果たして現状維持は難しいでしょうか



これの続き


いつもは3杯くらい飲んでいくのだけど、今日は一杯で席を立った。頻りに携帯を触っていたから何かあるのかなとは思っていたけれど、時間がないのに態々寄ってくれたらしい。お店を持つものとしては嬉しいかぎりである。

「今日はもういいんですか?」

「今日はこれから仕事だからなァ」

にやりと笑ったギンさん。でも目が笑ってない。獲物を捕らえる肉食獣のそれとはよく言ったもので、銀色の前髪に隠れているものの鈍い光を放っている。見た目カタギじゃない人がこれから行う仕事なんて興味がないので、気をつけてくださいねと言っといた。何の仕事かなんて興味はないし、巻き込まれたら溜まったもんじゃない。

「持ち帰りも出来るけど要らないよね?」

「要らねえ」

ギンさん曰く、できるだけ淹れたてで飲みたいらしく、滅多にお持ち帰りはしない。確かに時間経過とともに珈琲も劣化するので、風味を楽しみたい人には持ち帰りは不向きだ。意外に繊細なんだよね、と失礼なことを考えていたら軽く頭を叩かれた。

「またのお越しをお待ちしてまーす」

「言う割には開いてねぇ時があるようだが」

「野良猫ですからね!」

「フッ…なまえらしいぜ」

じゃあな、と律儀な挨拶をして出て行ったギンさん。店の前に滑り込んで来た闇を写し取ったような車に乗り込むと、独特のエンジン音を響かせて去って行った。さて、私もお店を閉めますか。今度こそしっかりと戸締りをして帰宅したのだけれど、誰もいないはずの自宅の玄関を開けると、おかえり〜と間延びした声が帰って来た。犯人は1人しかいない。いるはずのない人がいるのはもう慣れているので、適当にあしらいながら冷蔵庫を覗く。ほんとはこんな状況、慣れたくないんだけどな。

「油井さん、来てたんだ」

「あぁ。ホテルがダブルブッキング食らってさ。泊めて」

「またかよ。ちょっとホテル用意する運営側に文句言ったほうがいいんじゃないの」

「やっすいとこだからな。つーかなまえ、お前タバコ吸ってたか?」

「はあ?」

丁度遊びに来ていた油井さんが、私が帰るなりそばに寄って来て鼻をスンスンさせた。遊びにっていうか家宅侵入だけどもういいよ。お巡りさん、彼がお巡りさんです。

「吸わないよ。この部屋禁煙って言ってるくらいだし、私がタバコ嫌いなこと、油井さんも知ってるでしょ」

「じゃあ客か…結構きついやつ吸ってんだな」

「あー…分かる?珈琲の香りが消えるからってお願いして、お店では吸わないでくれるんだけど…」

自分で自分の髪をスンスンする。うーん、確かにギンさんの匂いが微かにする。独特で臭みのあるこの香りは、やっぱり油井さんも苦手らしい。同じ喫煙者なのに顔をしかめていた。私としても煙草は苦手なので先にお風呂に入ることにする。スモーキーな匂いをさっぱりと洗い落として戻ってくると、油井さんは未だに難しそうな顔をして考え込んでいた。

「なあ、なまえ。そのタバコ吸う客ってどんなやつ?」

「どんなやつって言われても…」

「常連か?」

「最近来てくれるようになった人だよ。来るのはいつも夜。でも何するわけでもなく珈琲楽しんでくれてるから悪い人ではないかなあ」

タオルドライをしながら油井さんの問いに答えていく。眉間のシワは深まる一方で、一向にあの軽そうな油井さんは戻ってこない。何をそんなに考え込むことがあるんだろうか。他に特徴はと聞かれたので、綺麗な銀髪であること、上下真っ黒な服装であること、あと煙草はゴロワーズ・カポラルであることを伝える。あとは、と顎に人差し指を当てて特徴を思い出していると、肩に手を置かれて強制的に座らされた。目の前には何だか目を吊り上げた油井さんがいる。何処かに地雷があったのだろうか。

「なまえ。よく聞け」

「うん?」

「外出禁止だ」

「いやいや、何で?」

「と言うかその銀髪の男は出禁にしろ」

「やだ。せっかく常連さんになってくれたし」

コーヒーミルをプレゼントしてくれたことを伝えると、益々目を三角にした油井さん。もので釣られてんじゃねーか!と叩かれた。最近私の扱い酷くない?そんなことを言う間も無く、普段は冗談しか言わない油井さんの口が軽やかに動き出す。

