05
桜の満開の時期よりも少し遅れて、入校式が行われる。
今日ばかりは鬼のような訓練もなく、私はこっそりとしごきに耐えた己を褒め称えながら参列していた。入校式の練習はここ数日で嫌と言うほど叩きこまれたので、ぼんやりとしていても背筋はピンと伸びていた。
上官の話が続くと、次は新入生代表の宣誓だ。
例年首席入校した人間が読むことになっていると聞いていたが――。教官がその名を読み上げると、やけに際立った声がホールに響く。少しだけ、場が騒がしくなった。無駄口を叩いた――というわけではなくて、先ほどまで真っすぐ前を見て背筋を正していた生徒たちが、その姿をジロジロと眺め、友人と目くばせをしたり、首を傾げるような仕草も窺えたのだ。その仕草が、いちいちと騒がしかった。
結局鬼塚の咳払いによって再び静寂が訪れたというものの、とにもかくにもホールの殆どの視線は、今首席である男へと向かっていたのだ。
しかし、そんなことは意にも介していないような立ち振る舞いで、男は堂々と舞台の上に上がっていった。一目で天然のものだと分かるブロンドが靡く。制服からはみ出た小麦の肌は、周囲とは一線を画していた。
私は――否、私たちは、そんな男の背中をただ見上げていた。
確かに同い年であり、同じ期の生徒だというのに、それが当然のようにも思えた。もしかしたらいつしか、彼のもとでこうして指揮下に入ることになるのかも、などと考えるくらいには、あまりに自然な気持ちだったのだ。
「降谷くん、だっけ」
ほとんど顔も名も覚えていない同期生の中で、唯一といって良いほどにハッキリと顔を覚えている男だった。(萩原と松田は、すでに会話を交わしたので別として――。)一目見れば確実に忘れることはないだろう、異国風な容姿もそうだが、何よりも彫刻を切り取ったのではないかと思うほど鮮烈な容姿が原因だ。
萩原の整い方は、現実的に「モテそう」というものだが、降谷の整い方は「芸術的」だとか「神秘的」――だとか、そういう風なのだ。女生徒も、顔を見てボーっと惚けている程度で、キャアキャアと色めきだつことすらできていないほどだ。
着校初日から際立つ人であったから、さすがの私でもその名を耳にしたことがある。(女子寮など、その日中降谷の話題で持ち切りであったし――。)
どこか特別な空気があると思わせるのはその容姿の所為だろうか、それとももっと別の何かがあるのだろうか。私はそのシャンとした背中を見送った。彼が総代として挨拶を述べている最中もひたすら見上げていて――ツン、と手の甲を突かれる。
はっとして視線を向けると、人がひとり通れる椅子の隙間を挟んで向こう側から長い腕が伸びていた。今日はキッチリとしまわれた長髪が、帽子の後ろからピョンと跳ねている。彼は笑いを堪えるように下唇を噛みしめて、太い眉を下げ口元をトントンと示した。
『あいてる』
ぱくぱく、と空気を震わせずに口の形だけがそう告げた。思わずパっと口元を押さえると、確かに降谷を見上げながら口がポカンと開いていたらしい。
「あぶなっ!」
涎が垂れるかと思い慌てて引っ込めると、パっと壇上の男が私のほうを振り返った。日本人らしからぬ、アイスグレーの瞳と視線が交わった。蛍光灯の光すらその瞳に跳ね返れば星の瞬きのようで、思わず見惚れる。
「ぶっ……く、クク……」
先ほどまで背筋を伸ばしていた萩原が急に腹を抱えはじめ、ようやくのこと他の生徒の視線も私に集まっていることを知った。――一体何かあったのかと辺りを見渡してから、自らの言動を振り返る。
「あれ、もしかして声に出てた……」
というのもそのまま口裏を突いてしまった。
まったく、肝心なことは言えないくせに。私はチラと鬼塚の顔を覗き見る。今にも拳骨の嵐を降り注がんという、まさに『鬼の形相』に、息を呑んで肩を縮こまらせた。いや、わざとではなくて――本当に。隣にいる男だけが、結局式の終わりまでその笑いを収めることはなかったのだ。
◇
「あ、あんなに笑わなくても……」
