10月4日。私が知る限り、この氷帝学園での生活の中で最も校内が騒がしい日。
少なくとも、今まで過ごしてきた2年はそうだった。朝から校門の前には他校の生徒がわんさかいるし、校内でも女子生徒の大半は浮き足立っている。
交友棟は今日はサロンを中心にお祭り騒ぎだ。
なんてったって、そう、今日は────
生徒会長、跡部景吾の誕生日なのだから。
私と跡部景吾は、一応“幼馴染”という枠組みに入るのだと思う。
母親同士が幼い頃から知り合いで、生まれてすぐのときから跡部がイギリスへ留学するまで、定期的に会っていたらしい。2歳だかなんだかまでよく会っていたなんて言われても、正直覚えていない。
跡部景吾が帰国し、中等部に入学する直前に母親と宮廷のように大きな家へ挨拶しに行ったのだが、初対面のような気持ちの私に対して跡部は私のことをきちんと覚えていた。久しぶりだな、と自信たっぷりの表情で告げられたことを今でも鮮明に覚えている。
あれから2年と半年。跡部景吾という男は生徒会長で、全国大会でベスト4を獲るほどののテニス部の部長という座に居るだけでなく、校内にファンクラブが存在するほどの人気になっていた。
女だけではなく、男のファンまでいる。ただ容姿でその座を獲得したわけではなく、たゆまぬ努力と天性の才能を無駄にしない振る舞いのおかげだろうと思う。パッと見だけでは派手ですごく俺様で気にくわないなんて思う人も多いそうだが、その内面を知って好きになってしまう人がすごく多いらしい。
正直そんな人物を幼馴染、という枠組みに収めておくにしてはちょっと居心地が悪すぎる。というか、その記憶がないんだからそういうのもおかしな話だと思うのだが、跡部景吾に言わせれば「俺様が覚えているんだからお前は幼馴染だ。」とのことで今の今まで私は彼の幼馴染であり続けていることになる。
学校で関わることはほとんどない。向こうが華やかすぎるから近寄りたくもない。今日だって、ほら。たかが1生徒の誕生日だけでこのお祭り騒ぎである。気に入らないとか、そういうわけではなくて、ただ単に性に合わない。
そそくさと浮き足立つ人混みを通り抜け、教室へと逃げるように向かう。予鈴までもうあまり時間もないのに、教室内は少し人が少ないように感じた。きっとみんな、サロンにあるプレゼントボックス的なところへ向かっているのだろう。
「あれ、なまえちゃん今年もパスかい?」
自分の席にぐったりと座り込んで授業の準備を始めかけたところに、後ろの席の滝がどこからともなく現れてそう尋ねた。
「…当たり前でしょ。あんなの、参加しに行く元気ないわよ。渡すもんもないし。」
同じテニス部に所属している滝は、元レギュラーのためか跡部と面識がある。そして、幼稚舎から定期的に私とクラスが同じになるクラスメイトでもある…つまり、跡部よりも私にとってはよっぽど滝の方が幼馴染である。
私が跡部と幼馴染(笑)であることも知っているため、げんなりしている私のことを揶揄うのも3年目だ。毎年、跡部もやるねー、すごいなあ。なんて感心するだけだったのに、今年の滝の二の句は今までと違った。
「…跡部、毎年なまえからは何もないんだって残念がってたよ?」
「は?」
私は、手に持っていた教科書類を全部落とした挙句、間抜けな声を教室中に響かせた。
「何の冗談よ、滝…」
「やだなぁ、俺は嘘ついてないよ。本当に跡部が昨日零してたんだから、そうやって。」
嫌な予感がする。欲しいものは必ず手に入れる、それが跡部景吾という男だ。幼馴染ではないと思っているのは私だけらしいことは、もう嫌という程知っている。
それでも過干渉してくるわけでもなく、年に数回の親同士の遊びに付き合わせられたとき以外は会わないし喋らない。だから大丈夫だ、何にもないなと思ってた…んだけど。
そうやって言ってたということは、今年は何かある気がする。ああやだ、憂鬱が加速してしまう。
…そもそも私は、何にもあいつのことを知らないのだ。有名すぎるから、嫌でも耳に入ってくる情報はあるけれど、それしか知らない。
散々深読みし、警戒したにもかかわらずそこから一日は特に何事もなく、相変わらず賑やかに過ぎて行った。
何だ、今年も去年までと変わらない、ただの一日ではないか────。
放課後。いつも通りに一日を終え、私は帰路につこうとした。
「…ミカエルさん。」
のだが、校門の前に止まった長い車、そして顔見知りの執事服の人に阻まれてしまった。ミカエルさん、それは跡部家の執事の人である。年に数回会うし、いつも送り迎えはこの人がしてくれていたので正直跡部景吾本人よりも顔を合わせる回数や信頼度が高い。あの跡部家という家に仕えるだけあって、本当に執事として出来た人だと思っている。
