あなたの手で断ち斬って

※審神者に夫と子供がいる


「いいのかい、私が抱いても」
 やや驚いた様子の彼に頷く。大きな体を屈ませて、袂の中の腕が受け入れるように曲げられて。そこへそっと我が子を乗せると、彼は不安そうに一度私の顔を見上げてから、腕の中にいる存在をいま一度確かめるように見つめた。
「小さいね」
 やっと首がすわったばかりの幼い子供は、ひときわ体格の良い彼が抱くとますます小さく見える。ゆらゆらと厚い袖や不揃いな前髪を揺らしあやすようにする姿は、怖がらせまいとひそめられる声は、腕の中の赤子へ優しげに細められる目は、きっと一生見ることが叶わぬものだと思っていた。
「綺麗な瞳だ。君によく似ている」
「そうかな」
 無垢な眼差しがまっすぐと、自らを抱く刀の神さまへと向けられている。彼を見つめる私の目は、こんなにも澄んでいるだろうか。
「口元は夫君にそっくりだ」
 彼の言葉に小さく、首肯をする。本当にこの子は夫にそっくりだった。


 見合いで知り合った夫は実直で、穏やかながらもどこか芯の通った人で。見合い婚に抵抗があった私だって、主たる審神者を娶りたいと言う人間に対して不信を抱いていた男士たちだって、すぐに心を許してしまうような、人たらしじみた魅力のある人だった。審神者を、私という人間を尊重してくれて、ほんのちょっと頼りない面もあって、でもプロポーズをしてくれたあの日みたいに熱い心を持っていて。そんな夫に惹かれてしまうのも、仕方のない話で。
 夫とこの本丸で祝言を挙げて共に暮らすようになり、授かったこの命。この子は、たくさんの神さまからの祝福を受け産まれて来た。

 出陣こそ控えていたが、産休中も本丸は稼働していた。遠征部隊の管理や本丸運営に必要な執務、政府とのやりとり諸々。数ヶ月に渡り審神者業務を担ってくれていた初期刀とバトンタッチをして、復帰したのはつい最近のこと。
 近侍を据えるのも久々だった。この子が産まれてから私たち親子の周りは常に賑やかで。こんなに静かな執務室もいつ振りだったろうかと、傍らで書類をまとめている石切丸を見て思った。彼が近侍であること自体、いつが最後だったのか思い出せないくらいずっと昔だった気がする。
 共に産休を取ってくれていた夫も職場に戻り本丸を空けることが多くなった。まるで結婚前に戻ったみたいだな、なんて感じていても、文机の隣に置かれたベビーベッドから聞こえるふにゃふにゃした泣き声は、以前には無かったものだった。
 抱き上げた我が子はたちまち泣き止んで、私の顔をじっと見つめる。お乳でもおむつでも無いみたい。ただ母のぬくもりが欲しかったのかな。何もかもが不慣れだった新生児期に比べ、そう考える心の余裕が生まれたこと、この子の落ち着く抱き方が分かってきたこと。夫や刀たちがいなければこんな穏やかな気持ちで育児などできなかったろうな、と感じる。
 夜泣きが始まったらまた変わってくるのだろうか。きっと優しい夫や過保護な初期刀は、産褥期の頃のように私を寝かせることに躍起になるに違いない。そう頬を緩ませたところで近侍からの視線に気付いて、子供を抱いてみるか、など提案をしてしまった。



「……なんて愛くるしいんだろう」
 思えば、石切丸がちゃんとこの子と顔を合わせるのは生後一ヶ月のご祈祷をしてもらったとき以来かもしれない。普段は面倒見がいい粟田口の刀たちや世話焼きな太刀や打刀の面々の、遠く後ろから眺めていることが多かったと記憶している。石切丸に限らず身体の大きな刀たちは皆そうしていたから、小さなこの子を前に遠慮していたのだとあとから気付いた。
 最初こそ恐る恐ると言った風に抱えていたのに、いつの間にやら背中をとんとんと叩く優しい音が聞こえている。彼の顔を見つめていた瞳がうつらうつらと閉じられていって、寝息を立て始めたのは間もなくの事。驚きつつ石切丸の顔を見れば、彼は得意げに微笑んだ。その距離が思いのほか近かったことに恥じらいを覚え後ずさる。
「凄いね、寝かしつけちゃった」
「君の真似をしただけだよ。この子は背の、下のほうを叩かれるのが好きだろう?」
「よく知ってるね」
「見ているからね」
 見て、いる。その対象は私か、この子か。人の妻として、この子の親として、刀剣を統べる審神者として、おおよそ感じてはいけない期待が頭を擡げてしまう。


 ――過去、私は石切丸に恋をしていた。お互い言葉にすることはなかったが、きっと石切丸も同じ気持ちだった。
 けれど私は審神者で、彼は私が使役する刀。私は人間、彼は神さま。戦が終われば本丸を去り、そうで無くとも彼を置いて逝く。共には在る事は叶わない。彼への想いを自覚した時、すでにその恋は終わりを迎えていたのだった。
 彼を忘れたい。そんな不純な気持ちで設けてもらった見合いの場で、夫と出会えたのは僥倖と言うほか無い。彼へ抱いていた恋心は、いつしか夫が上書きしてくれた。夫の子供を産みたい。夫と共に幸せでありたい、そう願った気持ちは嘘では無いと胸を張って言える。

 なのに、捨てたはずの恋がいま目の前で輝いている。我が子をあやす彼の姿は、いつか夢見た情景そのままだった。

「君が」
「……え?」
「君が見合いをすると聞いたとき、本当は、攫ってしまおうかと思ったんだ」
 視線を眠る子にあわせたままそんなことを言うものだから、聞き間違いでは無いかと、彼の顔をただ黙って見つめてしまう。
「……君と共に在りたかった」
 それを今になって言うなど、ひどいひとだと叫んで叩いてやりたかった。
 きっと当時の私が聞いていれば、二つ返事でその手を取っただろうに。
 何で、今更。何もかもが遅い。どうして黙っていてくれなかったの。かけたい言葉は山ほどあるのに、震える唇からは何も出て来ない。
「けれど、そうしなくて良かったと心の底から感じているよ」
 彼は穏やかな声で語りかける。
「私は付喪神で、君は人の子で」
 そんなの、嫌というほど知っていた。
「私は君を見送ることしかできない」
 神と人間が同じ刻を生きることができないことも承知の上だ。
「私たちの間に子は成せないし」
 貴方さえいればそれでいいと言わせて欲しかった。
「君の魂を私が囚えて、ヒトとしての営みを断ち切ってしまうのは許せなかった」
 人の男と結婚することが、子を産むことが女の幸せでは無いと。しかし、石切丸が言いたいことはそれがすべてでは無いことは分かっている。
 彼とともに行ってしまえば、人の理から外れてしまえばもう何も無くなるのだ。私が私であった証も、すべて。石切丸は私を人たらしめるすべてを、心から想ってくれているのだと悲しいくらいに分かっていた。
「だからこうして、君のややこを抱くことが出来て……私はこの上ない幸せものだと思うよ」
 腕の中の子を、本当に愛おしそうに見つめる姿が美しくて、切なくて。口から出かけた恨み言も、漏れ出るところだった恋情も、すべて消え去ってしまう。

 万屋からの帰り道、二人で雨宿りをしたあの日。宴をこっそり抜け出して縁側で月を見たあの夜。見合いのために着飾った私へ「綺麗だよ」と笑ってくれたあの時。彼との思い出が走馬灯のように巡る。いつかの私達が、報われた音がした。

(2024年2月12日 X掲載)