07

 何となく、諸伏のことは気に入っていた。
 気に入ったというと上から目線になってしまうか。初めて会ったのが受験会場に向かう時の駅だった――そういえばそうだった。
「え。てっきり覚えてるもんだと」
 諸伏は、ツンと吊り上がった目を見開いて、人差し指で自身を指した。その落ち着いた声色に聞き覚えはあったが、ビジュアルについてまったく記憶にないのが事実である。覚えてはいるのだ、そういう親切な人が声を掛けてくれたことに。だが、それが諸伏であったかと問われると曖昧な部分があった。

「ごめん、降谷くんの印象が強すぎて……」

 正直に漏らすと、諸伏は鼻からフっと息を漏らす。キツい吊り目なのにお人よしそうに見える風貌は、その表情のせいだろうか。気にしてないよと諸伏は笑った。

「俺はすぐ気づいたけど。あ、受かったんだって嬉しかったもんな」
「えぇ〜? 本当に? 結構髪切ったし、すっぴんなのに」
「ほんと。なんでそんな疑ってるんだ」

 ジトっとした視線で諸伏のほうを見上げると、彼は苦笑いしながら頬を掻く。だって、受験だったのは諸伏も一緒のはずだ。余程印象深い男――降谷のような――なら知らないが、声を掛けただけの女の顔など覚えているだろうか。私は自分の顔を擦りながら、あ、と思い出したように声をあげた。

「分かった。顔が好みだったからだ」
「だ、から! あれはゼロの冗談だってば……」
「でも分かる。顔が好みの人って、印象に残るよ〜」

 慌てたように食い下がる諸伏の言葉をスルーしてウンウン、と頷く。沈黙。
 揶揄ったつもりだったのだが、急に何も言わなくなったので、不思議に思って視線を向ける。彼は、その薄っぺらい唇を僅かにだけ噤み、歪ませた。視線が露骨に逸らされる。揶揄いすぎたか、気に障ることを言ったか――諸伏を覗き見て、「ごめんね」と謝った。
 諸伏は、言い辛そうに「いや、違くて」と否定する。

「俺は、好みじゃなかったんだな……とか、思ったから」

 ――え。という口の形で、数秒固まった。
 いやいやいや、コイツ露骨に私のこと好きなんじゃん、と思った。本人は隠してるつもりなのか、滲ませているつもりなのか――これで隠しているつもりだとしたら、相当ポンコツだと思う。
 ただの数回会っただけの女だぞ、と前世の俺が諸伏を否定していた。真面目そうだったし、先ほどの萩原との会話からして、純粋な正義漢であると感じたので、尚更だ。
 やはり降谷の言う通り、顔が相当好みなのだろうか。俺も好みの女のケツを追っかけまわす気持ちを分からなくもない。

 一時間にも感じる数秒後、私は「ハハハ」と乾いた笑いを漏らした。
「いやいや、降谷くんが一緒にいたら全部取られちゃうって」
「アー……確かに?」
「あの人白馬に乗って登場したりしないよね」
「え!? ははっ、ないない。知ってるだろ、ゼロの性格」
 打ち解けた笑顔を見せる諸伏に、先ほどの拗ねたような感情は残っていなかった。手を縦にしてナイナイ、と振る仕草を、私も真似して見せる。
「高槻さんも、やっぱりゼロは格好いいと思う?」
「そりゃ、顔は。芸能人みたいだよね」
 確かに、諸伏は頷いて笑う。嫉妬というわけではなさそうで、純粋に降谷を格好いいと思っているのだろう。私は何気なく、「仲良いなあ」と呟いた。諸伏はそれを聞くと、ニッと口の端を引っ張る。

「ああ、自慢の幼馴染だから」

 ――幼馴染、かあ。
 少し、うらやましい。そういう関係の人間が、俺にも私にもいなかったから。
 俺のときは、家庭環境は最悪で、感情的な親だったから、小学生にもなると「あの子とは遊ばない方が良い」と噂が出回っていた。寄ってくるのは、同じような家庭環境の奴らばかりで、悪いことばかり覚えた。
 私のときは、子どもの中に馴染めなかった。べつにいじめられたワケでもないが、二十九にもなって童心にかえるのは難しい。当たり障りない友達を作って、当たり障りなく過ごしていた。
 物思いに更けていたせいで、ぼうっとして見えたのだろう。諸伏は気遣うように首を傾げた。
「あ、ううん。そういうの、良いなーって思っただけ」
 嘘ではない。ぱっと笑顔を浮かべると、諸伏はほっと息をついた。
 

