空の淵

「どうしたもんじゃろの…」

思わず何処かの方言が出た。たまの休日、遊びに行こうと思ったのだ。1人でなんて寂しいと思われるかもしれない。でも元々1人は好きだし慣れていた。だからお気に入りのカメラを持って観覧車に乗り込んだのだ。此処の観覧車は少しだけ窓が開く。そこから写真を撮るのが好きだったから。だのに。

「何でお前が乗ってんだよ」

「降りようとしたのに乗ってきたのは松田さんだよ」

そろそろ地上だからと降りる準備をしたのだが、何やら解体道具を背負った松田さんが乗り込んできたではないか。完全に降りるタイミングを失った私と、ぎょっとしたような松田さん。外にいる誰かに向けてかっこよく何か言ってたけど、その顔で全部台無しだよ。そんな私の心情なんて聞いてないとばかりに無情にも扉は閉められて、したくもない2週目の空中旅行へと突入することになった。

「それ爆弾?私爆弾とランデブーしてたんだ」

「つくづく運の悪い奴だな。…じっとしてろ」

「はーい」

誰かの忘れ物かと思っていたカバンから爆弾を取り出した松田さんの後ろで覗き込むように見ていると、動くなと釘を刺されてしまった。何やら振動に弱い装置があるらしい。大人しく爆弾がない方の座席に座り、地上を見下ろす。眼下を多数の親子連れが歩いていた。そんな中、マスコットキャラクターが持っていた風船が風に煽られて、色取り取りのそれらが空へと舞い上がる。ふわりと上昇する風船達を撮るに相応しいアングルを見つけて、カバンにしまっていたカメラを取り出した。その様子を見た彼は呆れとも取れるように溜息を吐く。

「依、あんた怖くねぇの?」

「んー…爆弾は怖いけど、爆弾処理班のエース、松田さんがいるからね」

「今は強行係だけどな」

「まじか、何で移動したの?でもまあ松田さんのこと信じてるし、大丈夫だよ」

死んだら死んだだし、どうしようもないよ、と言えば、目を見開いた。サングラスを取ってるからその表情がよく分かる。こんなに表情が動く人だったのかと感心し、思わずシャッターを切ってしまった。それがまた松田さんを呆れさせる原因にもなるのだが。

「全く…」

「そう言えば萩原さんは?いつも一緒なのに1人なの珍しいね」

「あいつはインフルエンザで出勤停止だ」

「あはは!インフルって季節外れにも程があるのに!何たらは風邪引かないって嘘だったんだ」

「違ぇねえ。つーか依、あんた案外酷い奴だな。萩原が知ったら泣くぞ」

「あれ、松田さん知らなかったの?私結構毒吐く方だよ」

そんな軽口を叩きながらもテキパキと作業する松田さん。爆弾処理班のツートップの1人というのはあながち間違いではないらしい。3年前の爆弾に比べたら簡単な造りだったため、存外早く終わるようだ。ホッとしたのも束の間、観覧車デートも半分過ぎたあたりで小規模な爆発があった。その衝撃でぐらりと揺れた身体を、松田さんが支えてくれる。同時に落ちて来た舌打ちに、あまりいい状況じゃないことが何となく分かった。

「ちっ…水銀レバーが作動するつーの。勘弁しろよ」

「危ないねえ…終わりそう?」

「あぁ。依もいるしな。さっさと終わらせてあんたのコーヒーが飲みたい」

「ふふ。お店に来てくれたらいつでも入れてあげるよ」

がんばれーっと気の抜けた応援をした時だ。松田さんの手がピタリと止まった。不思議に思って覗き込むと、タイマーを表示する電光板に何やら不吉な文字の羅列が浮かんでいる。要約するに、爆弾は別の建物にも仕掛けられており、しかもそのヒントは爆発の3秒前にならないと表示されないらしい。詰んだ。

「…どうしよっか」

「依だけでも地上に降ろしたいが…無理か」

「完全に止まってるしね」

さっきの爆発で観覧車は動きを止めてしまったため、地上に降りるのは無理である。松田さんは考え込んだ後、携帯で別の刑事に電話をかけ始める。私はその間、ずっと窓の外を眺めていた。まさか人生最後の日が爆弾で締めくくられるとは。まあ、イケメンと心中できることはせめてもの救いだろう。松田さんは私の方をちらりと見て、了解と言った後、携帯を切る。

「爆弾を解体することになった」

「いいの?もう1つの場所分かんなくなっちゃうよ」

「俺1人なら限界まで待ったが…あんたを死なせる訳にはいかねぇよ」

「やだイケメン。惚れちゃう」

「茶化すな」

作業に取り掛かろうとする彼の手を掴む。何だ、と眉を顰めた彼に、あと何分あれば爆弾が解体できるのか聞くと、長くても数秒あれば十分だという。なら決まりだ。

「じゃあヒントが見れるギリギリまで解体できるところまで解体して。犯人のヒントは爆発の3秒前で、松田さんがもし1秒で解体できるなら、2秒間はヒント見れるよ」

「あんな、そんな一か八かの勝負に依を巻き込めると思ってんのか?俺1人の犠牲ならいくらでも払うが…」

「そういう考え方は好きじゃない。どうしたら生き残れるか、そっちを1番に考えてよ」

犠牲なんて言葉は嫌いだ。その選択肢を取ろうとする考え方も。私だってたかが愉快犯とも思える爆弾魔に松田さんが殺されるなんて、誰かを助けて自ら犠牲になるなんてもっとごめんだ。一般人を救うため何ちゃらした、なんて大義名分はいらない。もっと大きな犠牲が出るのも嫌で、私を道連れにするのも嫌なら、その両方を守れる道を選んでくれて大いに結構。存外真剣な声に私が怒ったのが分かったのか、松田さんは気まずそうに頭を掻いた。

「…死ぬかもしれねぇぞ?」

「もう既に呉越同舟だもん、それこそ今更じゃない?私が巻き込まれることで松田さんが死なない解決策を練ってくれるなら、喜んで巻き込まれるよ」

なんせ既に一周は爆弾と観覧車デートをしていたのだ。松田さんが来る前に、突風が吹いてあわや爆発、なんて事になってたかもしれない。今日の運勢は1番だったからきっと大丈夫。そんな慰めにもならない言葉に大きな溜息を吐いた彼は、死んでも恨むなよ、と幾分かリラックスした声で言った。

「もし死んだら一緒に萩原さんの枕元に立とうね。きっとびっくりするよ」

「…能天気な奴」

くしゃっと頭を撫でられた。暖かい手である。見上げた先の彼が晴れやかな顔付きに見えるのは気のせいだろうか。きっと覚悟を決めてくれたのだ。つられるように笑い、カバン中からタンブラーを取り出し彼に差し出す。

「はい、コーヒー。集中力必要でしょ?」

「あるなら最初から出して欲しいところだ」

「切り札は最後まで取っておこうと思って」

口元を緩めてうっすらと笑った松田さんは、文句を言いつつもタンブラーを受け取って傾けた。コーヒーを飲み終わると、目を瞑り深く深呼吸する。次に目を開いた時、彼の顔は刑事そのものだった。犯人と松田さん。果たしてこんな生存率の低い賭けに勝つのはどちらだろうか。