「7年越しか。これでやっと3年毎に1/6を警戒する必要は無くなるな」
7年間警視庁を悩ませていた爆弾魔がようやく逮捕され、同庁内全体に安堵の空気が流れた。これだけ長い間戦って来たにも関わらず死者負傷者が出なかったことは何よりの幸運だ。7年前の高層マンションから始まり、今回の帝丹高校に至るまで、解体した爆弾は6つ。遠隔操作で爆発したものを含めると2桁はいくかもしれない。よくもまあ、これだけの爆弾を近所の誰にも知られずに作れたものだ。しかしそれも今日まで。漸く全てが片付いたと誰もが思う中、萩原と松田は未だに浮かない顔をして送られて来たFAXを見ている。追伸、という形で記されているのは、次のような文だった。
『日本に戻ったらおしゃべりは止めて、二人でフィナーレといこう。カンタータなら草の根分けたねむり猫も微睡みから起きるだろうか』
爆弾を解体した頭脳明晰な小学生もやはりこの文の謎は解けていないらしい。それはそうだろう。この追伸文は恐らく、数々の爆弾を解体して来た2人に向けられているものだ。まあ犯人が捕まった今となっては本人に聞けば万事解決するだろうが、生憎そんな時間はない。2人はそれぞれ愛用の解体工具が入った鞄を背負うと止める隊員を適当にあしらい、その場を離れた。自分達にとってカンタータと猫を現すものは一つしか思い浮かばない。謹慎など、後でいくらでも受け入れる。今は一分一秒でも惜しかった。
***
「うう…緊張で吐きそう」
目が覚めたら、何やら倉庫のような場所に移動していた。決して夢遊病ではない。もう直ぐ冬休みも終わりを迎える今日この頃、新年最初の開店日のために朝から卸業者へ顔を出した。そこでいくつか豆を買い付け、お店の開店準備をするために少しだけお店を開けて掃除をしていたはずだ。そこで初見のお客さんが来て、仕方なく一杯だけ出したのが最後の記憶。目を開けたらそこは…の状態で今は爆弾の解体を試みるという、何とも非日常的でバイオレンスな体験をしているのだ。因みに手足は緩く縛っていただけなのでこれなら逃げられると思ったけれど、爆弾から出た妙に長いコードが扉へと繋がってるのを見て、泣く泣く一つしかない扉を離れ爆弾の側へと戻ってきた次第である。これ、開けたら安全装置が外れて爆発するパターンだ。
「信管どれだー…わかんないよこれ…」
焦りは最大のトラップだったよね、松田さん。私の手には今にも手汗で滑りそうな携帯用のハサミが握られている。なんでそんなもの持ってるかと聞かれたら、馴染みの商売道具だから。仕事服のままジメッとした木の香り漂う小屋に転がされていたおかげで、はさみと注文を取るためのメモ帳、ボールペンだけは胸ポケットに入っていた。なけなしの武器を片手に、目の前の液晶とカラフルなコードで彩られた電子版みたいな箱を睨む。折り重なるコードの森の中、二人に教えてもらった最初の階段である、信管を探した。なんでこんなにコードが多いの。よくこれで作るとき失敗しなかったね!本当、泣きそうなんだけど。死にたくないし必死に配線と電子版とそれらがつながる装置を何度も見るけど、何がどれに繋がっててどれが切っても安全なコードなのかさっぱりだ。呼吸するたびに肺がきりきりと音を立てる。爆発の前に不安とプレッシャーで死にそうだ。萩原さんたちに構造を教わったのも1回くらいなので、よほどの天才じゃない限り、一度でこれらの仕組みを理解するのは不可能である。
祈っても爆弾のカウントダウンが止まるわけもなく、かといって解体できるわけもない。八方塞がりな状況に私はすでに見切りをつけてしまった。未練は腐るほどあるけれど、これが運命だったと受け入れるよりほかはないのだ。ごめんね、生きる選択肢を選んでと散々言って来た私が、最初にその選択肢を手放すことになって。爆発まであと20分。常連のお客様何人かにお礼の手紙くらいは書きたい。なるべく文字が震えないように、強くボ−ルペンを握った。できるだけ明るい場所まで移動したときだ。バコッと音がして、倉庫の床が一部外れた。
「…は?」
「けぼっ…かび臭いなあ。昔使ってたにしても程があるんじゃない、この通路」
「おい、さっさと上にあがれ。時間がねぇんだからよ」
「はいはい。お、なまえちゃん発見〜!やほ〜」
「爆弾はあっちか。まだ爆発までは時間はあるな」
「萩原さんと松田さん…?」
向けられた懐中電灯の光に、暗闇に慣れた目がちかちかした。いつも通りのゆるゆるした萩原さんと、暗闇の中でもサングラスをしている松田さん。ヒーローみたいに登場した二人に、驚きとか嬉しいとかいう感情は振り切れてただただ口を開けるばかりである。そんな呆然自失な私のもとに降り立った爆弾処理班きっての2大エースは、固い手袋をはめたままの手でぐしゃぐしゃと頭をかき撫でた。やめて、静電気でぐしゃぐしゃになるんだけど、なんて、いつもは文句を言う口も、この時ばかりは大人しい。
「な、で…ここに」
「フィナーレがなまえだなんて言われたら助けに来ない方がおかしいだろ」
「フィナーレって…?」
「こっちの話だよ。それよりケガしてない?怖かったね」
