外面が鬼

その日は隣町のカフェへ偵察に行く予定があり、そこまでの足がなくてバスに乗った。スキーに行くだなんだと可愛らしく騒ぐ小学生の横を通り過ぎ、空いていた一番後ろの窓際に座る。バッグからiPodを取り出し音楽を聴こうとベッドフォンを耳に当てたその時だ。次のバス停で乗ってきたらしい乗客が、どすん、と横に座った。詰めようと横にずれて視線をあげる。叫びそうになった。

「…何か?」

私の驚く顔を見てさぞ楽しそうに目元を緩ませたのは、いつぞやの真純ちゃんのお兄さんだ。マスクをつけているからその表情までは見えないけれど、彼は絶対私が誰か分かってそう言っている。女顔負けの長髪はどうしたのか、なぜ此処にいるのか、目的は知らない。彼が知らないふりをしてくれるならそれに越したことはないけど、後々油井さんの時みたいに巻き込まれるのはごめんだ。

彼の問いかけに首を振って、できるだけ窓際による。真純ちゃんは可愛いけれど、危険な匂いのするお兄さんは知らんぷりするのが一番である。そういえば真純ちゃんは中学の学年が上がると同時に海外へ移住してしまったのだが、元気にしているだろうか。秀兄とはあんまり連絡が取れないんだ、と嘆いていたのが懐かしい。呑気にそんなことを思っている私は、この後バスジャックに巻き込まれることをまだ知らない。

***

もうやだ怖い。拳銃は突きつけられるし買い換えたばかりの携帯は没収されるし、おまけに足元には爆弾だと?やっぱり油井さんと知り合ってからろくなことがない。自分の不安に嘆いていると、隣のお兄さんは犯人に呼ばれて席を離れる。ホッとしたのもつかの間、子供達が何やらスキー板を担いで爆弾だといい、バスの運転手がブレーキを踏んだ。その反動で地味に前の座席に頭をぶつけて痛い。本当ついてないなぁ、と思ってると、こちらも急ブレーキのせいで爆弾の起爆スイッチが入ってしまったらしい。

「うえ?!」

乗客がバタバタとバスを降りていくのだが、さっきの急ブレーキで頭を負傷しただけでなく、足も挫いてしまった。座ってて挫くってどんだけ鈍臭いの、とは思ったけど、挫いてしまったものは仕方ない。爆発まで後何秒だろうか。よいしょと腰を上げたところで、前の席に座る赤ずきんちゃんが見えた。この子も逃げ遅れたのだろうか。それにしては焦っていないように見える。まるで、此処で終わることを自ら望んでいるようなそんか感じさえした。なんとなく1人にするのは気が引けて、一度あげた腰をその子の横で下ろした。ハッとしたように私を見上げるのは、死ではない何かに怯えた双眸だ。

「何して…!早く逃げた方が!」

「貴女は逃げないの?」

「…いいのよ。どうせ逃げ切れないから」

「そっか。実は私も足挫いちゃって、ドアまで走れそうにないの。2人なら怖くないかなあ」

笑って震える小さな手を握ると、信じられないものを見るような表情で見上げてくる。えへへ、と笑うと彼女もぎこちなく笑った。その時だ。バスジャックの犯人を色々と挑発していた眼鏡の少年がバスに戻ってきたと思いきや、床に落ちている拳銃でバス後ろの窓ガラスを撃ち抜いた。ここ、日本だよね?彼の余りの手慣れた感に驚く私と同じように、彼も私を認めて驚く。

「あんた…!」

「うーん…小学生ならいけるか…2人ともお姉さんに捕まっているんだよー」

駆け寄ってきた男の子と、座っていた女の子を抱き上げて、一番後ろの座席を蹴る。足が痛いとか今は言ってられない。勇気ある少年とか弱い女の子を守らねば。窓枠を蹴り込んだのと爆発するのは同時だった。爆風を受けながらどうやって着地しようか考える。腕の中の2人を下敷きにするわけにもいかないし、来たる衝撃に覚悟を決めて背中からダイブした。

「っ…!」

「お姉さん、大丈夫?!」

「うん。なんとか」

折角のダウンコートは残念なことになっているだろうけど。私の無事を確認した男の子は、駆け寄ってきた刑事に対して女の子が怪我をしていると主張し、家に帰してあげていた。何それ惚れる。私は事情聴取のために、道路脇に止められたワゴン車に乗るように言われた。この後どうなるか簡単に想像できて猛烈に帰りたい。

「無茶をしたな」

「…どちら様ですか?」

げんなりした私の横にいるニット帽の怪しいイケメン。いつの間にか横に立っていた真純ちゃんのお兄さんは僅かに眉を顰め、溜息を吐く。知らんぷりするなら最後までそうしてほしいんだけど、こちらの意図は伝わっていないようだ。不意にポケットに入れられていた手が延ばされて、私の額をつつく。

「ちょっ…!…いだだだっ!」

「…少し切れている。まあ、額なら問題はないか」

たらりと流れてきた血を親指で拭われる。そこに優しさなんてない。あるのはどんくささを笑うニヒルな顔だ。そんな真純ちゃんのお兄さんから逃げるように、刑事さんたちが事情聴取で集まるよう呼びかける声を目指して歩き出すと、彼は私の膝裏に手を入れ抱き上げた。なんつー早業。しかしこの歳になってお姫様抱っことか地味に恥ずかしい。

「ぎゃっ!下ろして!何なの?!」

「足を怪我しているんだろう。少しの間我慢しろ」

バタバタと足を動かしたが下ろしてはもらえなかった。刑事さんも驚いている。彼は私が足を痛めてることを説明してくれたので、ここぞとばかりに頭も打ったと主張した。運が良ければ今日は帰っていいと言われるかもしれないと思っての行動だったのだが、下った判断は救急車に乗せられて病院送りだ。頭を打ったのも額が少し切れているのも事実だが、大げさに言ったのが悪かったらしい。身から出た錆とばかりに、したくもない検査入院を余儀なくされた。解せぬ。