたい。それを感動と括るのはあまりに面白くないような気持ちがあった。


僕の家は、現在通う大学からは幾分遠くにあった。僕の家は決して裕福とはいえない家庭であったので、休日は電車を乗り継ぎして親戚の仕事を手伝って過ごしていた。土曜日、僕はいつものように家を出た。親戚の仕事をして得る金銭は、賃金と言うにはあまりにちっぽけであったが、それでも僕にはここの仕事をやめる気はなかった。身内の手伝いは融通が効くというのもあったが、何よりも僕はその仕事を気に入っていたからだ。

僕の叔父にあたる賢清さんという人は、とても端正な顔立ちをしており、けれどもそれに似使わない程豪快でさっぱりとした性格が僕は好きだった。賢清さんは彼の実家にあたる祖父の家の屋根裏で、望遠鏡を作る仕事をしていた。僕は、生まれたときから天文に興味があったように思うけれど、もしかしたらそれは前世の記憶でも何でもなくて、ただ単に幼い頃から望遠鏡を作る賢清さんの姿を見ていたからかもしれない。実は、僕、という一人称も、賢清さんがそう使うのに憧れて真似たのが始まりだ。同級生が自分のことを「おれ」と言い出したころ、僕はある種の優越感を得ていた。みんなとは違うぞ、というのがなんとなく嬉しかったのだ。今思えば、このときから天邪鬼だった。

「おう純星、疲れてるな。そこのネジ取ってくれんか。」

視線に気がついた賢清さんが、顔をこちらに向けることもなく声をかけた。こちらを見た素振りは全くなかったのに、僕が現れて物言いたげな顔をしていたと思ったのだろう。賢清さんは人の感情の機微に敏感だ。幼い頃、僕の父親が機嫌の悪いとき、家を訪れた賢清さんはそれを一瞬にして察知した。僕が少しばかり怯えていることも分かっていたのか、「僕、純星と外で遊びたいんじゃけど」と父に声をかけて僕の手を引いて家を出た。僕は賢清さんがいつもタイミングよく僕を救出してくれたので、当時は神様か何かくらいに思っていた。

「疲れたわけじゃないですよ。」
「ふぅん。考え事か。」

好きな子でも出来たんかい、と笑われる。けれども、残念ながら僕は恋というものをしたことがない。

「アルバイト、しようと思ってるんですけど」
「んん?」

唐突な話の持ち出しに、流石に賢清さんの手も止まった。今日初めて目が合い、賢清さんの大きな瞳がますます見開いていた。

「あるばいと。」
「そんな、田舎者丸出しの発音やめてくださいよ。」
「僕カタカナに弱いんよ。」
「非正規雇用形態の一種です。」
「いやいや、意味はわかっとるっちゅーねん」

賢清さんは東京生まれだが、ときどき何処の方言か分からない言葉をごちゃまぜにして話すのが癖だ。関西だか九州だか、と思えば東北弁まで持ち出してくることがある。彼の両親が転勤が多く、僕は日本中に住んでたことがある、と豪語しているのも理由の一つだろうか。

「ここだって、アルバイトやろ。」
「うーん。そうなんですけど。」
「なんや金か。金が欲しいんか。副業か。」

どーせ此処はちっぽけなお金しか払えませんよ、と口をとんがらせる。大人になってもこんな子どもみたいな顔をする賢清さんは、やっぱり面白い人だ。

「ここの仕事より面白いものはありませんよ。」
「お、言ってくれるな。給与はあげんぞ。」
「そういうつもりはないですって。」

僕の褒め言葉をおだてだと思った賢清さんが笑う。本当だ。なんだって僕は、宇宙が大好きなのだから。

「長野県に行きたいんです。」
「長野。なんでまた。」
「星が綺麗に見れるだとか。」
「ほぉー。いやいや、そんなんこの辺でも綺麗に見れるとこいっぱいあるって。」
「日本一の絶景らしいです。」
「へぇ。本当かなぁ。」
「環境省が日本一星空の観測に適した場所に認定したらしいですよ。長野県阿智村。」
「ほぇー。」

一応感心はした賢清さんがそれらしい声を出した。作業する手は再び動き出す。

「意外です、賢清さんこういうのは興味ないんですね。望遠鏡作るくらいだから、星には目がないのかと思ってました。」
「うーん。いうてなぁ、空なんか何処も繋がっとるやんか。」
「まぁ、そうですけど。」
「お前こそ、そういうの興味ない顔して人気スポット好きなタイプか。」
「僕は遊園地もイルミネーションもわりかし好きですよ。」
「それそこ意外や。彼女もおらん癖してな。」

意地悪そうな顔で微笑まれる。こんな顔は吉弥を思い出すからやめて欲しいんだ。賢清さんの人をからかうのが好きなところは吉弥と少し似ている。僕がそういう人を引き付けているのかは定かでない。

「お前は星が好きじゃな。」
「...賢清さんの影響もあるかもしれません。」
「僕か?いいや、お前、小さいときからずーっと星ばっかり見てたぞ。あんまりにぼぅっと見とるもんじゃけ、あの子星になって帰ってしまうんかな、なんて、貴実子さん心配しとったもんやわ。貴実子さんも純星も愉快な人やて、それ聞いて僕は笑ってたもんよ。」

こういう話を聞くと、僕はきっと母に似たのだろうと思う。星に帰ってしまうなんて、ほかの人はきっと言わないのだ。僕が前世は星の子どもだったかもしれないなんて言い出すように育ったのは、母がそんなことばかり言う人だったからだ。

「僕は星が好きというよりは、ものづくりが好きやけこの仕事しとるんよ。お前みたいに楽しそうに星のこと知りたがる奴がいて、それ見てたら楽しいわ。お前が僕の仕事に興味持ったんじゃなくて、僕が星好きなお前見かねて色々連れ回したって方が正解や。」

そう、にっこりと笑った顔は僕をいつも安心させた。ついで、少し席を立って戻ってきた賢清さんの手に握られたものに驚く。

「あの、これ」
「ちょろっとばかしやけどな。冬休みの間に行ってこい。今から掛け持ちでバイトしてなんて春先になってしまう。冬の方が星はよう見えるわ。もうすぐ年明けじゃし、これは...まぁ、おとしだまや。ぼーなすや。」
「ぼーなす。」
「身内じゃからて、給与以上のことしてもらうこともまぁあるしな。純星のおかげで、気楽に楽しく手伝ってもらっとるよ。」
「...ありがとうございます」

喜びと同じくらい、悪いな、という気持ちになった。それを察してか賢清さんは暫く僕を見ている。

「掛け持ちやて、貴実子さんも心配するで。学生の間くらい、時間も大切にしーや。」

ほんまに働きだしたら時間やてお金を払って欲しいくらいの価値のあるもんじゃ、欠伸をしながらそう言って、賢清さんは屋根裏から降りていった。残された僕は、そっと手渡された封筒の中を除いて、頭の中のスケジュールを想起して早くも計画を立てていた。

僕は年明け前の5日後、12月29日に長野へ行くことにした。




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