三話

 小学生男児の体力舐めてた。コイツらはもう怪獣。もしくは幼い小型犬。運動不足の女子大生がコイツらの相手をするのには無理があった。

 叔母夫婦と従弟に付き合ってもらって家具や調理器具を揃えたところまでは良かったのだが、ハンバーグに惹かれて叔母夫婦宅に一泊することにしたのが失敗だった。テンションが上がりすぎた従弟に「ゲームしたい」「遊ぼう」「友だちに紹介する」などとあちこちへ連れ回され、引き合わされた友人たちも込みで「かけっこしよう」「鬼ごっこしよう」などと言ってくるものだから断れず……。
 家に帰る頃には「ああ……」「うん……」としか返事が出来ないほどにヘロヘロになってしまい、翌日起きたら正午だったため全てを断念して滞在期間をもう一日伸ばした。

 そして今日、上京四日目。終わらない筋肉痛に泣きたくなりながらも叔母に作ってもらった朝食を食べる私に、教科書どころか筆箱すら入っていないランドセルを背負った従弟は「姉ちゃんダセー!」と笑いながら小学校へと向かっていった。元気なようで何より。

 どうにも元気すぎるらしい従弟は、この前は中学生に喧嘩を売ってボコボコにされて帰ってきたらしい。そこら辺を歩いていたお兄さんが見兼ねて助けてくれたそうだ。でも、次も誰かが助けてくれるとは限らないんだから危ないことはやめてほしいと叔母はため息をついていた。完全に同意。格上に喧嘩を挑みすぎているとそのうちそれが普通になってしまってぽっくり死にそうだ。
 叔母の「でも安心、これからはお姉ちゃんが遊んでくれるもんね」という言葉には「うーん?」と微妙な返事をし、週末も遊びに来ることを約束してアパートに帰る。アパートに帰ったら一人なのだと思うと出来ればもう一泊したかったが、一昨日運びきれずに配送をお願いした家具たちが今日の午後にアパートに来ることになっていた。なのでそれまでには帰りたい。
 叔母の家から一番近いバス停に辿り着いた時にちょうどバスが来たので、すんなりアパートの最寄りバス停に帰れた。でもそのままアパートに戻ることはせずクリーニング屋に向かってジャケットを引き取り、ついでにスーパーにも寄って食パンも買う。今日の昼と夜はこれでいいや。また家を出るのはちょっと手間だけど、午後に冷蔵庫が配送されてきたら改めて何か買いに来よう。
 片手で食パンだけを入れたビニール袋を揺らし、もう片手でビニールを被せられたジャケットを持ってアパートに帰る。酒臭い状態で皺になるぐらいならと勢いでクリーニングに出してしまったけど、この喪服どうしよう。捨てるわけにもいかないし、売るわけにもいけない。心情的にはそのどちらかを選びたいのが本音だが、人道的にはなしだろう。本当にどうしよっかな。
 他人の、それも異性の、更にはジャケットだけの喪服なんて使い道が何もない。部屋にかけておいてインテリアにするようなものでもないし、あの酔っぱらいを追いかけて「忘れてますよ」と渡した方が良かったかも。次会えたらその時に……いや普通に会いたくないな。
 ゴミ捨て場で寝てる酔っ払い。しかも葬式帰り。人が買ったチョコチップスティックパンと水を平気で飲み食いするような奴。出来ればもうお会いしたくないタイプの人である。
 大家さんやお隣さんが言っていた「たまにゴミ捨て場で寝てる派手な格好の変人」と先日の酔っ払いとは恐らく同一人物ではないのだろうが、それはそれで怖い。このアパートのゴミ捨て場には変な酔っ払いが定期的に出没するということである。しかも全員別人。
 立地的にも家賃的にも好物件だと思ってたけど、実際は結構変なアパートだった……。大家さんもお隣さんもいい人そうなのに。

 少し後悔しながら歩いていると、アパートの前に配送業者のトラックが止まっているのが見えた。慌てて走り出す。ヤバい、もう来てる!


