01
人は死んだあと、どこへ向かうのか――。というのは、人間が生きる限り最大の関心であり、謎ではないだろうか。
それが分からないから、宗教が生まれる。伝説やおとぎ話、言い伝え。そういったものが、人間の想像力を膨らませてきたのだろう。いわゆる、ファンタジーの世界だ。誰にだって幼いころ、そういうものを信じる時代があったはずだ。サンタがいると信じたり、アニメのキャラクターになりきって遊んだり――おばけが恐ろしいと、泣いたり。
そう思えば、私はずいぶんと現実的な子どもだ。
一度だってそういった類のものを信じたことはない。私は自分の目で見たものしか信じるつもりはない。だって、私には見えているのだ。死んだあと、人がどうなるかという結末が。
「ほら、百花。おばあちゃんにさよならしてあげて」
生まれた頃から、見えてはいた。
しかし、私がそれを自覚したのは四歳の時。私を可愛がっていた祖母が死んだ時だった。私は初めて、人の死体≠ニいうものに直面する。そして、葬儀の間ずっと隣にいた祖母と交互に見比べた。
まだ幼かったから。私は純粋に疑問だった。「どうしておばあちゃんが二人いるんだろう」――。本当にそう思っていたのだ。でも皆が順番に焼香を上げる姿を見て、私も棺桶の中にいる、傍らにいる祖母よりいくらか顔色の白い亡骸に手を振った。
隣にいた祖母が、ふっと姿を消したのはその時だった。「ありがとねえ」と、私に聞こえる声で笑って、彼女は消えた。亡骸だけを残して、消えた。
子どもとはいえ、それが可笑しいことは分かっていた。だって、人は突然消えたりしない。ちなみに言えば、分裂もしない。
一旦自覚してしまえば、そこは地獄絵図だった。人類の歴史は長い。そりゃあ、人もたくさん死んでいたことだろう。死体ではないので、グロテスクなものじゃあなかったが、私はようやく――四年という歳月を経て気づくのだ。
家の中をウロウロとしている着物の男も、公園でぼーっとたそがれたワンピースの少女も、幼稚園にいるガチャガチャと甲冑を被った厳つい青年も、道行く人を寂しそうに見守る若い女も。
みんな、この世のものではなかった。
そして、彼らは皆、寂しそうに誰かを探している。どうやら、幽霊同士は互いの姿が見えていないようで、目の前にいるにも関わらず現実の人間にばかり話しかける姿をよく見かけた。
家族も、友達も、先生も、誰もそんなことは言わなかった。
そのうち、世に言う『オカルト番組』というものをテレビで見て――私の見ている世界が可笑しいことを初めて知る。幸い、祖母のおかげで早くに気づけたので、私の幽霊たちとの会話は親から見れば『子どもによくあるごっこ遊びや独り言』の部類だったようだ。
それでも、私は彼らの言葉を完全に無視はできなかった。だって、寂しいじゃないか。自分に気づいてくれない、たった一人の世界。せめて私だけでも、こっそりとその言葉を拾ってあげられればと思った。
――だって、彼らは決して、テレビ番組で映り込むような恐ろしい姿をしていない。
幼い私が気づかなかったほど、人と同じような姿かたちをしているし(――時代はバラバラだけど)、人と同じように会話をする。笑うし、泣くし、他の人に見えないだけで、私には同じ人間だったのだ。
『はいはい、分かってんよ。そっちも気を付けて』
――まただ。私が友達とショピングモールに来ていた時のことだった。ドラマに出てくる警察のような服装の男が、誰かと携帯電話で通話をしていた。あの携帯、どこに繋がっているんだろうか。今は友人と一緒だったので、なるべく視線を合わせないよう真っすぐ歩きながら、それは少し気にかかった。
「あ、ねえ〜! これ可愛いよ」
「本当だ。ね、おそろいでつける?」
「でも百花が作ってくれたキーホルダー、可愛いしなあ」