萩原さんがあんまりにも優しく聞くから、うんうんと首を縦に振る。じゃあもうちょっと大人しく待っててね、なんて笑顔で言われてどっと肩の力が抜けた。慣れた手つきで爆弾を解体していく二人。いくら本職といえど、ものの数分で配線と構造を理解して、かつ手際よくペンチを動かす松田さんと萩原さんは素直にかっこいいと思う。折角だしもっと近くで見ようと近くに寄った。一人だけ離れてるという心細さがあったのも事実。自分にとっては非現実的な現状に、萩原さんと松田さんという日常が現れてくれたことで少しでも安心したかったし、二人が見える位置にいないと不安で泣いてしまいそうだったから。
「なまえ、あぶねぇから離れてろ」
「いくら松田でも見られると緊張して手元が狂っちゃうこともあるからさ」
「おい、どういう意味だ」
「そのまんまの意味だよ。あ、そっから俺変わるよ」
「お前、最近美味しいところだけ持ってくよな」
「ちょっと二人とも、もうちょっと緊張感もって」
「了解〜なまえちゃんのためにも、ささっと終わらせますか」
こんな胃に穴が開きそうなプレッシャーの中でもへらへらと笑う萩原さん、マジ心臓の強さは半端ないと思う。爆弾のタイマーが4分を切るころ、漸く起爆装置への回路が遮断され日常へと戻ることができたのだけど。小屋を出て黴臭さと火薬の匂いから解放された私は、ここへきて脳と身体が見えない恐怖からの解放を感じ取ったのか、訳もなく涙が溢れてしまい前が見えないどころか腰が抜けてしまった。大人になってから初の大泣きである。
「なまえちゃん?!嘘、どうしたの?!!」
「おい、何しやがった、萩原ァ!!!!」
「俺のせい?!」
「なまえ、どうした。萩原にセクハラでもされたか?」
「酷くね?!」
大丈夫、安心しただけだよと二人に伝えたいのに、出てくるのは嗚咽ばかりで言葉にならない。いい歳した大人が泣くというか、女性が泣いている場面に遭遇したことはないのか、萩原さんはオロオロと私の周りを回るし、松田さんもタバコ吸うか?!と勧めてくるくらいにはテンパっているらしい。煙草は嫌いって言ってるでしょ、吸わないよ。交互に背中をさすってくれる二人には申し訳ないけど、なかなか涙は止まってくれなかった。
「う〜…っ」
「怖かったよね、なまえちゃん。泣くな〜」
「爆弾解体してやったろ?もう大丈夫だっての」
「俺はなまえちゃんの泣き顔よりも笑顔のほうが好きだよ」
「いい加減泣き止め。目が融けるぞ」
「うぅー…っ、止まらな、いんだもんっ…」
「仕方ないなあ。俺の胸に飛び込んでおいで!」
「萩原、それセクハラな。でもまあ、なまえが生きててホッとしたわ」
「松田もいつになくキレてたしね〜。もし死神が来てもなまえちゃんは連れて行かせないから安心しなよ」
嬉しいことを言ってくれる。乱暴によしよしされながら、ほら帰るぞ、と松田さんに背中を押され、萩原さんにはぎゅっと手を握られる。それを見た松田さんがとても冷たい目で萩原さんを見て、あとでシメると呟いていたのは私だけの秘密にしよう。並んで雑木林を抜けると、そこはどうやら神社だったらしい。涙と鼻水でどうしようもない顔を洗うため、近くの水道に寄ってもらった。神様が祀られる神社の水で顔を洗ったからか、幾分か気持ちも思考もすっきり。差し出された2枚のハンカチを笑って受け取って、とりあえず半分ずつ顔を拭いた。煙草くさかったけどこの際我慢する。
「ね、お参りしてっていい?」
「いいよ〜」
「おー。突拍子もないことを言うってことはいつものなまえに戻ったな」
「失礼だなあ」
初詣も兼ねて3人並んで、お賽銭箱へお賽銭を投げる。願うは私を助けてくれた二人の安全と長寿だ。普段からこんな危険な状況下にいる二人が、ちょっとでも長生きして穏やかに過ごせますようにと、ありったけの思いを込めてお願いした。神様、いつかお店の珈琲かお布施を納めるので叶えてください。
「はい、帰ろ!萩原さん、松田さん!」
「なまえちゃん、何お願いしたの?」
「内緒。今日は助けてくれてありがと!次来たときは好きな珈琲一杯おごるね」
「できれば今日飲みてぇな」
「おけおけ、お店開けま〜す」
「じゃあ俺はこのままなまえちゃんのお店に直行するから、松田は始末書書いといて」
「なんでだよ」
始末書を書かされることが分かっていながら、ここまで助けに来てくれたらしい。持つべきものは爆弾処理班の友人である。いつもの掛け合いを始めた二人の手を引っ張って、開きっぱなしの店へと急ぐ。彼らの戻り木としてお店を開けておくから、どうか死の神様が二人を連れて行きませんように。今日のお礼と勇姿を見せてくれた二人に、最高の一杯をご馳走しよう。
余談だが、この後、爆弾魔はめちゃくちゃ取り調べされた。
〜以下解説〜
おしゃべりは止めて→対象者:コーヒー・カンタータの語り出しになります。ここでは主人公を現す単語として登場させています。
草の根分けたねむり猫も微睡みから→場所を現す文:眠り猫とは日光東照宮にある有名な彫刻です。草の根分けたということで日光東照宮の分社ということにしました。微睡はそのまま浅い夢。前の文の草と合わせて、浅草神社と設定してあります。
暗号作るのは苦手なのでこれが精いっぱいでした…