07


「うわーっ! これも可愛い。ねえ、どうどう?」

 ゆるっとしたシルエットのニットワンピースを体に当てて見せると、隣にいる男が苦笑いを浮かべた。「昨日のしおらしさはどこへ言ったのやら」とぼやいているのが耳に入る。だって、いざ洋服を目の前にすると胸が躍るじゃないか。制服が嫌いなわけでもないけど、それとこれとは話が別なのだ。

「うわ、モコモコ〜。制服の上に羽織ったら可愛いよねぇ」
「それも良いですが、寝間着を買っては? いつまでも適当に買ったスウェットじゃ寒いでしょう」
「あのダル着気に入ってるけどなあ。でも、確かに今から寒くなりますよね」

 寝るときに着ているのは、安室が私を助けてくれた日に、制服を乾かしている間の洋服として買ってくれた黒いスウェットだ。本当にシンプルな上下セットのスウェットで、案外そのゆるっとしたシルエットは気に入っている。安室の言う通り、今から先気温が下がれば寒いかもしれない。
 
 プチプラブランドのセール品から温かそうな生地の物を漁っていると、チクっと頬に刺さるような視線を感じた。思わず視線を持ち上げたら、数人の女子高生が遠巻きにこちらを見ている。
 勿論、当たり前だとは思うが――知り合いではないので、見覚えのない制服を見て首をゆるっと傾げた。何か用だろうか。以前見掛けた蘭たちよりも、もう少し今時なチェックのスカート。ネイビーにワンポイントのハイソックス。私はスニーカー派だけれど、ローファーも可愛いなあと眺めていたら、彼女たちの整えられた眉間に皺が寄った。

 明らかに嫌悪感を剥き出しにしたような表情を浮かべるから、私は目を丸くして――それから、もしかして、と安室と彼女たちの間に視線を行き来させた。

 安室は素知らぬ顔で「これもどうです」と新しい服を差し出してきているが、そのたびに彼女たちの表情が険しくなるのが分かった。

「安室さん、本当にモテるんだね……」

 元の学校にも、所謂イケメンと言われる男はいる。
 さすがに安室ほど浮世離れはしていないが、確かに美形であったし、テレビに出ても可笑しくない容姿だったと思う。しかし、そんな彼の恋人も、羨まれたり妬まれたりすることはあれど、ここまで露骨に関わる人へ嫌悪感を表にはしなかったろう。
「ん? 何の話でしたか」
「なんでも。お洋服いっぱいで嬉しい〜ってハナシ」
 白々しく聞かないフリをするので、私もわざと話を逸らしておいた。
 紙袋をいっぱいに手に持っていると、ひょいっとその荷物が安室の手に攫われていく。特に何も言わず、すっと手を貸すあたりが、また女心を擽るんだろう。きゅんとした胸を押さえながら一人でに頷く。格好いい人にこんなことされたら、好きになっちゃうよなあ。

「知人から使っていない電子レンジを譲り受けたので、適当な冷凍食品でも買っておきましょう」
「はーい。……安室さん、相当根に持ってますよね」
「根に持ってません」

 どうやら私がファストフードのみで過ごした日々が彼のポリシーに反するらしい。そんなに気にすることか、と思うが、和やかな口調のままピンと吊り上がった眉がそれを物語っている。
 今朝も朝食を作りすぎたと余ったおかずを持ってきた。卵焼きと、ほうれん草のおひたし、保温ポットに入った味噌汁。もちろん、有難く完食したけれど――。
 彼にこういった世話焼きらしい一面があるのは意外かもしれない。それこそ、漫画の中のイメージにはなかった。映画では、コナンを協力者にするために毛利小五郎に容疑をかけていたくらいだ。偶然助けた記憶障害(――というのか)の小娘一人に、よくまあアレコレと手を出してくれるものだ。

 ――まさか、何か怪しいとか思ってる?

