03


 定食を持って、彼らの向かいへと足を運ぶと、黒髪の男も私の向かいで腰を下ろす。次いで、降谷も彼の隣の席についた。二人とも受験の時はカジュアルスーツだったので年上だとは思うが、日本人らしい幼顔で、目の前にすると今の自分と同じくらいではないかと錯覚するほどだ。私も向かい側に着き、「邪魔してごめんなさい」と控えめに謝った。

「声掛けたのは俺だし、気にするなよ。同じ教場だろ?」

 黒髪の男――ヒロと呼ばれていたっけか――が、愛想よく笑った。対して降谷は、黙々と手を合わせ、食事に手を付け始めた。私と話す気はないようだ。ヒロ、もそれに慣れているのだろう。特に気にする様子もなく、「いただきます」とB定食に箸を伸ばす。

「うん、そう……えっと」
「諸伏。諸伏景光。こっちは……知ってるか」
「降谷零くん、だよね」

 諸伏が、穏やかに頷いた。なるほど、景光(ひろみつ)で、ヒロか。降谷の呼び名を思い出しながら、私は淡々と魚を捌く男を一瞥する。思いのほか大きな一口が、鯖の味噌煮をぱくりと飲み込む。

「あ、私は……」
「――高槻百花」

 名乗り出ようとした言葉が途切れる。口を出したのは、魚を飲み込み終わった降谷だった。彼が口を挟んだのが意外で、私は数度瞬く。諸伏も、そのツンとした目つきをパチパチとさせた。


「あれだけ毎朝怒鳴られてたら、嫌でも覚える」


 なんというか、形容しがたいが、ものすごく厭味な言い方だった。「嫌でも」の部分など、ほとんど鼻で笑った息が混じっていたし、その視線がこちらを微塵も振り向かないのがまたカチンとする。頬が軽く引き攣るのが分かった。
「べ、つに……わざと怒鳴られてたわけじゃないし」
「その割に今日の返事もボーっとしてただろ。だから目をつけられるんだ」
 興味がなさそうにしている割に、よく観察していることだ。ケンカ売ってるのか、コイツ。入校式で降谷の言葉に感動していた自分の心を返してほしい。前の俺であれば、今頃胸倉でも前髪でも引っ掴んでいるだろう。二回目の人生で、多少なりと、元のキャパシティがペットボトルの蓋レベルだとしても、寛容になった自分に感謝してもらいたいところだ。

「ゼロ」

 諸伏が、降谷を言い咎めるように呼んだ。恐らく彼のあだ名だろうと思う。その言葉で、私の沸々とした想いもサーっと引いていく。そうそう、こんな二十そこらのガキの言葉にムカつくことはない。学生のころも、そうやってやり過ごしていたのだから。

「なんだよ、ヒロ」
「そんな言い方するなよ。女の子だぞ」
「勤務してる時に男も女もないだろ。基礎ができてないから言われるだけだ」
「いやいや、分からないぜ。着校から入校までは、結構みんなそうだって言うからさ」

 降谷の言葉に対して、諸伏はフォローするように首を振る。「きっと目をかけられてるってことさ」、続けて言った言葉に、私は少しガックシとした。諸伏から見ても、私が特別怒鳴られているという事実は変わらないのだろう。てっきり周りも私の知らないところでどやされているものだと、心の端で期待していた。
「あはは……ありがとう、諸伏くん」
「ごめん、変な言い方しかできなかったかな」
「ううん。ちょっと気に掛けてくれてたみたいで嬉しい」
 にこ、と笑いかけると、諸伏の口元がキュっと噤んだ。私にも見て取れたが、降谷も目敏くそれを見抜く。一体どこに目がついていて、横にある顔の表情を読めるのだか。ブロンドをぶんっと振り回して振り向く様子に、諸伏は目を丸くした。私も、そのジットリとした目つきに、同じように目を剥く。