友人たちと共に雑貨屋で買ったキーホルダーを写真で撮って、早速リュックサックにつける。熊のモチーフの、可愛らしいものだった。その隣に、私が手作りしたレジンのイニシャルアクセサリーがちらりと揺れているのが誇らしい。
皆で買ったシェイクを飲みながらショッピングモールを出ると、ドアの向こうには先ほどの男が立っていた。特徴のある服を着ていたから、印象に残っていた。
『いーや、気にしなさんな。お前はよくやったよ』
煙草をふかした、背の高い男だ。
やっぱり、誰かと電話をしているようだった。向こうの人も幽霊なのだろうか。私はてっきり、彼らは会話ができないと思っていたけれど――携帯電話ならできるとか。自動ドアの先はなんだか人でざわついていて、彼の話し相手の声が上手く聞き取れなかった。
――その時は、純粋に好奇心が勝っていた。
だって、この体質は生まれつきだったし、自分の体質について知りたいと思うのは当たり前だ。一つ言うが、私は今の生活が気に入っていた。テレビに映る、霊媒師だとか、そういう風に特殊扱いされたくはなかった。だから、完全に私のミスなのだ。
その男に気を取られすぎて、私は前にある規制線に気づかなかった。友人が止まったことに、気づかなかった。
だから、べちゃ、という水が零れたような音に気付くのにも、ワンテンポ遅れた。
「あーっ!!」
女子特有の甲高い叫びが、周囲に響く。一緒にいた友人たちもこちらを振り返った。目の前に立っていたグループの中の一人に、私は思い切りシェイクを掛けてしまったのだ。
「信じられない、これ新しく買ったばっかなのに!」
「ひど〜。大丈夫?」
「うわ、ていうかこれワザとでしょ。謝らないしさ」
私はそれに気づくのが遅れたせいで、そう言われてようやく「ごめん」と言葉を零す。それから何度か謝ったけれど、気の強い彼女たちは怒るばかりで此方の話など聞いてくれなかった。――しまった、最悪だ。
私はどうしたら良いか分からなくて、何度も「弁償するから」「ごめんね」と、ただそれだけを繰り返すしかなかった。シェイクを零された子は私がいるグループの中でもよく目立つ女の子で、現場を目撃していない友人たちが彼女ばかり擁護するのは最早必然だった。
「良いよ。もう、行こ」
彼女は年齢の割に大人っぽく巻かれたロングヘアをふわっと靡かせてから、踵を返した。友人たちも皆、私のことを軽蔑したように見下げていく。
私は、涙が止まらなかった。結局は、これが現実なのだ。どれだけ幽霊が見えていても、彼らの話が聞けても、現実はどうにもならない。明日からどうしよう、どうやって学校に行こう。家に帰ったら、お母さんになんて言おう。涙を何度も拭うけれど、それでも止めどなく涙は零れた。
あとから思えば、そんなのただの八つ当たりだったと思う。
けれど、その時私はひたすら自分の体質が恨めしく思えた。こんなもの見えなくなれば良いのに、と泣きながら思った。
よく考えれば、彼らは何も悪くない。
でも、今の悲しみと怒りをぶつけるのは、彼らしかいなかった。ぐずぐずと鼻を啜って帰る道すがら――、大きな爆発音のようなものを、背後から聞いた。人の喧騒。誰かの叫び声。
私は見ないフリをした。
あの日からずっと、その爆発の音に目を背けている。普通の女の子になりたい。その一心で、泣きながら電車に乗った。
最初から、見えてはいけなかったのだから。だったら、見なくても、良いのだから。
不幸か幸いか、その日、ショッピングモールでは爆発騒ぎがあったとニュース速報で流れていた。両親は私が、その現場を見て泣いたのだと勘違いしたらしい。「大丈夫?」「学校休もうか」という、彼らの声に、私はただただ甘えていた。
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