02
私の決まりきらない性格は、今にはじまったことではない。それこそ幼いころには今よりもいっそうモジモジとしていた。好きなアイス一つ決めるのにもああだこうだと迷った挙句親の言うままのものを注文した。えり好みがなかったワケではない。自分の意思も好き嫌いもあったのに、いざとなると迷ってしまって、結局好きでもないアイスを黙って食べた。そういう子どもだったのだ。
そんなウジウジとした性格に目をつけられたのだろう。
小学三年生の時だ。クラスの目立つ女子から嫌がらせまがいのことをされた。――イジメ、と括るにはチャチで子どもじみたものだったが、スキンシップというには度が過ぎていたと思う。そんな曖昧な嫌がらせに、教師も口を出せていないようだった。私はと言えば、やっぱりこういう話を親にも出来ず、子ども社会のなかでは良い的であったのだ。
「はい、コレ! ちゃーんと家まで運んでよね!」
「私の水筒もおねが〜い、良いでしょ?」
良いよ、なんて言わなかった。
だけど、駄目だとも言えなかった。
結局手にいっぱいの手提げ鞄やら水筒やらを掛けて、私の手提げ鞄はと言えば彼女らが謎に収集する桜の花弁の入れ物と化していた。雨に濡れたばかりで、まだ土もつき汚いというのに。
重たくため息をついた。このまま波風を立てなければそのうち過ぎ去るだろうとも思っていた。――が、それとは別に、己に情けなさも感じている。誰かに見られたり、知られたりするのは恥ずかしかった。
よく、晴れた日だったのを覚えている。
ふと私の手元が軽くなった。次の瞬間には、私の手にあった荷物が宙を舞っていた。青い空のもと、可愛らしい生地たちが弧を描き、桜の花びらが敷き詰められた絨毯へと落ちた。恐らく花も水を吸っていたのだろう、落ちた拍子にべちゃと音がする。
「ああっ」
情けなく声を上げたのは、持ち主の女子ではなく私のほうだった。
慌ててそれを拾い集めようとしたら、誰かが私の手を引く。私は頭の整理もろくすっぽできないまま、その手に引かれて走り出した。あの鞄はどうするのかとか、学校でどうやって謝ろうとか、色々なことが頭のなかを巡る。
曲がり角を曲がって、ようやくのこと目の前を走る誰かのランドセルに目が行った。黒くくたびれたランドセル。その色と力強い手の握り方に、男の子だと思った。
彼がようやくその足を止めたのは、私の通学路からは少し離れた公園だ。私が何を言うでもなく、少年は私の掌をギュウと大切そうに握った。その手には、自覚こそなかったが荷物をいくつも運んだ時についたのだろう、赤い痕が残っている。痛みはない。それなのに、その痛々しい赤が何かを嘆いているようにも見えた。
「平気?」
少年は、事情を尋ねるわけでもなくそう声を掛けた。
私はそれがどうしようもなく情けなかったのか、嬉しかったのか――よく分からないままに、涙目になりながら何度も頷いた。
少年の名前を聞いたこともない。実は、顔もよくは覚えていない。
恐らく私と同い年か、そのくらいだったと思う。隣町の小学校に通っていると――それだけは、聞いていたが。唯一鮮明に覚えているのは、礼を述べた私に彼が笑いながら首を振ったこと。そして――。
「良いなあ、わたしもそんな風になりたい」
「そんなふうって?」
「君みたいに、人の手をにぎれる人。やさしくて、かーっこいいの!」
すると、少年は照れくさそうに笑った。しかし、決して嫌な顔はせず、恐らくだが快く頷いただろう。
「なれる。警察官にだって、医者にだってな」
「……でもね、わたし」
言い訳を並べようとした言葉尻に、彼の言葉が被さった。
「――なれるよ!」
彼は、強く、明るく告げる。
たった一言だ。その一言が私の頭の中を吹き抜けていった。風が吹き、花弁が舞う。なんと色鮮やかな世界なのかと思った。彼の見る瞳の先には――一体どれほどうつくしい世界が待つのかと、羨んだ。
「わ、わたしもなりたい!」
その世界の一片にでも足を踏み入れたいと、その時強く思ったのだ。彼は、否定することなく頷いた。手のひらは温かく、指先が少し固かったのを強く覚えている。
◆
「――おい、聞いてるのか!」
ポカッと軽く帽子をはたかれる。その衝撃で我に返った。私は慌てて背筋を伸ばしてその場に直った。――着校して三日。タフなことは自慢の一つであったが、環境の変化にはすこぶる弱く、新しい布団に中々馴染めないままでいる。おかげでいまいち体がスッキリとしない。
「申し訳ありません!」
「声が小さい、部屋からやり直すか!?」
「はいッ! 喜んでやり直してまいります!」
私は敬礼を一つ残して踵を返した。
こういう時は体力に任せて走るのが一番だ。全員の前で叱られる精神的体力よりも、よっぽど楽だと思える。全速力で自室まで戻り、もう一度国旗前へ集合すると、すでに集団は横並びで走り始めていた。後ろから追いかけても良かったが、足並みを崩さない練習だと聞いているので、それもどうだろう。
「……うーん」
迷いながら後ろのほうをチョコチョコと走っていたら、唐突に誰かが手を引いた。まさか教官かと、ギクと背筋が強張ったが、それにしては若い手だ。ごつりとした関節に、すぐ男だとは思った。
その手は私の腕を引き寄せ、私の元の隊列のほうへ背を押した。ややよろめきながらも、私はその中に混ざり足を動かす。
「えっと」
慌てて振り返ると、手を掴んでいた男は露骨に眉を顰めて人差し指を前方に二回指す。
『前見ろ』
そのぶっきらぼうな口元が語った。私はその顔を見て、思わず「あ」と声を漏らす。寮に初めて訪れたとき、荷物をぶつけてきた失礼極まりないヤンキー男である。生意気そうな目つきはあの日と変わりなく、私の方をジトリと睨みつけている。
「あ、ありがとう!」
「バッカ、声でけーよ!」
先日の一件はともあれ、今のは私を助けてくれたと見て間違いないだろう。後ろを向きながら礼を言うと、男はやはり目を吊り上げて怒鳴った。隣を走る他の同期が「お前もなぁ……」と呆れたように呟くのが聞こえた。
「コラァ! 走ってるときに私語するヤツがいるか!!」
そうどやされ、私と男は声をあわせ空に向かって謝罪を叫ぶ。ひとまずは許されたものの、結局昼休みに教官から呼び出される羽目になってしまった。どうやら、あのヤンキー男も同罪となったらしい。彼は説教される間もなんとも不遜に欠伸を零しながら、教官の睨みなど物ともしていなかった。
――すっご……私には絶対無理だけど……。
思わず苦笑いを零してしまい、説教が長引いたのはまた別の話かもしれないが。