二話

「誘拐……?」

 起きて早々怪訝な眼差しでこちらを見つめてそう呟いたヨレヨレの喪服姿の男に、「変なの拾っちゃったな」と数時間前の行いを猛烈に後悔したことは、言うまでもないであろう。
 とりあえず酒臭いからシャワーを浴びて欲しいんだけど、この人が着れる服どころか私の服だって今のこの家にはないのであった。無念。


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「へー、拾ってくれたんだ。ありがとな」

 軽っ。拾われ慣れてる人の反応じゃん。
 勝手に洗面所を使って顔を洗い、喪服の上だけ脱いで当然の顔をして私からチョコチップスティックパンを奪い取って食べ始めた酔っ払い基黒髪の男は、誘拐ではなく保護したのだと言い張る私にたいして、実に軽くお礼を言ってきた。家主より先に朝食に手を付け始めたあたり、明らかに見知らぬ人の部屋に上がり込むことに慣れているだろう。本当に変なの拾っちゃった。
 よくよく見るとまつ毛が長いだけでなく嫌に整っている顔をちらちら見ながら、「うっす……」と軽く頭を下げてお礼を受け取る。男は私の胡乱げな視線を気にすることもなく、部屋を見渡しては「上京?」と聞いてきた。朝ごはん用に買っていたおにぎりを食べつつ頷く。

「じゃあ今日の午前中には家具とか来んの? 荷物届く前に帰んねーとな」
「あ、荷物届かないです。トラック爆発しちゃって」

 そう言うと、男はチョコチップスティックパンを食べながら変な顔をした。何を言っているんだコイツは、と言いたそうな顔である。それはこっちのセリフだ。ゴミ捨て場で何をしてたんだお前は。
 そんな感じで文句を言いたくなったが、ゴミ捨て場で酔っ払って寝ているような変な男に文句を言ったら殴られるかもしれない。そう思って文句は心の中に留めて、ふたつめのおにぎりに手を伸ばす。昨日、ぐにゃぐにゃの男を部屋に連れていくのに疲弊困憊してしまって寝落ちしたので夜食にと買ったおにぎりがまだ残っているのだ。
 フィルムを剥がして、ゴミ袋に転身したコンビニ袋にゴミを入れる。そのままおにぎりを半分に割って、片方にかぶりついた。おかか。美味。
 しばらくの間黙々と食事をしていたのだが、ふと視線を感じて男の方を見ると、空になったチョコチップスティックパンの袋を持った男がボーッとこちらを見ていた。……おにぎり狙われてる?
 慌てて口の中のおにぎりを飲み込んでもう片方にも口を付ければ、「取らねーって」と男は呆れた顔で言ってきた。分かんないじゃんそんなの。ゴミ捨て場で寝てる変人だよ? 人のおにぎりぐらい取るかも。現に勝手にチョコチップスティックパン全部食べたし。
 行儀が悪いとは思いつつもおにぎりを全部口に入れてちょっとずつ飲み込んでいく。い、息が苦しい。
 そんな私を見て男は相変わらずの呆れた顔でペットボトルを差し出してきたので、ペコッと頭を下げて受け取った。まあこれ買ったのも私だけどね。

「そんな焦んなくたってなんもしねーよ」
「もがもが」
「喋んなくていーから」
「もがっ」
「喋んなって」

 違う! 謎に慈愛に満ちた目を向けてくる男に、手の中のペットボトルをグッと押し付ける。蓋が固くて開かないの! よく見たら結構中身減ってるし、お前の飲みかけ寄越すな!
 口の中におにぎりが詰まっているため言葉にはできないそんな文句を視線だけで全部ぶつければ、男は「ああ」と言ってペットボトルの蓋を緩めて渡し返してきた。だから違う! 新しいペットボトルを……。

「あ、関節キスとか気にするクチ? 上京早々家に男連れ込んでおいて案外ウブじゃん」
「もがっ⁉︎」

 何を言うんだこの酔っ払いは。もしかしてまだ酔ってるの?
 こんなことならゴミ捨て場に捨て置いたままにしておけばよかった……と後悔しながら、視線を巡らせてもう一本のペットボトルを探した。あ、布団の横に落ちてる。
 一度ブロック塀の後に置いたあとちゃんと袋にしまったはずなのになくなっていたから不思議だったけど、どこかのタイミングで落としてしまったらしい。夜中は本当に大変だったから……。この酔っ払いが全然歩いてくれなかったり、急に歩き出したり、布団を剥ぎ取ろうとしてきたり。
 二度と酔っ払いは拾わないぞと固く心に決めて、布団の横に落ちているペットボトルに手を伸ばす。……ん?

「あ、それ空。夜中に一回起きて全部飲んだ」
「もがぁっ!」

 衝動的に投げた空のペットボトルは、すこーんっと良い音を立てて男の額に命中した。


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 結局それから三十分ほどして、男は「じゃあ帰るわ」と言って帰って行った。何から何まで軽すぎる。そしてジャケットを置き忘れていってる。
 なんなんだ本当に。床に投げ捨てられたジャケットを一応拾って、今更遅いだろうがこれ以上皺にならないようにキャリーケースの上に軽く畳んで置いておく。家には今ハンガーも何も無いから、置いておけそうなところはここしかない。
 酒臭い男がようやくいなくなってくれたのに、酒臭い置き土産を残されていってしまった。どうすればいいんだ、これ。
 しばらくジャケットを見つめて考えてみたものの答えは出るわけもなく、タイミング良く叔母から電話が来たのでとりあえず応答する。当面の生活に必要そうなものを買ってくれるらしい。やった。車がないと厳しいかもと思っていたから嬉しい。昨日のハンバーグも冷凍してあるから食べにおいで、と言ってもらえて、有頂天になった。超嬉しい。ハンバーグ大好き。
 そうと決まったら叔母に会う前にシャワーを浴びたい。だけど着替えの服もなければ下着もないので、昨日帰ってきて適当に放り投げたままだったウエストポーチを手に持って家を飛び出した。確かスーパーの近くに服屋があった気がする。そこで適当に揃えよう。
 家を飛び出して階段を途中まで駆け下りて、鍵のことを思い出して慌てて戻った。そのまま鍵穴に鍵を差して半分回し、そこで少しだけ迷う。あのジャケット、酒臭いし、脱がせもしないで床に転がして寝かせたから既に皺がついていた。それに、あの男が取りに来るかは分からないけど、喪服って結構値段するよね? 人のものを勝手に捨てるわけにもいかないし、ハンガーもない家に置いておくよりかは……。
 半分回した鍵を戻して引っこ抜き、ドアを開けて部屋に戻る。そしてキャリーケースの上に置いていたジャケットを手にとってまた部屋を出て、今度はしっかりと鍵を閉めて小走りで階段を駆け下りた。クリーニング屋に寄るならちょっと急がなきゃダメだ。

 その後、慌てて買い揃えた服で叔母夫婦の家に向かったら、玄関で待ってくれていた従弟に顔を合わせるなり「姉ちゃんのバッグ酒くせー!」と言われてかなりショックを受けた。あの男、そう言えば私のウエストポーチを枕にして寝てやがった。
 従弟の叫びを聞いて玄関まで出てきてくれた叔母夫婦にも「だから心配だったのに……」「相変わらずすぐ変なもの拾ってくるなあ」と呆れられて、すごく不服。やっぱりあのジャケット捨ててやろうかな。

よつぼしいつか