「ヒロ――?」


 その時、丁度降谷が女子寮のほうから戻ってくるのとかち合う。降谷は驚いたように、諸伏のほうへ駆け寄った。「来なくても良かったのに」と降谷が言うと、諸伏はくいっと親指で男子寮のほうを指す。
「いや、見つかったからさ」
「なんだ、考えすぎだったか……」
「みたいだな。戻ろうぜ」
 まるで迷子の猫の話題でもしているようだと感じる。降谷は諸伏にうなずいてから、こちらを流し見る。大きく垂れたグレーの瞳は、それこそ幼馴染である諸伏とは対照的だ。くいっと吊り上がった眉が歪んだ。――何でいるんだ、コイツ。とでも言いたげだった。
「何でいるんだ、コイツ」
 うわ、そのまま言い切った。総代の名が泣くぞ――。私は僅かに表情を固まらせて笑う。
「萩原と一緒にいたんだ。ゼロを探すついでに寮まで送ろうと――そういえば、どうして一緒にいたんだ」
「今かよ、ソレ」
「口が悪い女だな」
 駄目だ、全員喋っていることの方向性がバラバラすぎて、眉間を押さえる。降谷にいたっては、至極冷たい態度でこちらを見遣ってはハァと溜息をついている。

「ヒロが駄目なら、萩か」

 ボソリ、と呟いた言葉に私は顔を引き攣らせた。むかついたので、そのまま高い位置にある――本当に高いな――臀部に脛を打ち込んでやる。降谷は術科の時、伊達と並びに褒められていた男なので、通じるかは微妙なラインだった。が、どうやら今蹴られるとは思っていなかったのだろう。されるままに、乾いた音が彼のズボンから響いた。
「なっ、にを」
 前によろけて、蹴られた場所を押さえる降谷に、私はチっと軽く舌を打つ。

「人を無類の男好きみたいに言うからだろ。そういうの、偏見。キミと同じ。分かる?」

 とん、立てた人差し指を彼の胸元に置いた。眉間に皺を寄せていないと、さらに幼く見える顔つきが、驚いたようにこちらを見つめる。

「女が遊び半分にやってる〜みたいのが腹立つのは分かるけどさ」
「……いや、言いすぎた。その通りだ」

 悪かった――ずいぶんと素直に口にする、その姿が松田と重なった。
 彼の気持ちも分からなくはない。降谷の能力とこのルックスだ、今までさぞ色々な人に好奇心と好意を向けられてきたのだろう。
 諸伏も、降谷の隣にいるから無個性に見えはするが、涼やかな顔と人当りの良さは際立っているし、言い寄る人が多くても頷ける。そういう偏見に偏ってしまっても、仕方のない環境だ。
 まあ、こんな風にすぐ謝罪の言葉がでるような、真面目な男だ。正義感から親友を守ろうと思ったんじゃあ、ないだろうか。

「良い話じゃん……」
「勝手にまとめるな」

 ふう、と呆れたような溜息が降谷の口から零れる。
 その形の良い、引き締まった臀部をトントン、と軽く叩くと、彼は肩の力を抜いた。
「君が術科で褒められてた意味が分かったよ」
「……ゴメン。そんなに痛かった?」
「街のゴロツキには負けないだろうな。向いてるよ、警察」
 はは、と皺なく笑った幼い顔。確信はなかったが、少し認められたような気がして嬉しかった。彼のまっすぐ伸びた背筋と、ハッキリとした宣誓は、今でもよく覚えていたから。
そして『向いているよ、警察』という、ただそれだけの言葉に、血がぶわわっと顔や耳に昇っていく。

「む、向いてんのかな……ほんと? それ」
「なんだよ、急に……気持ち悪いぞ」

 もじもじと聞き返すと、降谷の頬がひくっと引き攣る。言われたことがなかった。当たり前かもしれない。前世は然ることながら、私として生きる人生のなかでも、荒波を立てず、なあなあに過ごしていたから。進路調査にそう書いた時だって、ずいぶんと驚いて「茶化すな」「遊ぶ場所じゃないぞ」と担任に諭された覚えがある。
「ねえ、もっかい言って」
「思った時しか言わない」
 プリンセスのように睫毛を瞬かせてみたが、どうやら降谷にはスルー要素だったらしい。食い下がる私を、諸伏が苦笑いしながらまあまあ、と宥めてくれた。

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Shhh...