 そんな原作とのギャップを覚えているうちに、ふとそんな思考に辿り着いた。
 逆に、今の今まで、彼が私を疑っているとか怪しんでいるとか、そんな考えには至らなかったのだ。確かに安室の名前をチラっと出してしまった――けど。まあ、でも、安室なんて珍しい苗字じゃないし、いくらでも言い分はある。
 土地や両親の名前についても、医者から記憶障害と診断が下りているのだから、これ以上言及することがないくらい完璧じゃないだろうか。

 ――うん、まさかね。

 確かに彼もコナンも蘭も、皆漫画のキャラクターとしては知っている。
 けれど、それだけだ。本当に大したことじゃない。別に、日々は変わらない。

 新しくしたものを似合っているねと言われれば。
 好きな人に一つ挨拶を返されれば。
 いつも売り切れの自販機で、ココア缶の一つでも買えれば。それは間違いなく、充実した一日なのだ。

「和風きのこパスタ……美味しそう」
「そのくらいなら冷凍じゃなくても作れます」
「そんなの、この辺り全部じゃないですか。私は作れないし」

 口を尖らせて見せると、安室は「そうでした」と肩を竦めて、パスタの袋を籠に入れてくれた。私は頬を緩めて「やった」と拳を握る。安室も、ちょっとだけ口元を押さえて笑った。





 一通りの買い物を終え、カートを押しながら駐車場へと向かっていた。途中、安室が手洗いへというので通路を挟んだソファに座って、何となく近くの店のウィンドウを遠目に眺めていた。
 ――うーん、新しいリュックも欲しいな。やっぱりバイトしよう。
 ポアロだったら、戸籍がなくても雇ってくれたりしないだろうか――しないか。なんとか自分の生活費を工面する方法を考えていたら、「ねえ」と声を掛けられた。顔を上げれば、先ほどまで私のほうに視線を刺していた女子高生が三人並んでいる。

 「はい」と返事をすると、巻き毛の少女が毛先を弄りながら口元をもごつかせた。

「……あむぴのさあ、カノジョ?」
「…………」
「ねえ、聞いてんの?」
「あ、あ、あむぴ……」

 私は繰り返してそれを数回呟き、ぶふっと噴き出してしまった。あむぴって――あむぴって呼ばれてるんだ。それを思えば思うほど笑えてきて、さすがに失礼かと何とか笑いを押さえ込みながら私はふるふると首を振った。

「ううん。ちょっとお世話になってるだけ」
「ほら、だから言ったじゃん」
「うん。やっぱりね……」

 どうやら直接悪口を言いに来たわけではないらしい。よくあるアイドルの取り巻き状態かと思ったが、彼女たちも安室という男に誑かされた一員なのだろう。分かる、分かるよ――。帰り道に安室のシフトを把握してポアロに寄ったりとか、絶対楽しいと思う。
 あの訳の分からない階段から落ちてきて、一週間足らず。久しぶりに喋る同年代の会話は楽しくて、安室が戻るまでの間、このあたりのショップのことを教えてもらった。

「えっ、このリュックかわいい。絶対今度買いに来るね」
「うん。今なら限定色出てるよ」
「そうそう、サイズももう一個小さいのもあるよね」
「私は大きめが好き〜」

 ショートボブの子が背負っていたアニマルロゴのリュックサックへの話題に花を咲かせていた時、一人の少女がふと尋ねた。

「そういえば、さっきあむぴに服買ってもらってたよね」

 ああ、確かに――。安室は独身だと公言しているようだし、傍から見たら恋人と思われても可笑しくないか。私は精いっぱいに頭を捻りながら、ウーン、と苦笑いをした。何も思い浮かばない。事情を隠すつもりもないけど、話すと長い。初対面の彼女たちに話すようなことではないし。


「僕のいとこなんですよ」

 
 ひょい、と唐突に顔を覗かせた安室に、私は心臓が止まるかと思うほど飛び跳ねた。それは一緒にいた女子高生たちも同じで、全員でギョっと彼を振り返る。彼はそんな反応も慣れたもので、にこやかに私の肩を抱いた。
「今は少し、田舎から出てきてまして。その間だけ面倒を見ているんです」
 そう説明して見せるが、前にいる彼女たちはそれどころでなくて、毛先や前髪を忙しなく弄りながら顔を赤らめていた。

「いつもいらっしゃるお客様ですよね。また来てください」
「あ、ま、また! リュック、お揃いしよーね!」

 はたして、呆然としている彼女たちに届くかどうか――。その様子を見て、「おや」と首を傾げるその姿のわざとらしいこと。あざといこと。その顔でされると憎めないんだよなあ、と私はカートに凭れながら、彼の顔を見上げたのだ。


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Shhh...