「……好きなんだろ、こういう女が」
「えっ」

 私が声をあげると、諸伏は噤んだ口を益々引き結ぶ。
 ――いや、好きなんかい!!
 と、心のうちで思い切り平手をかましながら、諸伏のほうを見返すと、彼は前歯で軽く下唇を噛み、恥ずかしそうに「違うって」と言った。
「元カノも似たような顔してた」
「あー……顔ね……」
「だから違うって!」
 私は自分の頬を軽く包み、耳を僅かに赤くした諸伏を見つめた。散々鏡を見てきたから分かる。ぷっくりとした涙袋と、形の良いアーモンドアイ、薄茶の瞳はすごく大きいほうではない。ツンとした鼻。薄い唇の口角は持ち上がっていて、歯並びはそこまで良いほうじゃないが、片側だけにある八重歯が可愛いと思う。大人の女らしさはないが、こういう風貌が男ウケするのは分かる。
 ならサービスしておくか、と涙袋を押し上げるように瞳を細めて、八重歯を見せて笑うと諸伏が露骨に額を押さえた。「だから……」と未だ弁明したそうにしている。その様子が面白くてケラケラと笑うと、降谷はぎゅっと眉間に皺を寄せた。


「ほら、コイツ性格悪いぞ。やめておいたほうが良い」
「ごめん、諸伏くんが可愛くって。嬉しかったのは本当だからさ」
「いや……うん、ア〜……。もう良いや」

 はあ、と溜息をつくと、諸伏は諦めたように味噌汁を啜った。私も、付け合わせの人参を口に放る。私は黙っているのも気まずいので何気なく、二人はいくつかと尋ねる。諸伏は特に戸惑うことなく「二十二だよ」と答えた。
「二十二歳かあ……」
 前の俺の享年が、二十九歳。彼らとは違いこのくらいの歳には遊び惚けて、麻雀卓に入り浸っていたような気がする。そう思うと、腹すら立てどなんて立派な若者だろうか。腹は立つけど。
「高槻さん、十八でしょ。四つ上なんてオジサンじゃない」
「その質問がオジサンっぽいけど」
「えっ!」
 諸伏がぎょっとして口を押えた。
 声色は落ち着いているし、立ち振る舞いも子どもっぽいわけではないが、純粋に可愛いと思う。もし男として会っていても、後輩とかにいたら可愛がられたと思う。


 だが、それは恋愛感情ではない。
 生憎と、女として生まれたは良いものの、男を恋愛対象として見れないのは確実に前の俺の記憶の所為だ。女を抱いたこともあるし、明確に自分の中には『男』としての自我があった。今が女であることは分かっているが、自分と人では話が別だ。
 かといって、女としての生殖本能なのか、女相手に食指が動くわけでもない。可愛いと思うし、エロいとも思うけど。
 男に好かれる風貌のおかげで、好意を向けられることはあったが、どうにも気持ちが悪く、関係を持ったことはなかった。
 ――警察業務に関わるわけでもなし、一生独身貴族でもまあ構わないだろう。


「ふ、ヒロが、オジサン……」
 飛んでいた思考が、クックック……という悪役も真っ青な笑い声で現実世界へと戻ってきた。降谷だ。口元を掌で覆って、そっぽを向いて肩を揺らしている。
「ゼロだって同い年だろ」
「俺はオジサンっぽい質問しないからな」
「コイツ……そーおいうこと言ってると……」
 わきわきっと伸びた手が、降谷の脇腹をこしょぐる。降谷はビクっと全身を跳ねさせると、一足早く食べ終えたトレイを持って、さっさと席を離れてしまった。どうやら彼の弱点のようだ。もしもの時のために覚えておこう――と、箸の先を銜えながら思っていると、諸伏がチラっと私のほうを見て、悪戯っぽく目を細めた。


 猫みたいな目つきだなあ、と思う。私もそれに肩を竦めた。
「可愛いところあるだろ、ゼロも」
「可愛くはないでしょ」
 と、二人で声をあげて笑ったのだ。
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Shhh...