もうたくさんです



「暇なの?」

「酷い言い草だな」

私の言葉に片方の眉を上げながら珈琲を啜った赤井さん。このところ私の喫茶店に足を伸ばし始めた彼は、気付くといつもの定位置、昔は沖矢さんが座っていた席に座っていることが多い。ここ最近姿を眩ませていたのにいつから常連になったんだろう。1人の時もあれば、美人な外人さんとか強面の外人さんと一緒にきたりする。まあ、大抵一人だけども。

「前はあんまり来なかったじゃん?どういう心境の変化?」

「まあ警戒する必要がなくなったからな」

「仕事の話?どっちでもいいけど、暴れるのは止めてね」

「なまえは俺をなんだと思っているんだ」

「えー…凄腕スナイパー?」

「そうか」

「…何でそんな満足そうなの?」

スナイパーと言われたことがそんなに嬉しかったのだろうか。上機嫌になった赤井さんは置いといてとりあえず目の前の仕事をしよう。赤井さんは私の仕事の邪魔はしないとばかりに、文庫本を取り出して読み始めた。ちらっと中を見たのだけど、もちろん英語でした。嫌味か。今日も今日とて個々の客の嗜好に合わせた珈琲を淹れていると、再度扉が開いてひょっこりと松田さんと萩原さんが入ってきた。あれ、お昼前なのに仕事はいいのかな。

「なまえちゃ〜ん!」

「お、赤井もいんじゃん」

「二人ともいらっしゃい。今日早いね」

「午後は早く始まるけどな」

「そうなんだ。暑いのにわざわざここまで来たの?暇だねえ」

「辛辣ななまえちゃんも嫌いじゃないよ」

「ほんと?夏だから対応も塩に変えてみました」

「あっそ。アイスコーヒー頼むわ」

「松田さんの方がよっぽど塩対応だね」

ツッコミを入れてほしいわけじゃないけどもうちょっとこう反応がほしかった。アイスコーヒーの豆表を見せて決めてもらっているうちに、赤井さんも二人に手を挙げて軽いあいさつをした後お代わりを要求してきた。ついでに軽食も要求されたのだが、ランチタイムと言えどここは生憎ランチメニューは充実していない。がっつりしたものはポアロで食べてくださいと言っておいた。

「赤井が来るのは珍しいな…降谷と待ち合わせか?」

「いや、たまたまだ」

「なまえちゃん、俺タンザニアの水出しがいいなあ」

「はーい。松田さんは?おんなじのでいい?」

「おー」

「なまえ、俺も追加で頼む」

「はいはい。ホット?アイスにしてみる?」

「オススメはあるか?」

「なら是非水出しをお試しあれ〜」

初めてでしょ?と聞けば頷いたので即決定。この辺のお店で水出しコーヒーを提供しているお店はほぼないので、その透明感のある味わいを是非飲んでもらおうと3人分のアイスコーヒーを用意する。あ、松田さんたちもカウンター席なのね。というか最近彼らがここを占領するせいで、他のお客様が気を利かせてテーブル席を使ってくれるようになった。満遍なく言葉を交わしたい私にとっては全く有難くない。そんなところへ松田さんからさらに有難くない情報が落ちる。

「そういえば降谷も手が空いたら来るってよ」

「え、もう既に松田さん含め常連が3人もいるし来なくていいよ」

アルバイトの咲ちゃんもお休みだし、これ以上お客が増えたら私が大変になる。こういう時ばかり顔なじみに集まってもらっても困るのが本音だ。えー、と不満げな表情を浮かべた私の耳に届いたのは、棘を惜しみなく出している降谷さんの声だった。

「俺が何ですか?」

「きゃー!降谷さん、来てくれたんですね!」

「棒読みなのが気に食わないですね」

「来てくれて嬉しー!あ、持ち帰りです?」

「へえなまえはよっぽど俺を怒らせたいと…買いましょうか?その喧嘩」

「滅相もない!」

「おい、あんま虐めてやるなよ、降谷」

「そうそう、拗ねると珈琲出してくれないからね〜」

「松田さんに萩原さん、私のことなんだと思ってるの?」

「珈琲が飲めなくなるのは困るな…油井は?」

「来てないよ。というかここに来たら会える、みたいに思わないでほしいなあ」

一気に騒がしくなった店内。というか降谷さん、職場が一緒の貴方が知らないのに、私が油井さんの行方を知るわけないでしょうに。萩原さんと赤井さんは馬が合うのか、ぽつぽつと会話を交わしていた。まずは注文が入ってたアイスコーヒーを3人に提供してから降谷さんにも注文を聞けば、同じくアイスコーヒーを注文される。やっぱり暑いから冷たい方がいいよね。また抽出せねば。もうすぐ抽出が終わるカウンターの水出し器に第2弾の豆をセットしようとした時、バンッと結構な音を響かせて誰かが店内に入って来た。