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 配送業者のお兄さんがいい人で、「この後暇だから」と言ってベッドの組み立てとかタンスの組み立てとかを手伝ってくれた。すごく助かったし、やっぱり東京って捨てたもんじゃない。私だけだったら全部途中で諦めて今日も大家さんに借りた布団で寝ることになっていたと思う。
 まあ、手を借りはしたけど、結構自分でも頑張ったから疲れた。それでついつい床に転がってお昼寝してしまって、起きたら夜の十一時だった。私っていつもこう。次は目覚まし時計を買おう。
 結局買い出しにも行けていなかったので取り敢えず食パンを二枚食べて、もうちょっと味のあるものが食べたい明日の朝ごはんも買いたかったのでスーパーに行こうと家を出た。
 そうしたらまた、いた。ゴミ捨て場で例の黒髪の酔っ払いが寝ていた。今日は大の字。人の家のゴミ捨て場でそんな開放感溢れる寝相で寝るな。
 先日とは違いTシャツに細身のジーンズを合わせたラフな格好の酔っ払いは、先日と同じく酒臭い体で爆睡していた。どうしてゴミ捨て場で泥酔してしまうほどに酒を飲むんだろうか、と疑問に思いながらも、今日は遠慮せずにゴミ捨て場に入って酔っ払いの横にしゃがみこむ。これが二回目の邂逅だが、そのたった二回の邂逅だけで、この人に遠慮をするのは馬鹿らしいことなのではないかと気付いてきた。
 僅かに口を開けてすやすや寝ている酔っ払いの腕に触れて軽く揺さぶる。「起きてください」と声を掛ければ、何事かを唸りながら酔っ払いは私に背を向けるようにして寝返りを打ち、そのまま膝を抱えるようにして体を丸めてまたすやすやと寝息を立て始めた。ゴミ捨て場でこんな風に熟睡出来るのは一種の才能じゃないだろうか。今度は肩を掴んで、さっきよりも力を込めて体を揺さぶる。

「起きてってば。警察呼ばれますよ」
「たおすからいい」
「いや、なんにも良くないでしょ。ねえ、起きてお兄さん。家どこですか。タクシー呼びますから、ほら」
「おきなわ……」
「変な嘘つかないでよ。……え、嘘だよね?」

 完全に酔っ払っているらしく、話が通じない。今タクシーを呼んであげても運転手に正確な住所を告げられるかどうかは五分五分だろう。沖縄なんてふざけたことをぬかしたらその辺の道に捨てられかねない。
 もしや今日もこの男を拾って部屋に連れ帰らなければならないのではないか。そう考えると気が滅入るが、一度話し掛けてしまった手前、ここに捨てていくのもどうなのだろう。この人以外にも変な酔っ払いがこの辺りにはいるようだし、酔っ払い同士のバトルになったり、それこそ誰がが警察を呼んでおかしなトラブルが発生したり……。
 連れ帰る義理はない。ないけど、放置もどうなんだろう。
 私が悩んでいると、再び寝返りを打ってぼんやりとこちらを見上げた酔っ払いが、同じくぼんやりとした口調で「パンは?」と聞いてきた。この前自分がパンを奪った相手と今目の前にいる女とがイコールだとは分かっているらしい。そしてまたパンを恵んでもらえるものだと思っている。
 しばらく酔っ払いのぼんやりとした瞳と見つめあってから、ため息をついた。

「せめて名前ぐらい教えてください。名前も知らない酔っ払いを家にあげてるって知ったら田舎の両親が倒れます」
「わかさ」
「わかささん、ほら、起きて。床ぐらいは貸してあげる」
「パンは?」
「あなたを部屋に入れてから買いに行く」

 この日私は、自分とそう身長が変わらない相手でもおぶるとなるととんでもなく疲れるのだということを、初めて知った。

よつぼしいつか