「後悔すんなよ。俺がなにしたって文句も言うなよ」


「しねえし言わねえよ」


 だって。
 最後、だからな。




 お別れだ、岩泉の言葉は唐突だった。言葉というよりはたった一言、通告に等しい重くて冷たいそれ。鈍色に輝く鋭い刃、もしくは即死級の弾丸であるだろうその言葉は、愛しい及川の心の臓を貫いたに違いない。 現場はうららかであたたかな、すっかり春めいた昼日中のリビング。レースのカーテン越しに煌めく陽のひかりがどうしてか眩しくて、岩泉は猫みたいにくるくると表情を変える少しだけまなじりの上がった目をすうっと眇めた。

 黒曜石だとか濡羽色だとか、濡羽色に至っては髪色についてだろうがと思うのだけれど、そう様々形容するほどに及川は岩泉の深くて艶やかな瞳を好んでいた。己にはない色だからと。蕩けた笑みでそう告げる及川の瞳だって、岩泉からすると己には持たぬ、それはそれは美しい色をしているというのに。榛色だとか琥珀色だとか、淡褐色のヘーゼルまで。硝子玉みたいだなんて言うと安っぽく聞こえてしまうだろうか。性格は悪いしある意味頭もおかしいのだけれど、及川の瞳だけはどこまでも澄んでいて綺麗だった。その愛してやまない瞳は、いま、凪いでいる。互いの間柄では決して告げることも聞くこともないとどこかで高を括っていた、袂を別つ言葉が投げかけられたというのに。

 岩泉が吐いた五文字。きっと及川にとっては死の宣告と同義の、そのたった五文字に込められた訳すら聞かず、目の前の美しい男は艶やかに笑んでみせた。声を荒げてごねるだろうか、果ては泣き出してしまうだろうか、本当はひどく脆く弱いはずの及川の笑みに、岩泉は刹那戸惑う。己が告げたはずなのだけど、想像したどの及川とも違っていたから。もしかすると及川もどこかで感じていたのだろうか。似ても似つかぬふたりが、けれどひとつの魂といのちを分けあって生きているのだと、そう周囲にも言わしめるふたりが、道を違える未来を。予感していたのだろうか。散々苦悩したというのに、そうして血を吐くより尚辛い決意でもって吐き出した言葉だというのに。あっさり受け入れられたことに、勝手ながら岩泉はふるりと震えた。結果己のほうがずるく、弱いのだ。覚悟などという、音にすれば途端陳腐に感じる想いが、岩泉を嘲笑っているみたいだった。及川と共にあり続ける覚悟、及川のいない世界で生きてゆく覚悟。心が死んでしまうのはどちらか、天秤にかけるまでもない。けれど、及川の荷は軽いほうがよいのだ。もっとずっと、高く翔べるはずなのだから。




「ああぁっ!も、むりっ、まっ、て!っ!あ!」


「岩ちゃん、きもちいーね。もっと、だよね」


「やぁぁぁ!いっ、く…っっ!!」


 岩泉のモノは僅かばかりの精液をとろりと溢しただけで、けれど硬く勃ち上がったまま、及川の動きに合わせふるふる震えていた。奥の奥、はじめは痛いばかりだったそこを穿たれ、再び濁流みたいな熱がせり上がる。ぬぷ、ぐちゅ、ローションなのか幾度となく注がれた及川の精液なのか、恐らくそのどちらもなのだろうけれど、己の後孔から絶え間なく聞こえる粘ついた淫猥な音にいっそ耳を塞ぎたくなった。水音とは何故にこうも響くのだろうか。


「岩ちゃんのここ、女の子みたいに濡れてる。どろどろだね。俺のちんこ美味しい?もっと食べたい?柔らかくなったけどぜーんぜんゆるくならないって最高におりこうなまんこだよね」


「っ!だま、れっ!ひ…!ああぁぁぁっ!」


 それに掠れた泣き声とも悲鳴ともつかない情けない音を溢す口も塞いでしまいたかった。己の甲高い、しかも色を纏い掠れた声など聞きたくもない。けれど、くちびるを噛み締めれば、誰よりも何よりも大切な及川の指を咥内へと突っ込まれ。手の甲を噛んで堪えれば、腕を取られシーツへと縫い付けられ。涙も唾液も声すらも、隠すことは許さないと榛色の前に晒される。耳も口も塞ぐことは叶わなかった。どんないい女だって選り取り見取りの及川が見せる執着に、羞恥を通り越して快感と優越感を感じる自分は少しおかしいのかもしれない。

 掴まれた腰の、触れる手のひらの熱さに灼かれる。普段は岩泉よりも低めの体温で、こんなときでもなければ熱いと感じることなどなかった。だからこそ。だからこそ、たまらなく感じてしまう。やわさの欠片もないこの身体で、及川はここまで熱くなるのだ。岩泉を灼き尽くさんばかりにこんなにも昂るのだ。そう考えただけでうっかり達してしまいそうになる。少しおかしいのかもしれないどころか、全くもっておかしいのだと今更ながら自覚した。感じるままに意図せずぎゅうっと及川を喰い締める。軽く息を詰めるその吐息ですら愛しくて。深黒に煌めく瞳から零れた涙はべろり、及川の舌にやさしく舐めとられてゆく。ずるい男だと思った。ひどい男だと思った。やさしく扱われることなど、愛おしむみたいに扱われることなど、望んではいないというのに。ぽろぽろと玻璃の玉がまなじりからまろび出る。それが何の涙かなんて、いまの岩泉にはわかりはしない。わかりたくもなかった。






 


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