お味はいかが?
ファーストキスは、レモンの味がするらしい。
抑えきれないわくわくとした感情もそのままに、見習いが伝え聞いた言葉を一言一句違えずに口にすれば、真琴の表情はあからさまに曇った。
……いや、曇ったと言うよりは、訝しむような呆れたような表情だ。
兎にも角にも、真琴の表情は肯定的なものでないことだけが、確かだった。
「いきなり何を言い出すかと思えば……。何ですか、急に」
「だって、気になるじゃないですか!」
「はあ……。そもそも、キスに味なんてある訳無いじゃないですか。あるとすれば精々、その直前に口にしていた飲食物の味が残っている程度でしょう」
否定的な表情のまま、真琴はつらつらと正論を並べ立てる。
それらはきっと、理論的に正しいものなのだろうということは、見習いにも理解出来た。
これがテストに記された問題の回答であったなら、きっと百点満点間違い無しだ。
何なら、赤ペンでぐりぐり描かれた花丸印と、『たいへんよくできました』のスタンプを添えたって良い。
だが、見習いが求めているのは、テストで百点満点を取れるような正解ではない。
そんな、口先だけで幾らでも並べ立てられる正しい理屈よりも、その身ひとつで行動に移された実践と経験が欲しかった。
「そんなの、分からないじゃないですか! もしかしたら、どこかから出てくる何かの影響で、何も無くても、キスがめちゃくちゃ甘く感じたり、感じなかったりするかもしれないんですよ?」
見習いは、口から出ていくままに、言葉を並べる。
もう、勢いだけだった。
普段使わないような、頭の隅から隅まで使ってみたところで、見習いは知識量で真琴には勝てない。
だから見習いは、勢いだけで一気に捲し立てた。
それが理論的に破綻していようが、知ったことではない。
ただ、ほんの少しでも、真琴の心を動かし、実践に移ることが出来たなら。
この勝負というには拙い駆け引きは、その時点で見習いの勝利なのだから。
勢いに押されたのか、見習いの言葉も一理あると思い直したのか、その心中は分からない。
しかし真琴は、得心したような短い声を漏らした後、しばらく考え込んだ。
折角ここまで進めた駆け引きを無駄にする訳にはいかず、見習いも口を噤んでそれを見守る。
そうして逡巡した後、静寂を破ったのは真琴の方だった。
「……確かに、一理ありますね……」
見習いに聞かせる意図があるのか無いのか、その後続けられたのは、恐らく何かしらの物質名なのだろう片仮名の羅列ばかりで、見習いの理解は追いつかない。
耳に馴染まぬ片仮名の羅列を理解しようと見習いが独り奮闘している間に、真琴は自分の中で幾つかの仮説を立てたらしい。
「見習いさん」
名前を呼ばれた見習いが真琴と向き合えば、真琴は真っ直ぐに見習いを見つめていた。
その瞳は、表情は、真琴の迷いの無い決意を証明するように、ほんの少しだって揺らがなかった。
「……真琴さん?」
衣擦れの音が、鼓膜を揺らした。
見習いが行動を起こす間も無く、真琴の顔が近付く。
そして、唇に、熱が触れた。
それら全ての情報量が多すぎて見習い、は何が何だか分からなかった。
ただひとつ、理解出来たのは。
(……あ、珈琲の味だ)
真琴と交わしたキスから、珈琲の味がしたことだけだった。