Shadowfall 2021



 初めて訪れた夜のキングスキャニオンは、気味悪さが肌にまとわりついて仕方がなかった。
 リヴァイアサンをここまで間近で見るのも今までになかったが、あれはあんなにもおどろおどろしく、恐れを抱くような生物だっただろうか。慣れ親しんだアリーナとよく似ているのに肌で感じる空気は異質で、マップだって頭に入っているものとはまったく違う。この場所が、私達がいた次元とは異なるのだと言う話も納得だった。
 赤いキャンドルで飾られたこの小屋も、元の世界であれば“ハロウィン”らしく素敵に見えていただろう。小さな炎に照らされた室内、隣にいる『彼』に視線をやる。
「フ……ゥ……」
 燻るような黒い影。いつぞやの試合で経験した『デスプロテクション』と姿形は似ているのに、とてもじゃないが同じものには見えない。銃を持つことも出来なければ、ヒトとしての言葉を話すことも不可能であるらしく、これは果たして本物の彼なのか、と疑ってしまうのも無理のない話だ。
「ごめんね、オクタン……もうちょっとだけ、ここにいさせて」
「…………」
 オクタンの形をした『彼』は、了承するかのように頷いた。


「“シャドウ”ってどんな感じなの? デストーテムとは違う?」
 ドロップシップ降下前、オクタンと交わした会話を思い出す。
 私にとって今回が初めてのハロウィンイベントだった。経験者であるオクタンに質問してみれば、彼は肩を竦めるようにして首を横に振る。
「トーテムも気分は悪ィが、『あれ』はまた段違いだ。つっても『あれ』になってる時のことはよく覚えてねえんだよな……意識も記憶もあやふやで……ああ、バッドトリップみたいな感じだな!」
 バッドトリップ。どうにも縁のない言葉にいまいち想像がつかず、質問した身でありながら「へえ」とだけ返してしまう。並でない身体能力が得られるとはいえ、興奮第一の彼ですら進んでなりたいと思えるものではないようだ。
「ま、ヒトのまま帰りてえよな。俺もアンタも」
「……そうだね」
「頑張ろうぜ、アミーゴ」



 初めての環境での試合が、まさか彼と2人だけの部隊だとは。運がいいのか悪いのか、などとそんなことを考えてしまう。
 人数が欠けている不安が無いと言えば嘘だ。けれど、オクタンと一緒であることは幸いだと思った。それくらい、彼のレジェンドとしての実力を味方としても敵としても思い知っていたし、アリーナ外での彼のことだって、友人として信頼している。……その気持ちに恋慕が混ざり始めたのはいつのことだったか。
 せめて彼の足を引っ張らないように。そう誓ったはずだったのに、彼は私を庇って散ってしまった。

 オクタンが身を挺して守ってくれたおかげで逃げおおせることはできたが、こんな寂れた小屋でのハイド、いつ見つかってもおかしくはない。この場所がリングの中であったことだけが唯一の救いだった。
 オクタンは『あれ』になって戻って来てくれることだろう。……正直に言ってしまえば、それが怖かった。
 先ほど襲撃を受けた敵部隊の中に、初めて見た“シャドウ”の姿。見知ったシルエットを取っているそれの、ヒトならざる恐ろしさに足が竦んでしまった。
 戦場で隙を見せればどうなるか。オクタンはそんな私の未熟さゆえに死んでしまったのだ。合わせる顔などあるわけがないし、『あれ』になったオクタンを前に平静でいられる気がしなかった。
「あ……」
 獣のようなうなり声が近付くや否や、小屋の周りをうろついている足音がする。――オクタンだ。ミニマップで位置を確認するまでもなく分かった。
 “シャドウ”の状態では自ら扉を開閉できない、と聞いていた。私が開けるのを待っているのだろう。覗き見るようにそっと扉を開けば、やはりそこにはオクタンの形をした『彼』が立っていた。

 それから長い間、この小屋の中から動けないでいる。敵部隊同士が交戦している銃声は遠いが、日が出ているうちには聞かないような生物の鳴き声がずっとしていた。
 夜のキングスキャニオン。彼を死なせてしまったこと。情けないことに、この状況に泣き出してしまいそうなほど打ちのめされていた。仮にもレジェンドを冠する者が。その不甲斐無さに、ますます思考は沈んでいく。
 いつもは走り回って先導してくれるオクタンも、生存者を守るという“シャドウ”の役割ゆえか、うずくまる私に寄り添うよう座り込んでいる。不思議と、敵部隊に見かけた“シャドウ”に対して抱いた嫌悪感や恐怖心は無かった。

 もう少しここにいさせてほしい、そうお願いすると『彼』はそれに頷くような仕草を見せてくれる。当然、このままここに籠もっていたところで勝機なんてものは無い。残り部隊も少なくなって来たのだからそろそろ戦闘にも参加しなければいけないし、マップ内に示された情報によると、この場所ももう安置ではないのだ。いい加減に行動を起こさななければ、私を守ってくれたオクタンにも面目が立たない。
「よし。……よし、行こうかオクタン……、っ、うわ……」
「…………」
 覚悟を決めて立ち上がろうとした拍子に、手首を掴まれてバランスを崩してしまう。『彼』はそれを受けとめるように、腕の中へと私を抱えた。
 灼けたような見た目をしていながら、触れた場所は妙に生ぬるい。ヒトとしての体温とはまるで違うのに、不思議と安心感がある。“シャドウ”にこうして触れられるというのも驚きだった。戦うことができるのだから、当然といえば当然なのだが。
 それでも、まるで抱き締められているようなこの体勢には、理解が追いつかない。
「オクタン……?」
 名前を呼んでみても返ってくるのは低い唸り声だけ。返事のかわりなのか、そっと背中を撫でられて呼吸が止まりかけた。
「な、なに?」
 元々パーソナルスペースの狭い彼ではあるが、普段の彼では考えられない距離感に困惑してしまう。“影”になると、意識も記憶もあやふやになると言っていた。ヒトとしての思考も曖昧になってしまっているのだろうか。
 背中をポンポンと叩くようにするその動きは泣く子供をあやすようなあたたかい手付きで。私を元気づけてくれているのだと察して胸が苦しくなる。
 不器用ながらも優しいところ。姿は違えど、私の好きなオクタンその人に変わりなかった。
「ありがとう……勝とうね、オクタン」
 細いのにがっしりとした背中に、腕を回す。何だか大きな犬のように思えて、緊張がほぐれた心地がした。
「……大好き」
 きっとこの言葉も彼は忘れてしまうのだろう。そんな相手に想いを告げるなんて、あまりにも一方的で卑怯だとは思った。けれどいま、伝えたくて仕方がなかったのだ。
 いつかこの人に直接言えるように。それまで、彼と肩を並べられるくらいに強くなろうと、心に決めた。



 試合後のロビー。再会したオクタンに駆け寄れば、彼は私を見るなり顔を隠すように手で覆ってしまう。マスクを外した姿なんて何度も見ているのにどうして急に。不自然な行動に目を丸くしていると、彼は妙に上擦った声で私の名前を呼んだ。
「あ、あんま覚えてねえとは言ったけど、全部忘れちまうとは言ってねえからな!」
 オクタンの言葉の意味も、赤くなった耳の理由も理解してしまった私の顔は、きっと彼と同じような色をしているのだろう。

(2022年10月5日 Privatter掲載)
(2025/09/19 加筆修正)