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 花の形をした半透明の飴は、さすがの私にも食べるのがもったいなく思えて、暫くクルクルと風車のように指先で回していた。しかし勤務中であったし、バレれば諸伏の体面もない。ちら、と彼を見遣ると、なんとも情緒なくガリっと歯で噛み砕いていて、つい笑ってしまった。

「え、なんで笑ったの」

 諸伏は私がふいに笑ったのを見ると、少しだけ頬を綻ばせながら尋ねる。こうしていると、まるで少年だ。その表情を見ていると、ドキっとした胸が僅かに落ち着いていく気がする。
「べつに、食べちゃうんだって思って」
「だって、食べ物……こういうの、やっちゃダメか」
「良いけど。ただ面白かったから」
 笑いながら、私もその飴をパクリと口の中に入れた。見た目とは違って、砂糖の塊の味がする。舐めていてもずっと口の中が甘ったるいだけなので、奥歯で噛んでみた。市販の飴玉より、ねっとりとした食感が歯に纏わりつく。

 背後から花火の打ちあがる音がすると、人波が一気にそちらに傾くのが分かった。私たちの進む道には、次第に人の姿がまばらになっていく。
 飴を食べ終わった頃、近くにある支部につくと、私と諸伏は何故かトイレットペーパーの配置を託され、ゴミ袋(――鞄代わりである)いっぱいのロールを受け取った。何の仕事だ、これ。

 二人で顔を見合わせてから、あっちのトイレから行こうかなんて話をした。花火の時間が終われば交通整備に駆り出されるだろうから、それまでの時間つぶしなのかもしれない。二人そろってのほほんとトイレットペーパーを配り歩いていたので、見かけた同期から散々に揶揄われた。「ナイストイペー」などと訳の分からないエールまで飛んでくる。
 巡回中の松田と萩原に出くわすと、出会い頭で松田がぶっと噴き出した。諸伏が「大丈夫か」とトイレットペーパーを差し出そうとしたのは、腹を抱える松田にとっては災難だっただろう。

「可愛いサンタだねー」
「や、さすがに季節おかしいでしょ。一ついかが」
「押し売りしてんじゃないんだから」

 事実ゴミ袋を彼の言う通りサンタのように片側で背負っていたので、萩原は年下の妹を可愛がるようによしよしと撫でられた。これがモテる男の仕草らしい。彼は私に近寄った拍子に、軽く匂いを嗅ぐようにスンスンと鼻を鳴らす。数秒の間をあけて、ずいっと高くしっかりした鼻頭がこちらに近づく。

「あれ、何か食べた?」

 先ほどのドキリとした感覚とは違う。図星で、ギクっとした。露骨にきゅっと口を噤むと、大人っぽい顔つきが怪しむように目を細めて、一センチほど近づいた。

「不良少女だねぇ、百花ちゃん」

 ン? と、まるで尋問をする警官のように太い片眉が吊り上がった。誤魔化すようにエヘヘと可愛い子ぶって笑うと、萩原もふぅと息をつくように笑う。横からそれが耳に入ったらしい松田も茶々を入れた。
「ホーォ、俺たちにも奢ってくれんだよなぁ」
「ヘンなのまでついてきちゃった……」
 がっと萩原の肩に、乱雑に腕を乗せながら彼はニヒルに笑う。ついこの間の夜のお散歩の仕返しとでも言いたげだ。ちゃっかり、昼飯にデザートもつけて奢ってもらったので、肩を小さくしながら視線を逸らした。

 悪ガキに絡まれること数分、案外さっぱりと開放してくれたのは、苦笑いする諸伏が間に入ったからだ。私と萩原の隙間に体をねじ込んで「俺が甘やかしちゃったんだ、悪いな」と告げた。



 それからすぐ巡回を続ける彼らと別れると、気のせいか諸伏の目つきが厳しくなっていることに気づく。普段は目つきの悪さなど気づかせないほど穏やかな彼なので、気のせいじゃないと思う。
「……なんか怒ってない?」
 口元が歪むのを隠せないまま、彼の表情を覗きこんだ。――怒っているというよりはほぼ無表情で、元のツンとした目じりが彼の顔を怒っているように見せるのだ。ふう、と小さめの口からため息が零れるのが、少し怖い。

