03


「――皆さんの証言を纏めると、こうだ」

 でっぷりとした、太い口ひげを讃えた刑事が語る。それこそドラマのワンシーンのように、こつこつと革靴が床を硬く鳴らした。
「被害者である道城ユキさんがデッキに姿を消したのは二度。一度目は十時五十分ごろ、恋人である荻野慎也さんを探しに――二度目は十一時四十二分、帰ってこないサークル仲間である高槻百花さんを捜しに行った。此処までは良いですかな?」
「……はい」
「ふむ……。ちなみに、荻野さんはどうしてずっとデッキに? 毛利くんたちに聞く限り、新幹線に乗ってからほとんど席には戻っていないようだが」
 足音が、慎也の目の前で止まる。彼は普段ニコニコと穏やかに笑う口元を戦慄かせながら、言葉をどもらせた。涙の跡を必死に袖で拭い、慎也は答える。

「俺、実はとある映画の大ファンで……。知りませんか、『新幹線 102』って……」
「ああ〜! 最近海外で取り上げられて再注目されてる、昔の名作ですね」
「そうです! 俺もオマージュされた洋画で大ハマリしちゃって……ずっとこのモデルに乗るのを楽しみにしてたんです。だからつい、デッキとかいろいろな座席を見て回っていて……」

 目暮と呼ばれていた大柄な刑事は、パっとしないようで唸っていたが、苦笑いしながら高木が解説をする。彼がその映画のファンであることは、サークルの中ならば周知の事実であった。ユキもそのことはよく分かっていただろう。

「高槻さんは、荻野さんを探しに行き、そのあと一つ隣のデッキに向かった。そこから帰ってきた際に、トイレの扉が閉まるのを見た……と」
「は、はい。何かが倒れるような、大きな音がしました」
「そして毛利くんたちが合流し、道城さんを発見。その時まだ彼女は生きていた?」
「間違いなく意識はありましたよ。彼女はこの場所から手をこう持ち上げ――百花さんを指さした」

 小五郎が、彼女の遺体があった場所から私のほうに人差し指を向ける。私は僅かに首を縦に動かす。いまだに信じられないが、それは紛れもない事実であったのだ。私自身、それを見たのだから――。
「ま、普通に考えりゃあ最期の力を振り絞って犯人を示したっつーのが定石だわな」
「ち、違う! 私がユキを殺すワケがないでしょ!」
「まあまあ落ち着いて。一つ言えるのは、この毒薬が彼女を死に至らしめるまで五分ほどの時間が必要ということ。そしてその時間内にデッキを出入りしたのは、荻野さんと高槻さんしかいない……そういうことですよ」
 無意識に口の中に溜まった涎を、ごくりと飲み込んだ。
 私か慎也しかいないのならば――だとしたら、ユキを殺したのは紛れもなく慎也なのだ。嫌な汗が首の後ろをプツプツと濡らしていく。まさか、そんなことがあるのだろうか。
 慎也が善人だとは言わない。実質、彼には憎しみと恨みと、コンクリートの塊のように吐き出せない思いが募っていた。しかし、殺す――だなんて。私ではなく、恋人であるユキを。
 ユキと慎也は、傍から見れば理想のカップルであったように思う。二人とも性格は穏やかで明るく、私も喧嘩をしているところは見たことがなかったのだ。
「ちなみに、高槻さん。荻野さんを探しに行ってから、どうして戻ってこなかったんです」
「――……そ、それは」
 私は、つい言葉を詰まらせた。慎也のことを考えていた最中であったし、ぱっと名言し難い。何と説明すれば良いか口を篭らせていると、口を開いたのは慎也のほうだった。