「ごめんって。いやあ〜、そんな面白い子とは思わなかったからさ」
入校式を終えると、午後は余暇が与えられていた。
式を見に来た身内と会話をしたり、写真を撮ったり。入校までが魔の期間と呼ばれているだけあり、生徒を見る教官の眼差しも今日は少しばかり和らいでいる気がした。
といっても、身内が来るのは一部の生徒で、どうやら萩原も私と同じく特に用事があるわけでもなさそうだった。退場後チョッカイをかけてきた彼と自然に歩みを同じくしていると、松田が欠伸をしながら横に並んだ。
「お前自分の声量把握したほうが良いぜ」
「そんなに……?」
「まあ、眠気覚ましにはなったな。それに、見たか? あのパツキンヤローのツラ」
松田はニヤっと片側の口角を意地悪そうに吊り上げて肩を竦める。
――パツキン野郎。
その愛称が通る男など、この寮内にひとりしか存在しない。誰のことかはすぐに分かった。思わず萩原のほうを見遣ると、彼は諦めたように息を一つ零し、軽く首を横に振った。
「僕チャンの挨拶を遮ってゆるさねー! ってツラ。気分良かったモンよ」
「そ……」
そんな言い方は、ないのではないか。
降谷は、ただでさえ注視されやすい生徒だった。私もそのひとりではある。だからこそ、その容姿に触れるのはなんだかタブーな感じというか、厭味なかんじがしてしまう。松田は気にも留めていないようだったが、私はついソワソワとしてしまった。
けれど当たり前のようにそんなことは口にできなくて、指先を軽く擦り合わせる。萩原は慣れているようで、松田のことなど見えていないように窓の外から手を振る女生徒に愛想を振りまいていた。
「――その僕チャンっていうの、僕のことか?」
食堂への入り口。対面側から声を掛けられた。――正しくは、声を掛けられたのは松田であったかもしれない。敵意をオブラートに包むことのない、ムスリとした声色であった。間近で見ると益々国宝級の顔面には、今は不機嫌という色が乗せられている。
――あーっ、ほら! やっぱそういうこと言っちゃいけないんだって!
止めもしなかったくせに心の声だけは一丁前で、私は降谷と松田の間を交互に見遣った。松田は降谷の登場に驚くこともなく、フンと鼻を鳴らした。小馬鹿にしている――というよりは、ずいぶん挑戦的な態度だ。
「そりゃ、そうだよ。オールAの首席合格。訓練の態度だって模範生で嫌になっちまうぜ」
べっと短い舌が飛び出る。降谷は眉を吊り上げて「何も悪いことじゃないだろう」と言い放つ。――その通りだ、何一つ悪いことはしていない。だが、それが気に食わないのだと松田も食い下がった。
「その、間違ってねーって態度が気に入らねえんだよ」
「間違ったことをしていないのに、反省するものもないじゃないか」
「あるかどうかじゃねー!」
「なら僕も言わせてもらうがな、入校式でのあの姿勢はなんだ! 厳正な場で胡坐を掻く、居眠りをする、挙句挨拶まで遮っておいて……」
――あれ。もしかせずとも、最後のは私ではなかろうか。
ぱちんと目を丸くしたら、彼の不機嫌な眼差しが私をねめつけた。私はビクと肩を震わせて「えっ」と声を漏らす。横にいる萩原が耐えきれない、と噴き出した。――……笑っている場合ではないのだが。
「あ……その」
別に悪気があったわけでは。
そう言おうとするのだが、ここで言葉が出るようであれば今日まで苦労していないのだ。私がしどろもどろになっている間にも、二人の口喧嘩はヒートアップしていった。果ては「何だと」「やるか」など短い言葉の応酬になっていく。
――まあ、ここでタダで済むようであれば、今日まで苦労していないのである。
どちらかがいよいよ拳を振り上げたタイミングだったろうか。友人と喋っていたらしい生徒が気づかぬまま背にぶつかった。これがまた、中々体格の良い生徒で、私が前のめりによろけた時――最後に見たのは、誰かの拳であったのだ。「小林ちゃん!」――、萩原の叫ぶ声が聞こえた。私は君が、先ほど思い切り笑ったことを忘れていない。