01

「――百花、行こ〜」

 間延びした声に呼ばれて、振り向く。
 誕生日プレゼントに貰ったピアスが軽やかに揺れた。振り向きざまに目があった同級生が、体をドキリと強張らせたのが私の目からもよく見える。ぱちんと瞬いた目つきは、きっと彼にとって魅力的に映ったことだろう。
 それを、ほとんど他人事のように考えてしまうのは、生まれついたものだ。ナルシストと言われようが、自意識過剰と罵られようが、実質少し我儘に口を尖らせるとぷるっとした感触にまじまじと視線が向くのだ。避けられない事実である。

「百花、性格わり〜」
 リップを塗り直しながら、女友達が笑った。
「マジで彼氏いないの?」
「いらねーもん。あ、ねえ、その色可愛い。似合ってるよ」
「ほんと!? 百花ってすぐ可愛いとか言ってくれるから好き〜」
 クラスの中で――否、この学年の中でもトップクラスの顔つきが、頬杖をつきニコニコと機嫌よく笑った。色白の肌、透明感のあるミルクティーブラウン、ブラウンを基調にしたぱっちりとした睫毛に、コーラルピンクの透けリップ。あ〜、可愛い。スカートからはみ出た薄手のタイツももうすぐ見納めかと思うと、名残惜しい。
「受験かあ……。実感ないわ」
「だね。ま、やっと実家でれんじゃん」
「それねー……あれ、百花はどこ希望だっけ。進学? 就職?」
 爪を眺めながらそう尋ねる彼女が、偏差値の低い大学へ進学することを覚えている。こちらには興味がないのだろう。そういうところも付き合いやすくて、好きだったが。この先会うことはないだろうと思う。


「警察になりたいんだよね。警察学校」


 




 昔からよく、「大人びた子だ」と言われて育った。
 些細なことで泣くことはなかったし、子どもにしては難しいことも知っていた。波風を立てず、喧嘩もせず、大人の機嫌を取り、勉学にも運動にも励んだ。両親も「手のかからない子で助かった」と、二つ年の差で生まれた早生まれの妹にばかり構っていた。
 別に、それを苦だとは思っていない。そういうスタイルを選んだのは、紛れもなく自分自身だったからだ。



 私の――俺≠フ人生は、二巡目だ。
 
 
 俗にいう前世というのか。それとも余程リアルな妄想癖なのかは分からない。
 前の俺は、今よりももう少し気性の荒い男だった。どちらかといえば喧嘩っ早かったし、軽い犯罪まがいのことをしたこともある。
 死んだのは、二十九の時。今までしてきたツケが回ってきたのだろう。マリファナに手を出しているとき、パトカーの音に何も考えず走り出して、そのままトラックに挽かれたのだ。

 車に挽かれたときに、何故か俺を庇うように体に抱き着いた女がいた。警官の服を着ていた。俺と一緒に何度かバウンドして、大きくアスファルトに叩きつけられる。どうしてそんなことをするのか分からなくて、どちらのものか分からなくなった血だまりをボウっと眺めた。

 彼女が、パッチリとした瞳を俺に向ける。パー、パー、とクラクションが鳴り響く中で、最後に僅かに口角が上がった。


「良かった」


 彼女は言った。ただ、俺のことを助けたかったのだと、そう思うと自分の人生がどうしようもない価値にしか思えなくなった。
 彼女もいたし、親友もいた。しかし、俺を助けようとしたのは赤の他人の警察だ。痛かっただろうに、俺は無性に泣きたくなったが、その力も残っていなかった。



 ――そこからは、見ての通りだ。
 俺は――私は、女に生まれていた。これがまた中々に美人で、男がそそるような見た目に育ったのは、前世の俺から見ても明らかだ。まるでゲームの中のアバターを見ているような気持ちだった。しかし、俺が手を挙げれば、もちろん私も手を挙げる。妙な気分だ。
 そうして十八年。いいかげん女であることにも慣れ、愛着も沸いたが、やはりどこか第三者の視点で見ていることも確かだった。