「よっ!なまえ!待ったか?」

「待ってないし、扉壊れちゃうからもう少し優しく開いてほしいな、油井さん」

元気に片手を上げて真ん前に座った油井さん。降谷さんにはどこに行っていたんだと怒られているが、どこ吹く風でメニューを開いている。相変わらず空気を読まないんだね、知ってた。これで全員集合である。やめてくれ。

「なまえ、これを油井に渡してくれ」

「何、そのBARで様になるオシャレなノリ。あちらのお客様からです、ってやると思ってる?」

「ここからでは遠くてな」

「立てばいいじゃん」

「なまえ、俺にも水出しアイスコーヒー淹れてー」

仕方なく、赤井さんに託された細長い封筒をアイスコーヒーと共に油井さんの前に置く。あちらのお客様からです、とやってみたら何故か油井さんの目が輝いていた。萩原さんが俺にもやってって騒いでたので、託された相手も物もないと突っぱねておく。皆、知ってる?私今仕事中なんだよ。そんな私の気疲れを余所に、いそいそと封筒を開けた油井さんが絶叫した。

「おおおおおお!赤井、マジで手に入れたのか?!すげえ!おい、ゼロ!俺は来週から1週間有給取るからな!」

「はっ?!」

「油井には世話になったからな。その礼も込めてだ」

「何々?油井君何もらったの?」

「ミッドサマークラシックの観戦チケット。ヤベェ超楽しみ!!」

1人別次元に飛んでしまった油井さんは早速手元の端末で有給申請メールを作成し、フライトチケットまで申し込んでいる。降谷さんの言葉も怒りもなんのその。なんて早業。そう思ったのは私だけではないはずだ。スイッチの入った彼は誰にも止められない。降谷さんは頭を抱えて怒りの矛先を赤井さんへ向けていた。海外の事に明るくない私は、大会名を言われてもはてなしか浮かばない。

「赤井ィイ!油井にこんなものを渡すな!益々仕事をしなくなるだろ!」

「日本人は働きすぎだ。バカンスくらい楽しむ余裕があっても良いと思うが…降谷君も行きたかったのか?」

「そんなわけないだろ!」

「ミッドサマークラシックって何?」

「MLBのオールスター戦のことだ。なまえは野球に興味ねぇだろ」

「うん、サッカーの方が好き」

「赤井君の意見に俺も賛成なんだけどなぁ。松田、俺も有給とって良い?なまえちゃんとサッカー観戦に行ってくるわ」

「させねぇよ。つーかお前、今年の有給消化率誰よりもいいじゃねえか」

「松田の気のせいじゃない?」

「萩原さん、ほんと?行くなら私、比護さんがいるチームの試合がいいな」

「ほら聞いた?これはもう行くしかないだろ!今日本庁に帰ったら有給申請してくるね」

ニコニコ顔の萩原さんとやってられないとばかりに大きな溜息を吐いた松田さん。いつがいい?と萩原さんに聞かれたので適当な日付を上げておいたけど、松田さんの顔が怖すぎてちょっと引いた。休みたいなら一層のこと、松田さんも有給とっちゃえばいいのに。

「なまえ、頼むから萩原を乗せんな。皺寄せが俺にくる」

「まじか。じゃあ松田さんが連れてってくれる?」

「萩原、俺がいない間はお前に任せた」

「いや、させないからね?!」

萩原さんと松田さんの有給申請合戦はどっちが勝つのだろうか。暖かく見守りたいと思う。もう片方の喧嘩は収まりを見せないようで、といっても一方的に降谷さんが突っかかっているだけだけど、その様子をなんとなく見届けてるとキッと睨みの矛先が私に向いた。

「なまえ!赤井を入店禁止にしろ!」

「えー…お金落として行ってくれるから無理。降谷さんも有給とれば?油井さんとアメリカ行ってきなよ」

「お!いいねえ!ゼロ、2人で旅行しねえ?」

「しない!2人もいなくなったら仕事がたまるだろ!」

「上に立つ人間は大変だな」

しみじみと呟いているけど、引っ掻き回す原因を作った赤井さんにだけは言われたくないと思う。怒りすぎて血管切れないように気をつけてね、と心の中で降谷さんの健康を願っておく。今日も今日とて、こうして警察官の溜まり場になる野良猫喫茶であった。


title by 骨まみれ