「口喧嘩、したんです。俺と百花……。百花が、ユキと別れろっていうから」

 ぽつりと、言葉を落とすように呟く。まるで、言い辛いことを告白するような口ぶりであった。私は「ハ」と小さく息を吐く。それ以上、言葉が浮かばなかった。

「喫煙ルームで、少しもみ合いになって。ね、そこのお兄さんも見ていたでしょう」
 慎也は、くるりと沖矢のほうを振り向く。沖矢は言われるがままに、「まあ」と相槌を打っていた。――待て、待て待て。慎也はどうしてそんな説明をする。ぐるぐると思考が巡って、ようやく一つの結論にたどり着いた。当然のことだ。彼は、人を殺したのだから。
 だから――私に、その罪をなすろうとしているのだと分かってしまった。

「こ、の……!」
 沸々と心の中に湧く怒りは、行き場のない熱を顔に籠らせる。顔を真っ赤にして力んだ拳を震わせる私を、皆が見ていた。君が犯人だと、視線が突き刺す。あの、ユキの人差し指と同じだ。
「俺が悪いんです。彼女はユキの大切な友達だと思って、思わせぶりな態度を取ったせいだ……」
「どの口が! どの口が、そんなこと……」
「だからユキも、最後に百花を指さしたんだ。自分の意思を伝えるために……」
 噛みしめた唇がプツリと切れる。
 違うと伝えたい。悪魔は目の前にいるこの男だと、訴えたい。私は、ユキを――殺してなんかいないと、言いたい。のに、言えなかった。

 結局、彼女がいないと何もできない。ユキがいなくても大丈夫だと思っていたのに、蓋が喉を塞いでしまう。感情だけが出所を失って、体の中を渦巻いていた。
 幼い頃、男子に揶揄われて泣く私の言葉を、代わりに告げてくれたユキの背中を思い出す。「そんなこと言われたら、悲しいじゃん」と。至極当然なことを、胸を張って告げていた、彼女の小さな背中が恋しい。ユキ、ユキ、ユキ――!



「……少し、可笑しいと思いませんか」


 泣き出しそうな私の、言葉にもなっていない吐息に被せるように、流暢な語り口が場を裂いた。「可笑しいって、何が」、小五郎が訝し気に尋ねたのは沖矢だった。
 沖矢はううん、と顎に手を当てて考える素振りをすると、ユキの最期のように壁に凭れかかる。

「こう、力がない状態だったとするでしょう。死の間際、毒薬で力の入らない手を持ち上げるのは、中々に体力を要します」
「だぁかぁらぁ、最期の力を振り絞ってだなあ……」
「なら、普通はこう……指をそのままに向けたほうが早いと思いませんか」
 彼はそう告げると、横向きのまま長い人差し指をぴんと出して私のほうに向けた。
「僕の記憶だと、彼女の指の指し方は妙な……たとえば、こんな感じの」


 と、彼は上向きにした人差し指を一の形に立ててから、関節を私のほうへ曲げる。それに「あ」と言葉を漏らしたのは、歩美だった。沖矢の手をまじまじと見ると、彼女はうんうんと何度も頷く。
「そうだよ! こうやって、指をコンニチワってさせてるみたいだったよ」
「確かに……そうだったかも」
 蘭が、自分の指を曲げながら独りごちる。そう、だっただろうか。私の記憶のほうが曖昧で、しっかり肯定できないのが口惜しい。

「まあ、まだ指さしの可能性も完全に消えたとは思えませんがね。ただのミステリーオタクの戯言だと思ってください」
 沖矢はゆっくりと立ち上がり、苦笑を浮かべた。柔らかな物腰であったが、この場にいる全員がその声に耳を傾けているのが分かる。彼の言葉には、「そうかも」と思わせる妙な説得力があった。


 背筋の伸びた、すらりとした背中が、何故だかユキの背中に重なって見える。気のせいかもしれない。心のよりどころを探しているだけなのかもしれない。けれど、私は深く息を吸う。

「喫煙ルームで争っていたのは、慎也が浮気していたからなんです」

 そう、一言切り出した私を、慎也の視線が鋭く射抜いた。穏やかさを失った彼の視線に、体を強張らせながら唇を引き結ぶ。私はシルバーのスマートフォンが入った、彼の右ポケットを静かに指さした。