繋ぎめは柔らかい

事件の処理で中々馴染みの喫茶店へ足を運ぶことができなかった萩原は、半年ぶりにその場所へと来ることができた。気に入りのコーヒーが飲めるとうきうきする彼を出迎えたのは、"店主の一身上の都合により閉店致しました"という何とも無機質な張り紙である。思わずあんぐりと口を開けた。

「まじか」

閉店するなど萩原にとっては寝耳に水。扉の隙間から中をのぞいてみたが、ガランとしている店内を見る限り、閉店からある程度時間が経っていることが伺えた。堪らず、親友に電話をかける。

「あ、松田か?一個聞きたいんだけどさ…」

***

マスターの体調が芳しくないため、アルバイト先だった喫茶店は閉店することになった。元々病み上がりだったので不定休が多かったけれど、足が遠のいていた人は急な閉店の知らせに驚いたに違いない。

マスターの余命はそんなに長くなかった。喫茶店を再開する見込みがないことは自分で知っていたのだろう。お見舞いに行った時、土地は貸し出しか売り出しかそんな話を担当の人にしていた。だから私が買い取らせてもらったのだ。両親の遺産の使い道にも困っていたし、マスターもまだ内心では喫茶店を続けたがっているのを知っていたから。私が喫茶店を再開することをマスターは心底喜んでくれたようだ。君にはバリスタの素質があると、そんな嬉しい言葉を何度もかけてくれ、お見舞いに行くと最後までコーヒーの淹れ方を教えてくれた。最期に出したコーヒーを噛みしめるように味わって''美味いなあ"と呟いたマスターの顔を、私は一生忘れないと思う。

「…あれ、萩原さん?」

マスターのお葬式も終わり卒業に必要な単位数もほぼ取り終えたので、一年ぶりくらいに店舗を掃除のために開けた。スマホでジャズを流しながら掃除をしていた時、慌ただしく店内に走りこんで来たのは随分と久しぶりに見る常連さんであった。向こうも驚いているのか、何かを言ってるが全然声になってない。

「おま…っ!」

「どうどう、萩原さん。落ち着いて」

一旦掃除を中断し、綺麗になったばかりのカウンターに彼を誘導する。自分の家で淹れてきたコーヒーを紙コップに移して出してあげた。簡易すぎるおもてなしにも関わらず、萩原さんは凄く喜んでくれたらしい。ずっと飲みたかったんだと、笑顔でコーヒーに口をつけた。

「久しぶりに来たら閉店の紙が貼ってあって吃驚したよ」

「あはは。色々あって。萩原さんも松田さんもぱったりとこなくなったので飽きられたかと思ってました」

「仕事で中々足伸ばせなくてさ。依ちゃんに連絡とろうにも引っ越してたみたいだし、連絡先聞いておけばよかったって後悔してたんだ。様子を見に来てよかった」

「流石に爆弾が仕掛けられたマンションに住み続けるのはちょっと…今は重要な収入源ですけどね」

1人で暮らすにも大きかったし、大学生が高級マンションに住むもんじゃない。今は都心から離れた所の中古のリノベーションマンションを購入し、そこで暮らしていることを伝えると、それもどうかと思うと言われてしまった。解せぬ。

「マスターは?」

「元々身体悪くしてたみたいで…」

「そっか…」

「だからここの店舗譲ってもらったの。大学卒業したら気ままにカフェの店長しようと思って」

「本当?じゃあまたここ開けるの?」

「うん。そのつもりだよ〜」

だからまたコーヒー飲みに来てねと言えば、勿論、と笑顔で返された。よし、常連さん1人確保。

「でも大変じゃない?いきなり経営者ってことでしょ?」

「あれ、萩原さん知らなかったですか?私、経営学専攻してるんですよ」

両親が他界した今となっては、それなりに自分で生きていく力が必要である。だから経営学を専攻し、いざという時のために自分で稼ぐ術を身につけておくべきだと思ったのだ。住んでいたマンションを不動産にいれたのもその一環だし、アルバイトもそうだ。だからこそチェーンではなく個人店で色々勉強していた。マニュアル化されているのも勿論いいけど、個人店の方が得るものは多いと思ったから。

「何驚いた顔してるんですか」

「いや、思ってた以上にしっかりしてるなって」

「萩原さんも大概失礼ですね〜」

ジト目を向けると素直に謝られる。積もる話もあったけど、彼も私も仕事中であり長話はまた別の機会にということになった。恐る恐ると言った感じで連絡先を聞かれる。それを内心笑いながら、刑事が大学生に手を出していいんですか、と聞けばバツの悪そうな顔をしたのでますます笑ってしまった。疚しさがあるなんて思ってないから大丈夫だよ。

「開店の時期が決まったら教えて。松田と花輪持って来るから」

「やった。一番高いものを期待してます」

「依ちゃんの頼みだからなー…頑張るか」

今から資金を貯めてくれるそうだ。律儀な萩原さん、素敵。どうやら松田さんも閉店を残念に思っていたようで、帰ったら自慢するのだという。物凄い上機嫌な萩原さんと不機嫌な松田さんが目に浮かんだ。次に松田さんに会った時、嫌味を言われそうだ。

「私のタンブラーを貸してあげるので、松田さんと仲良く飲んでください」

「わーい」

「喧嘩したら出禁にしますから」

「それは困るなぁ」



title by 夜途