冒頭で犯された殺人の余談
──あなたって、人を殺すの嫌いなの?
トランプを撫でたり弾いたり、まるで子供の手遊びのようにしつこくそれを繰り返していたヒソカがクロロを見下ろして言う。待っていろという命令を忘れたら犬のように狩場までついてきて、どこかから遠巻きに眺めていたらしい。
「どうしてそう思うんだ?」
短く聞き返したクロロの足元には、顔面を潰されて絶命した男がのたばっている。どういうタイミングで何を聞いてきたんだコイツは。
ただでさえ狭苦しくてひどい臭いの公衆トイレなのだ、長居は出来ない。びくんびくんと震える肉塊の懐から抜き取った財布のなかに目当てのものを探し当てて、ガワごと拝借することにした。
「だってその瞬間だけ、いつもすごく嫌な顔してるよ」
「そう?」
人を殺す瞬間、取り立てて何かを考えているわけではないが、そんなふうに指摘をされると少し気になる。普段の癖で顎を掴もうとした手が血塗れであることに遅ればせながら気がついて、口許まで持っていきかけた指をそのまま握り込んだ。
「……いつも見てるのか」
「気持ち悪いって言われるかと思った」
「気持ち悪いよ、敢えて言わなかった」
多分、人を殺すという行為は好きとか嫌いとかそういう物差しで測るものではない。今日のことだって、平和的解決を求めて相手の前にのこのこ姿を現せば肉塊になっていたのはクロロのほうだったかもしれないのだ。
「別に、殺しは好きじゃないよ。特に血の感触には度々不快な思いをさせられるし。ただ……まあ、嫌いなわけでもない、かな。貰った能力への理解を深めるには実戦が一番だろ」
「貰った? 奪ったの間違いでしょ」
改めて考えると、なかなかにしょうもない理由でひとの命を摘んできたような気がする。それよりも、そんな質問はウボォーギン辺りにぶつけりゃいいのに。人間を相手に、まさしく文字通りちぎっては投げちぎっては投げを繰り返し楽しそうに笑っているあの男の方が余程不思議だろうがとクロロは思う。
自然公園のなかは景観を損ねる街灯が少ない。踵を返したクロロの背中はすぐさま夜と同化する。ターゲットが自宅までの近道としてこの場所を横切るのを突き止めてから、昼間にも何度か訪れた。一言で言えば長閑なところだ。たいした遊具もないせいか子供はあまり見受けられず、ロマンチックな雰囲気でもないのでカップルが敢えてデートにここを選ぶことはないと思う。下調べの期間中クロロが一番目にしたのは、思い思いに体操をする老人の集団だった。
見晴らしは良いのでぼんやりしているだけでも気持ちのいい場所だ。クロロのせいで暫くは長閑な場所ではなくなるのだが。
「……そういうお前は好きそうだよな、殺し」
野良猫のように暗がりを選んで歩くクロロの隣で、ヒソカは首を傾げた。
「ウーン、クロロにどう思われているのかは分からないけど、ボクにとってそれは目的じゃないよ」
残忍な行為を躊躇なく繰り出す男の台詞とは思えない。一体どんな顔してそんなことを。ちらりと目だけで様子を窺う。細面に浮かんでいるのはいつもの胡散臭い笑顔だ。
「ボクが好きなのは戦うことであって、その結果相手が死んでしまうだけ。殺しが好きな人間だって思ってた?」
思ってた。
このヒソカという男は、己の手で人の命を刈り取ることに快感を覚える異常者なのだとばかり。果たしてそれが真意なのかどうか確かめる術はないが、至ってまともらしい答えが返ってきたことに驚いた。
かと言って、それを聞いたところでクロロがヒソカに対して抱く心象に大した変化はない。結局のところこの男はいついかなる場合であっても己の欲望を満たすことが最優先事項で、殺しが好きであろうとそうでなかろうとそれは社会的に見たら大きな欠陥だ。こればかりは人のことを言えたタチではないのだが。
「ろくに戦えないようなのを相手にしても、それって人形遊びみたいなものじゃない。ボク、この世で一番嫌いなの。退屈っていうのが」
