監督生との話
結友の過去の話

記憶の薄い母という人は、いつも怯えて縮こまっていた。昼間は優しい記憶がある。絵本や生活の知恵になることを沢山読み聞かせたり教えてくれたりした。ただ、抱きしめてくれたりはしなかった。知識を教えてはくれたけれど、コミュニケーションよりは義務感を漂わせたやり取りだった。
父がいる時はいつも部屋に1人でいさせられ、大きな音が無くなった後にまるで何かから隠すように抱きしめられて眠りにつくのが常だった。その時、寝たフリをしていると小さな声で歌を歌ってくれた。その歌が大好きだった。
初めて母に、昼間に抱きしめて貰えたのは、5歳の時。雪の降る寒い朝、玄関で大きな荷物を持った母が、疲れた表情でしてくれた。その目に自分が映っていたのか、もはや確かめるすべは無い。それ以降、母に会った事は今現在、無いのだから。

それからは父との2人暮らしだが、元々父は仕事が忙しいらしく、母がいた頃から家に帰る事は滅多になかった。あったとしても、深夜に帰って着替えを持ち、着ていたものを置いて直ぐに出ていくくらいだった。母はいつも深夜に置かれた父の洗濯物をしていたから、その記憶を頼りに結友もそうしていた。自分のも一緒にしていた。5歳に教えるには早すぎる内容だったが、そのお陰で結友は小学校に上がってからも周囲から「健全な生活をしている一般家庭の子供」と見てもらえていた。
父と全く会えない事に対して不満などはなかった。不満などを持てるほど、関心を持てるほど、親と言う存在との関わりは希薄だった。むしろ、結友はそれに安心していたくらいだ。
だって、もしも鉢合わせた時、父はいつも怒鳴りつけてきたから。やれ、洗濯が甘いだの。やれ、アイロンをかけろだの。やれ、学校から怪しまれることはするなだの。暴力が飛んでこなかったのは、アトが残った時に父の世間体が悪くなるからだと悟ったのは、10歳の時に同級生から殴られ学校に呼び出されたことを怒られたからだった。
目を釣りあげて「俺がどれだけ我慢してると思ってる!」「面倒を起こすな!」と言われた言葉がずっと頭から離れなくて、それからはクラスメイトとの付き合い方も希薄になった。元々、友達と言える子もいなかったけど。

学校では「大人しい子」でいた。自己主張する事はなく、かと言って発表の時に下手に緊張する訳でもない。声は小さいけれど、先生に聞かれた時やクラスメイトとの会話は、小さく笑って答える。そんな「大人しい子」だった。
そんな結友を殴った同級生は所謂ガキ大将という子で、自信満々に「おれのコイビトにさせてやってもいいぜ!」という言葉に結友が「いらない」と答え、その後も決して首を縦に降らなかったのが我慢ならなかったかららしい。
子供の癇癪。それでも、給食をいつも好き嫌いして嫌いなものを残したり床に落としたりしたその子を、好きになることは出来なかった。

誰かに好かれた末に殴られ、父に怒鳴られた経験から、積極的に他人に関わる事は難しくなった。反比例して読書の時間が増え、あらゆる知識を深めた。学校では図書室や町の図書館から借りた絵本や物語小説、豆知識本など多岐にわたる。家では常に節約に関する母が残した本を読み耽った。
学校のプリントを置いておけば、記載事項を記入して貰えた。お金が必要な時は準備して貰えた。雑巾が必要な時は自分で縫った。図工で必要な物があると知ってからはなるべく捨てないように準備した。毎日の食事は父が月曜日の朝に残す2000円からやりくりしてなんとかした。家庭科を学ぶ前から自炊をしていた。
ひとりで生きていける力を順調に身につけていくと、比例するように他人も関わる必要性が分からなくなって言った。
聞かれたら答える程度の距離感。中学生になっても、それは余り変わらなかった。同じ小学校から上がった子達とも疎遠で、孤立していた。
そんな他人との関わり方に変化が生じたのは、中学最初の一大イベント。夏前にある、文化祭だった。

中学から始まった文化祭。学生が主役の学校での祭り。クラスの出し物には、クラス全員参加が基本と会う空気。
結友のクラスの出し物は、喫茶店に決まった。といっても、飲み物はペットボトルの物を小分けにして出す程度。ただ食べ物に関して、1人のクラスメイトが言った。
「クッキーくらいなら作れそうじゃない?」
その一週間後の放課後、材料費を出し合って家庭科の時間の時に頼み込んでクッキーを全員で作ることとなった。
可もなく不可もなくという結果が多く、男性陣の多くはほぼ役立たずだった。
そんな中、結友の出来栄えは人の目を引いた。良い意味で、だ。その腕前を見込まれて調理チームのリーダー的ポジションに抜擢された。文化祭も大成功を収め、距離の掴めなかったクラスメイトと話すようになり、調理チームの何人かと一緒にお昼ご飯を食べるようにもなった。昼休みに図書室で本を読むことは無くなったが、それが全くと心苦しくない、楽しい時間となっていった。