「お迎えに上がりました。────今日は坊っちゃまがなまえ様をご招待しろ、と。」
本当に、執事として、出来た人だ。
こんな風に丁寧に迎えに来られると何となく断りにくいし、命令してるのがあいつだとはいえ断ると悲しそうな顔または困った顔をするのはミカエルさんなのだ。…この人を困らせたくは、ない。
「拒否権はきっと無いんでしょうね。…………制服のままだし、私手ぶらなんだけどいいのかしら。」
「坊っちゃまはお気になさらないと思いますので、どうぞ。来てくださいますときっとお喜びになられます。」
信じられないけどなぁ、行くと喜ぶとか。送迎のためのゆったりめの普通車に乗り込み、親に跡部くんのところへお邪魔してくる、と一報を入れる。
私は跡部景吾に比べれば、いや、比べなくても平民だ。普通の一軒家に住んでいるし、普通のご飯を食べているし、身の回りのことも自分で済ましている。私立の氷帝学園に通わせて貰えるくらいの経済力がある家だけど、十分一般の家庭だ。ただ親が友達なだけでこの住む世界が違う人たちと関わるなんて、人生は分からないものだなあとつくづく思う。
お家につき、無駄に背の高い門をくぐり抜けて長いお庭を通り過ぎ、降ろされた先で跡部景吾は待っていた。
「来ないかと思ったぜ、素直に車に乗ってくれるとはな。」
「私のことを何だと思ってるの。…ミカエルさんを困らせたくなかったから。それにしても要件くらいは言ってくれたって良いんじゃないかなと思うんだけど?どうして私をわざわざここに呼び立てたのよ、」
ふっ、と軽く笑みを漏らした跡部景吾はゆるりとその綺麗な弧を描いた口を開けた。
「……………その前に、何か俺様にいうことは?」
片足に重心を掛けて腕を組み、片手は前髪の目にかかる一部分をするすると撫でている。アイスブルーの透き通った目は勝ち誇ったような表情とよく釣り合って、ああもう本当に顔の造形のいい男は腹が立つ。早く言え、と、全身から放たれるオーラはその顔と佇まいは言っている。
「……………拉致って連れてきて、そんで要件がソレ?今日、散々言われたでしょう。」
「当たり前だ。俺を誰だと思ってやがる?……だがな、お前からはまだ聞いていない。」
今まで親同士の会合のようなもので会うたび、私と跡部景吾は特にめぼしい会話をするでもなく、でも居心地の悪い訳ではない時間を過ごしてきた。過干渉し合わない。その時出た料理の味の話だとか、部活がどうだとか、授業がどうとか、そういうどうでもいい話しかした事がない。
それでも、居心地が悪い訳ではなくて、むしろ────
「……………お誕生日おめでとう、跡部景吾」
軽く溜息を吐いて、私は手短に彼が欲しかったであろう言葉を言った。欲しいものは何でも手に入れる、と言っていたのを覚えているから、抵抗したって無駄なのだ。
「フン、フルネームは辞めろと言っているだろう。何時迄もそう俺様を呼ぶ気か。」
満足げに鼻を鳴らし、礼の一つも言わず彼は踵を返した。
メイドさんたちに促され、彼の背中を追うように私は宮殿のようなお家へと足を踏み入れる。そういえばプレゼントは何も持ってきていないんだった。仕方がないから、今度町の駄菓子屋さんにでも連れてってやろうかと思う。
多分今からはいつも通りでティータイムの後に庭を軽くうろうろして、そしてディナーだということは想像ができた。けれど今日はお互いの母親が居なくて、初めての2人だけだ。
「…………あのさぁ、誕生日の大切な日の夜を過ごすのが私と一緒で良いの?アンタ、色々親がセッティングして偉い人とかが来るんじゃないの、」
「それは今週末にある。が、肩肘張ったようなモンばっか、俺様は気に食わねえんだ。いや…そういうのも悪かねェがな。ただ今はいつもお前と話しているときくらいの穏やかな空気の方が良い。」
そういって私を椅子に座らせ、アフタヌーンティーセットを用意するようにメイドさんに言う。
私たちは、いつも必要以上にお互いのことを知ろうとしてこなかった。少なくとも私は。何もしなくとも彼のことは耳に入ってくるし、住む世界が違う人だから、お互いの人生が交錯する瞬間ですら遠慮していたのかもしれない。それでも過ごした時間の居心地の良さや、滲み出るこの跡部景吾という男の人間性に興味を抱いていたことには変わりない。
去年も一昨年もお互いの誕生日に何かしてくることはなかったのに、中等部の最後の年にこうしてわたしにアクションを仕掛けてきたのは、来年からは海外へ戻る噂があるからなのだろうか。
今日はBGMになる母親たちの会話もない。せっかくのコイツの誕生日なんだから、いつもとは違う、お互いの話をしてみるのも悪くない。
運ばれてきたスコーンを手に取り、たっぷりイチゴジャムをつける。口に入れたソレを飲み込んだら、わたしは少し跡部景吾と話をしようと思ったのだった。