「いいか?そいつは俺たちが追ってる組織の人間、幹部中の幹部だ。俺たちとの繋がりがバレたら一貫の終わり、いやもうそれを知ってて珈琲を飲みに来てるふりしてなまえを狙ってるかもしれないんだぞ!」

「狙うつもりなら毎回2人きりなんだから、既に殺されててもおかしくない気がするんだけど…」

「はあぁあ?!2人きり?!」

「うん。煩いのが嫌いみたいで、私が1人で仕込みをしてる時狙って来てるよ。今日も来てたし」

「はあぁあぁ?!そこに正座しろ!つーかなに一緒の空間にいて和んでんだよ!」

そこからくどくどと如何にギンさんが危ないやつか講義を受ける羽目になった。血も涙もない奴で、疑ったら即刻始末、逃げる姿を甚振りながら恐怖と絶望を味あわせるという。物静かに珈琲を飲んでいるギンさんからは想像もできない…ことはないか。今日も物騒なこと口にしてたし。それにしても常連さんの特徴を言っただけなのになんて理不尽なんだろう。かと言って火が付いた油井さんは誰にも止められない。私を心配してくれるのはとても嬉しいけれど、お客さんを悪く言うのはやめて欲しい。現に今の所私に何の被害も出てないんだからいいじゃないか。というか、次から来るなと言った暁には、私の額に第三の目が開きそうなのでそっちの方が怖い。

「でもさ、油井さん」

「何だよ」

「私が油井さんの忠告を聞いて、ギンさんに出禁にしますって言ったとするじゃん」

「ギンさんんん?そんな愛称で呼ぶな!俺だってまだ苗字にさん付けから昇格してないのに!」

「いやいや、そこに食いつかないでよ。お気に入りのお店に出入りするなと言われたら、銀さんの性格上どうなると思う?」

「…懐から黒いブツが出て来るな。というかその時点でお前はあの世行きだ」

「そう!そこなんだよ!もはや引き返すことは出来ないのに、それでも油井さんは私に彼を出禁にしろって言う?」

「ぐっ……いや、しかしな…」

まさかギンさんと油井さんにそんな繋がりがあったとは初めて知ったけど、油井さんがみなまで諭すくらい怖い人ならば下手に刺激しない方が得策だ。私はギンさんが珈琲を楽しんでいることを知ってるから、彼の素性をこれ以上詮索するつもりもなければ出禁にするつもりもない。いいじゃない、怖い仕事してる人にも休息できる場所があったって。その組織に所属してるのも彼なりの信念があるだろうし。

「……この件は一旦預かる」

「まさかと思うけど、赤井さんには報告しないでね」

「そりゃ無理な相談だな。携帯どこだっけ」

「ちょい待って!赤井さんが知ったら問答無用でライフル片手にお店に来そうだからやめて!」

油井さんは本気だ。これは赤井さんだけじゃなくまた別方面にもタレコミされそう。私はお店を犠牲にするつもりは毛頭ないけど、2人の性格を何となく知ってるから分かる。赤井さんとギンさんは多分と言うか絶対性格合わないだろうし、出会って3秒でどちらかが真っ赤に染まるとか簡単に想像ができちゃう。

「マジでやめてお願いだから!」

「じゃあ今からする質問に正直に答えろよ?その銀髪以外で店に出入りしてる奴はいるか?例えば…金髪のハリウッド女優とか」

「あれ、何でベルさんのこと知ってるの?」

「そいつもか!なまえ、悪いが俺1人でお前を説得するのは無理らしい」

「その憐れみしか浮かんでない目で見るのはやめて!そして無言でメール打たないで!」

ひらりと私の追随を交わした油井さんが、走りながらも器用にメールを打っている。その携帯を取り返すべく私も動くのだが如何せん、現役捜査官と唯の喫茶店店長。彼の手から携帯を奪ったのは、喫茶店の常連にベルさんとジンさんが来ているという情報を拡散された後だった。この後直ぐに赤井さんから電話があり、その怖すぎる声音に通話を切ってしまった私は悪くないと思う。これが火に油を注ぐ行為だったということは、この時の私はまだ知らない。