 警察になろうと思った。
 どうせなら前と違う人生を歩んでみたかった。どうしようもない人生だと思いながら死ぬのは虚しかったから。そして何より――彼女が、どんな思いで俺を庇ったのか。貧相な頭で、知ってみたかったからだ。







 
 警察学校の倍率は決して低くはない。女性警官となればなおさらだ。
 
 こちらの体で生まれてからは殆どそのことだけを考えて、勉学も運動も並み以上に取り組んできた。あいにく前の自分の頭は良いほうとは言えないが、ゼロのスタートからは大分マシだっただろう。

 今日、私は二次試験を迎えていた。
 年明けの寒さに太ももを擦り合わせながら電車に乗る。ロクな受験や面接などしてこなかったので、こればっかりは緊張した。乗りなれない方向の電車に乗りながら、メモをした面接内容を確認する。
 外との温度差で、電車の窓は白く煙っていた。ちら、と外を見ると、雲は暗い。天気予報では晴れのち曇りだと聞いていたが、些か不安だ。
 

 予定の駅に到着する。膝に乗せていたマフラーを軽く巻いて、辺りを見渡しながら改札へと向かった。階段を、上がったところだった。

「おーい、ちょっと待って」

 気の抜けた呼び止め方だった。
 まるで、年の離れた幼い子どもをショッピングモールの中で追いかけているような。一瞬周囲を見たものの、すぐに肩がポンと叩かれて、自分のことだと分かる。振り向くと、黒髪の男がはぁ、と白い息を吐いて立っていた。私が振り向いたことに、ホっと力の抜けた笑みを浮かべる。
 ずいぶんと長い階段だったのに、駆けてきたはずの男は息を乱していないことに驚いた。
 
「会場、そっちじゃないよ」
「……え?」
「受験会場。改札反対側だから」

 男は手袋の被さった指先を、階段の反対側へと向ける。
 暫く目をパチクリとさせていると、男は「あれ?」と形の良い眉を下げて、情けなく苦笑を浮かべる。


「違った……? さっきから何度もメモを見直してたし、今時っぽい子なのにスカートをしっかり下ろしてたから、てっきり警察学校の受験に行くのかと思ってさ」
「――……ううん。合ってる、ありがとうございました」

 私が頭を下げると、男はお人よしそうに「良かった」と、息をぬくように笑った。階段の反対側から、「ヒロ!」と声がする。屋根のある駅内で、その声はジンジンと響いていた。彼はまた、眉を下げると、見えるはずもない誰かに向かって笑った。
「今行く!」
 たた、とそのつま先が声の方へと向かう。
 私はその少し後ろを歩いた。どうやら、彼らも同じ会場に向かうようだ。まあ、受験日を知っているのだから、そうだろうけれども。
 
 彼が追い付いた先にいる男は、ヒロと呼ばれたお人よしとは正反対によく目立つ男だった。一度見たら忘れないだろう、小麦の肌にブロンドの髪、大きい瞳はツンケンとしていたが、ヒロ(――仮で)が追い付くと砕けたように細められる。

「何してるんだよ、トイレ行くって言っといて」
「悪い悪い――……」

 彼らと私では歩幅が大きく違う。
 長い脚はほとんど後ろにぴったりと歩いていた私を、ぐんぐんと離していった。ツンとした空気の中、あっという間に聞こえなくなった声。遠くで、二人並び歩く姿だけが、澄んだ景色でもよく見えた。


「……どこかで、見たかな」


 私はぽつりと独り言ちる。
 その心当たりがあったのは、金髪のほうの男だ。なんとか記憶を手繰り寄せようとして見るが――、結局頭を痛めた数分に終わってしまった。まあ、あれほどまでに派手な男、文字通り一目で忘れることはないはずだ。きっと、同じような金髪の男に既視感を覚えただけだろう。

 それよりも今は、試験に集中しなければ。
 私は二度目の人生の――しかし初めての受験に、ふうと肩を鳴らす。すれ違った子たちが「さっきの人格好良くなかった?」などと言う台詞が、元男としては非常にムカついてしまい、あの人たちよりは良い点数を取ろうと静かに心に決めていた。
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Shhh...