「はあ、それはそれは。さっきのオレの人形遊びは嘸や見苦しかったろうな」
冗談のつもりだったのだが、ヒソカは思いの外神妙な顔で頷いていた。
「どこまで着いてくるつもりなんだ? この後はシャルと落ち合うだけだよ」
「そっか。残念。ボク、この世で二番目に操作系のひとが嫌いなんだ。彼ら、理屈っぽくてね」
多分、それはお互い様だと思う。
槍玉に挙がったシャルナークはそれなりに話の分かる出来たやつで、無闇矢鱈に敵を作るようなタイプではない。そんな彼が露骨に嫌悪するほどに、ヒソカという男は食えないタチなのだ。
そして勝手に嫌うだけならまだしも「アイツと二人にならないほうがいいんじゃない」なんてクロロの行動に対してもずけずけと言及してくるのだから少々やりにくいし、何よりカースト上位の女子高生みたいなことを言うのはやめてほしい。
と言うか、何がそれほど? 実のところそんな思いもある。しかし周囲をぴりぴりと緊張させる何かは確実にヒソカの内に巣食っているのだ。クロロにはその輪郭すら捉えられなかった。浅い場所しか見せない代わりに、ヒソカが相手に深く踏み入ることもない。他者に興味が無いだけだと言えばそれまでなのだが、誰に対しても変わらないその馬鹿に丁寧な線引きだけは少しだけ、ほんの少しだけ、ヒソカを真人間に見せる。
「どうして、」
「うん?」
こんなところを見られたら、シャルナークに後々きつく詰られるだろうな。そうなればなかなかの苦行だ。
「どうして着いてきたんだ?態々こんなところまで」
足を止めてヒソカを振り返った。
「偶然見かけて」とか「退屈だったから」であるとか、スカスカのデマで躱されるのだと思って尋ねた。中身に触れるつもりなんて少しもなかった。それなのに。
ヒソカはそこで笑顔を取り払う。
「間違ってあなたが殺されちゃったりしたらイヤだなと思ったから」
不透明な箱のなかに手を突っ込んで、なにか気持ちの悪いものを掴まされたような気分になった。やわらかい、生暖かく湿った感触。これが、ヒソカの感情なのだろうか。とにかく不快だった。
多分シャルナークたちが揃ってヒソカを嫌う理由のひとつは人間味のなさなのだと思う。ただ、ヒソカがヒソカたり得るのは何よりその人間味のなさのおかげだった。少なくとも、クロロはそう感じていた。
先にクロロが死ねば、クロロと手合わせをしたいというヒソカの望みが潰えることになるから。ただそれだけのこと、勿論承知の上だ。しかし根幹がなんであれ、どうであれ、ともかくその言葉はあまりにも彼らしさを欠いたものだった。
「それは……オマエらしくないだろそんなの」
況してやオレらしくもない。
知らず知らずのうちにヒソカに「彼らしさ」を求めていたのだとようやく気が付いた。そんなのは傲慢な欲求だ、大した理由や明確な決め手もなく誰かや何かを嫌うこと以上に勝手で抑圧的な思い込み。
「そうかな。どんな答えだったらボクらしい?」
「……そう言われると、答えに困るんだけど」
両手を空へ向けてヒソカは大袈裟に肩を竦める。
お前なんか、いつもヘラヘラ笑って適当な嘘だけ吐いていればいい。そのおかしな化粧で一生自分を隠していればいいんだ。だって真人間の真似事なんてオレたちには似合わないよ。
まるで助け舟のように着信を告げる携帯の振動にハッとした。
着いてくるなと釘を刺す必要はないだろう。多分ヒソカはもうこれ以上追ってはこないから。
やけに遅いじゃん、まさか手こずった?
電話の向こうに半笑いの軽やかな声を聞きながらヒソカを振り向く。
「いや、」
奴はまだそこに居る。ただ黙って立っている。ひらひらと手を振る姿はまるで糸で吊られた操り人形だ。
「あー……うん。そうだな、すこし」
──まあ、人形だと思っていたものが急に自我を持って喋りだしたらそりゃあ誰だって気持ち悪いと思うよな。
未だ体の奥底で揺蕩う不快感の正体は、あまりにもしょうもないものだった。