その調理チームの中には、男子が1人いた。
サッカー部所属で、成績も優秀。お昼を一緒に食べるのは部活や同性クラスメイトなどもいて少なかったが、よく話しかけてきたし、クッキーのことは特に気に入って、準備中に許されるなら食べていたし、文化祭中にもわざわざ買いに来たくらいだった。
多感な年頃にそんな2人がいれば、周囲は色めき立つか、嫉妬するかの2択だった。だから真偽を確かめるために、昼休みに声をかけてきたその男子に、嫉妬を隠しながらその男子と話せることを期待して一緒に食べていた子が、聞いてみた。
「忍冬さんのこと、好きなの?」
男の子は固まった後に、吹き出して笑った。
「妹みたいな感じだよ!ちっちゃいし、可愛いじゃんっ?」
同年代からの明らかな子供扱い。その言葉が、結友にチクリと刺さった。
周りの女子たちは「結友は男子の恋愛対象にならない」と認識し、安心して結友と友人関係を築いて行った。

それからも、友人関係というものは安定して築いていけた。といっても、クラスが変わる毎に付き合いは変わり、プライベートで遊ぶことが難しい結友と継続的な友人関係というのは、中々難しかった。
結友にとっての友人関係は、クラスメイトの輪の中で収まるような浅さしかなかった。そして結友も、プライベートでどこか行く、何かを食べるなどの金銭的余裕のなさから消極的になり、それで留まっていた。
しかし、クラス内では小学生の頃と比較しても随分と良い関係性だった。特に調理実習や文化祭の時は、結友の料理の腕を頼られる様になっていた。
2年の文化祭は焼きそばを作って、パックに入れたものを表で販売する形だ。

そして、3年生。
ちなみに、噂となった男子生徒とは3年間同じクラスだった。そして、小学生の時のガキ大将も同じクラスとなった。
そして3年の文化祭の準備期間。その時の出し物は1年のクッキーに加えてマフィンも作ることとなった。例によって調理チームに抜擢された結友と男子学生。
それを面白く思わなかったのか。振った相手が男子カーストの高い人物に取られそうな事へのプライドを守るためか。まだ、未練があるのか。ガキ大将は男子学生に聞いた。
「お前、アイツとよく話すよな。あーんなチビで地味なやつの何がいいってんだよ。ガキだろガキ。女じゃねーじゃん」
「だから、妹みたいな子だって」
「ハハっ!だよなぁ!ブスだし、胸もねーし、女らしさなんてなんもねーしなぁ!」
「そこまでは言わないけど……まぁ、今は彼女に、とかは考えられないかな。受験もあるし」
「だよなーっ」
2人だけの会話じゃなかった。昼休み、たくさんの人がいるクラスの中だった。そんな言葉に冗談半分か、本気か、口々に続いた言葉たち。
「2人とも声おっきいよー」「でも結友ちゃんって、確かに妹みたい」「分かるー!ちっちゃいし!」「小動物とかさ」「確かに、癒されるよねー」「小学生みたいだしな」「俺んとこの妹と並べたら同級生に見えるかもだぜ!」「おま、それは言い過ぎだろ!」
1年生の頃はチクチク、程度だったその言葉たちがグサグサと深く突き刺さる。それでも、世間知らずなところがあるという自覚があった結友は、周りから見た自分という人間の客観的印象なのだと受け止めることも出来てしまった。
「そうかなー」
震えない声で、当たり障りなく、笑って言う。友達は頬をもちっと触れたり、つんつんとつついてくる。笑って名前を呼んでくれて、好印象を持ってくれる。
(なら、それでいっか)
女ではなく、子供。女として見れない、子供。
結友は自分のことを、そう思うようになった。
みんなが笑ってくれるなら、それでいいやと思うようになった。
元々、自分を優先するというのは苦手だったかもしれない。それでも、この時をきっかけに、結友は自分自身に無関心になってしまった。
そうすれば心痛める事も少なく、笑ってみんなの輪の中に居られるから。

一人ぼっちの冷たい部屋に、怯えてた。

そんな感じで、自分の自分自身への印象や、周囲からの見られ方、そして他人と友達としての距離感など「一般的な中学生」となった結友は、その年の誕生日に15歳を迎えた。
夏休みに会う友達はいなかった。毎年毎年、夏休みという膨大な時間の中、宿題を早めに終わらせ、家事を毎日完璧にし、本の虫になった。
エアコンやテレビは電気が高くなるからダメ。似た理由で湯船に入った事は無い。お金は毎週2000円。無関心で帰らない父。限られた環境の中、図書館という建物と読書という趣味は、結友の安息の地だった。
だから、その日も暑い日差しの中、図書館に向かっていた。シリーズ物を読み終えて、新しく読む物を探すことに心を踊らせていた。

そうして曲がり角を曲がった時、結友は黒い馬車を目にして、グラリと体が傾いた。

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