「まずは自己紹介な。俺は…」
「ちょっと待ってください!!いいです!ストップ!名乗らなても大丈夫ですから!」
あれよあれよと彼のペースに巻き込まれ、何故か私の家でテーブルを挟んで向かい合って座っている。おかしい。家にあげる予定などなかったのに。これ以上は巻き込まれてたまるかと、スコッチの名前を聞く前に遮る。私が大声を出すと思っていなかったのか、あごひげのスコッチは少しびっくりしたような表情を浮かべた。
「多分特殊な職業の方なんだろうって予想はついてます。私は偶々あの場所にいて此処に連れてきちゃったけど、ただそれだけの関わりです」
「確かに普通の職とは言い難い。身元が割れると互いに危険ということだな」
「そういうことです」
偶々私があの現場にいたせいでスコッチさんの計画が台無しになってしまったことについては、素直に謝ろうと思う。でもそれだけだ。ややこしい事や危険なことに巻き込まれるのは何度も言うけどごめんである。スコッチがどう言った人間で何処に所属してようと、それを知らなければただの通りすがり関係のままでいられるわけで、私にとってはその方が都合がいい。きっとそれは彼もだろうと互いのベストを考えての発言だ。彼は私の言葉を受けて、考えるように顎に手をやった後、それもそうだな、と頷いた。ほっと息を吐いたのも束の間。彼の口から出た言葉に、飲んでいた紅茶を吹き出しそうになった。
「諸伏 景光だ。宜しく」
ニッコリと、微笑まれてしまった。やめてよ、巻き込まれたくないって言ったじゃん。
「…もちろん偽名ですよね?」
「この状況で偽名を言うと思うか?」
「ふざけんな!平穏を返せ!」
「おお〜…中々口が悪いな。それが本性か?」
クッションを投げるがひらりと躱された。怒る私と笑うスコッチさん。この人に何を言っても無駄だと理解するのに時間はかからなかった。どうしたって彼は私を巻き込む気でいるのだ。公安としては仕込み玉なるものがいた方が色々と都合がいいと聞いたことがある。私も仕込まれるのだろうか。あの場にいたことが何よりの間違いだった。こうなったら諦めて腹を括った方がいい、のか?怒りと親切心の鬩ぎ合いが行われる中、スコッチさんが存外真剣な表情を浮かべ口を開いた。
「巻き込んで悪い。だが君の助けがいる」
「…」
「詳しくは言えないが、俺は命を狙われている。君がいなかったら、仲間の言葉も聞かずに衝動のまま命を投げ出していたと思う。君に救われたんだ。だからこそ、頼みたい。俺に協力してもできる限り危害が及ばないようにする。だから逃げる準備が終わるまで匿ってくれないか?」
そんなことを捨てられたような犬の表情で様々と言われたら、どうしようもない。色んな思いが鬩ぎ合う中、親切心が勝利を収めた。スコッチにも仲間や家族がいるのだし、その彼を一時的にも救うことができたのにここで見捨てるのも後味が悪い。それに、彼が生きていることでこれから連鎖的に救われる命もあるかもしれない。困ってる時はお互い様の精神が染み付いてる私には、彼の手を叩き落とすことは出来なかった。
「…分かりました。但し、条件があります」
諸伏さんに出した条件はこうだ。私の部屋に入らないこと、家事は分担すること、ここにいること誰にも話さないこと。彼は全てに了承し、かつ私に危害を加えようとする動きがあったら即ここを離れると約束してくれた。
「つーか俺がここに住んでいいのか?」
「どうせ行くところないんでしょ?いいよ、片付ければ余ってる部屋あるし」
ホテル取るならこれからの逃亡生活のためにも資金は残しておいた方がいいし、乗りかかった船だ。仮にも日本の警察官なんだから、一緒に住んだとしても法を犯すなんてことするはずがないと信じてる。それよりも約束守ってね、というと力強く頷いてくれたから取り敢えず信じることに決めた。
「一般人だからな。これ以上巻き込まないように頑張るよ」
「是非そうしてください」
「あぁ。それと、もう1つ」
「…?」
「君の名前を教えてくれないか?」
「…依です」
よろしく、と差し出された手。大きくて男性特有の硬さがあった。何となく、父に似てるなあと思いながらその手を取ると、諸伏さんはホッとしたように肩の力を抜く。此の期に及んで拒絶されると思ったのだろうか。そう思われていたのなら、心外だ。
「油井さん」
「ん?」
「短い間でしょうけど、よろしくね」
「…あぁ、こちらこそ」
ニヤッと笑う彼は、屋上で見た時よりも清々しい表情をしている。この人が死ななくて良かった。こうして油井さんと私の奇妙な同棲生活が始まった。