ありふれた苦悩

真純ちゃんと知り合って数年が経った。彼女は中学生、私は社会人になった今でも交流は続いているけれど、昔ほど頻繁には会えない。理由は色々あるけれど、一番大きな原因は私が親元を離れたからだ。離れざるを得なかったと言った方が正しい。今では都心ではなく下町に住み、そこから通勤している。

そんな中、偶々買い物に出た先の駅で見慣れた女の子がベースを弾いているのを見つけた。猫っ毛に八重歯。忘れもしない、あの子だ。数分もかからず、すっかり成長した真純ちゃんだと分かった私は、後先も考えず名前を呼んでしまった。

「真純ちゃん?」

「あ…依!」

ついつい懐かしさから声をかけてしまったけれど、彼女にベースを教えていた人を見て、後悔の念が押し寄せる。その男の人を私は知っていた。幸い逆光で細かい表情までは見えないはずだけど、私の表情が曇ったことを、彼は気付いただろうか。さらに間の悪いことに、その後ろにも見知った金髪の男性が帽子を目深にかぶりこちらに視線を向けている。ぞくり、悪寒が走った。

「…君の知り合いかい?」

「まあね!」

男性の問いかけに得意げに頷いた真純ちゃんは、昔と変わらない笑顔で両手を広げ、抱きついて来た。それを慌てて受け止めるけれど、やはり成長している分加速度が付く。ぐらりと倒れかけた身体を支えたのは、丁度後ろから歩いて来た長髪の男性だった。

「真純、危ないだろ」

「ごめんなさい…依、大丈夫?」

「うん。真純ちゃんが大きくなってびっくりしちゃった。ええと…支えてくれて有難うございました」

後ろを振り返ると、やっぱりギターケースを背負った男性が、真純ちゃんを睨んでいた。サングラスをかけてる分、凄みと只者じゃない感が漂う。待って、この人も知ってる。前門の虎後門の狼状態に、頬がひきつった。

「依、この人が前に言ってたボクの兄貴だよ!」

「…ふふ。目元が似てるね」

うっすらとサングラスから見えた目元を指摘すると、彼は一瞬驚いた表情をした。秀吉くんとはまた違うタイプのお兄さんだ。とりあえず早く此処から離れたい。切符を手渡されている真純ちゃんに聞けば怒られて渋々帰る所だというので、お兄さんにも頼まれたし一緒に帰ることにした。

「…妹が悪いな」

「いえ、お安い御用ですよ」

「依、どこかで食べて帰ろうよ」

「いいよー。何食べたい?」

乗り気な真純ちゃんに、迷惑をかけるな、とお兄さんから呆れた声が飛ぶ。迷惑だと思っていないことを伝えるが、彼は財布から食事代と言って諭吉さんを取り出そうとしたので、今度は私が慌てる番だった。働いているし大食漢でもないため、別に真純ちゃん一人分くらいなんてことない。

「本当に大丈夫ですよ」

「いや、しかし…」

暫くそんなやりとりが続いた後、真純ちゃんにベースを教えていた男性が、言いにくそうに声を出した。金髪の男性も時計を気にしていることから、そろそろ彼らの用事の時間が迫って来たのだろう。

「話し中悪いんだけど、そろそろ…」

「ほら、ね!本当にお気持ちだけで!真純ちゃん、行こうか」

真純ちゃんの手を引いて挨拶もそこそこに、丁度来た電車に乗り込んだ。3人は私達が乗り込んだ電車がホームを出るまで見ていたような気がする。漸く彼らの視線から逃げることができたことにホッとし、手を繋いだままの彼女に再度何を食べたいか聞く。

「オムライスがいい!」

「分かった。じゃあ真純ちゃんの家方面で美味しい所探そっか」

カバンからタブレットを取り出し、彼女と一緒に検索エンジンから最寄駅の付近でオムライスが美味しいお店を探すことにした。くっついて画面をのぞき込む真純ちゃんに癒される。本当、こんな妹ほしかった。



依が真純を連れて電車に乗った後も3人はじっとその姿を追っていた。電車が見えなくなったところで、ベースを教えていたスコッチが口を開く。

「ライ、バーボン、気付いたか?」

「あぁ…彼女、俺たちを見て表情を変えたな」

「僕でよければ探っておきますよ。こういうことは得意ですから」

組織に関係あるにせよ、ないにせよ自分たちのことを知っているのなら野放しにはできない。3人とも同じ気持ちだ。視線を交えた後は其々打ち合わせしていた通りに動き出す。一方、呑気にオムライスのお店を探す彼女は、自分たちがいなくなった後でそんな会話がされていたなんて想像もしていなかった。