「違う、その、怒ってるわけじゃないから……」
「あ、そ? なら良かった」

 独りでもごもごと何か言いたげにしていたが、私が首を傾ぐと再びため息をつかれる。
「なんでもない。その……悪い、怖かった?」
「いつもが優しすぎるんでしょ。降谷くんのいつもの顔見たことあんの?」
 こんなのでしょう、と口を尖らせてわざと眉間に皺を寄せて見せると、諸伏はツンとした目つきを一変させた。目じりに、笑い皺が浅く寄る。

「……かわい」

 ぽつ、と零れた私の言葉が、いやに路地に響いた。花火はまだ打ちあがっているというのに。つぶやきが届いたのか、諸伏の肌がカっと赤くなった。隠すように手の甲が顔の下半分を覆う。薄っぺらい耳たぶも、今は赤い気がする。暗くてよく分からず、私は確かめるようにそれを触っていた。私の指先に触れた耳たぶは柔く、冷たい。彼の瞳が、私のほうにゆっくりと向いた。

「ごめん、すぐ赤くなったりして」
「ううん、嫌いじゃないから」

 染まった目じり、僅かに揺れた瞳が、私を見つめる。不思議と、動揺はしなかった。ただ、欲情は――していた。熱い耳たぶも、首元まで染まった朱色も、汗で張り付いた前髪も――。私と一緒の匂いがする、甘い吐息も。

 ――なんで、こんなにエロいと思うんだろ。

 少し前からそうだ、彼を可愛いと思うたびに、多分、心のどこかで思っていた。この体になってから、感じたことのない感覚だ。だが覚えはある。彼に色気を感じている。大分上にある彼の口元が、僅かに震える。それから口元を覆ったまま、パチンと瞬いた。

「――嫌いじゃない……だけ?」

 自身のなさげな単調な口調だったが、語尾は僅かに上がっていた。私に問いかけたのだと分かる。私は何か――何かを言おうとしていたと思う。粘ついた口の中を開いた。このままキスをしたいと思った。この蒸した夜に、甘い口の中を合わせたら、良いと感じた。
「ううん」
 ただ、それだけ答えて。


『応援求む、交通整備の人員が足りていません。応答願います』

 
 ぱっと、私は手を離す。一拍置いて、ドクンドクンと心臓が飛び出るかと思うほどに大きく鳴っていた。一気にぶわっと、掌から汗が噴き出して、私はそれを制服で拭いながら無線に応答した。諸伏も、後頭部を掻きながら視線を逸らす。

 二人で応援を要請された駅に小走りで向かった。二人して走りだしたのは、少しでも顔に溜まった熱を誤魔化したかったからだ。諸伏も、恐らくそうではないかと思う。
 自分でも理性がなくなっていたと思う。
 心底、自分に男性器がついていなくて正解だ。もし男の体だったら、今頃しっかりした足取りで走れてはいない。女の体に謎の感謝を捧げながら、私は誤魔化すように班員のもとへ合流した。

 チラリと諸伏のほうを覗くと、彼は彼で降谷たちと合流したらしい。人混みの中にいても、よく目立つ降谷の姿の横に、どちらかといえば特徴的でない彼が立っている。二人で何やら話をして、砕けたように笑いあう。時折、彼もこちらを見るのが分かった。夏祭りのごった返した人の列を整備しながら、大勢の人の中に埋もれながら――どうしてか降谷でなく諸伏に視線が向いてしまう。

「ね、さっきから降谷くんのこと見てる?」

 教場の違う同期の子に声を掛けられて、私は「違うよー」と笑った。そこでようやくスイッチが入り、私はぱっと笑顔を女の子のほうへ向ける。名残惜しい視線が、どうにも後頭部に張り付いているような気がしてならない。振り向いてしまったら、もう元には戻れないような気がして、怖くて振り向けはしなかった。

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Shhh...