03


 私は、声を掛けてきた態度の不遜な男と、自室のテーブルを挟んで向かい合った。彼は先ほどの事実を確かめるように、私の手や肩や頭を、突いたりそうっと触れている。まるで実験動物のような手つきなので、私はそれを拒むように、ぷるぷるっと身震いをした。

『驚いた』

 ぽつりと、彼は独りごちる。その視線はこちらではなくて、彼自身の指先を見つめている。
『マジで触れんのか……』
「あの〜……」
『声が聞こえるとは思ってついたきたが、そうか……』
 この男、私をまるきり無視してただ一人納得しているものだから、頬杖をついて帰り道に買ってもらった吸う形のアイスを開封した。少し時間が経って柔らかくなった中身は、吸い出すのには丁度良い硬さだ。云々と呟く男の幽霊を傍目に、ちゅうちゅうとバニラアイスを吸い出していたら、その長い指先が私の頬を軽くデコピンした。

「いだっ」
『人が話してる時に食ってんな』
「えぇ、だって私の話聞いてなかったじゃん」
『……アイスは触れねえんだな』

 少し拗ねている私の手元を、試すように男は触れていた。幽霊の感触は皆生きている人間よりもひんやりとしていて、擽ったいけれど、彼の指先は他の幽霊と比べて一層冷たく固く感じた。ちょうど、このアイスの食感と被る。

 男は改めて私を見つめると、訝し気にその眉を顰めた。癖毛の前髪は厚く、その下にある眉の表情は読みづらい。いつまでも考え込むような仕草をしているので、私が再びアイスを食べ始めて数分、ようやくのこと男は一言尋ねた。それは絞り出したような、たった一言だ。

『なあ――俺は、何だ?』

 私はその問いかけに、少し押し黙った。
 はたして、そのまま答えることが正解なのだろうか。彼らは、自分たちの姿が見えない。私には大勢いる幽霊のなかの一人だが、彼らにとっては大勢の人間たちの中で、自分だけが異質に浮かんでいる存在なのだ。
『やっぱり、死んでんのか』
 どこか確信めいた鋭い目つきで、そう言われて、私は小さく自信なさげに頷いた。

『お前はなんで俺が見える、三年間――死んでから、他の奴は俺のことを見えていなかったのに』
「……体質だよ。三年なら短い方、中には何百年とそのままの人もいるから」
『俺のほかにもいるのか?』
「いっぱいいる。でも、見えてる人に会ったことはないけど」

 男の好奇心が底をつきるまで、私の知る幽霊について話をした。
 ――私が幽霊について知っていること。
 何故か幽霊同士は声が聞こえず、姿も見えない。基本的に物に触れることはできない。動ける範囲には個体差がある。たいていの幽霊は死ぬ前の姿のまま彷徨っている。
 男はようやく聞くことが尽きたかと思えば、ふと疑問に思ったように一つ質問を付け足した。私、別にオカルトの専門家ではないのだけど。

『でも、今まで死んだやつが全員幽霊になってたら、ヤバいだろ。今もこの部屋に他の幽霊がウジャウジャいるっていうのか』
「……そこは、私も曖昧なんだけど。成仏――っていうのかな?」
『成仏……』

 それが私に答えられる全てだった。
 明確な答えではないかもしれないが、私にもハッキリはしていない。しかし、何かを切っ掛けに彼らが姿を消す場面を目撃したことはあった。たとえば、私の祖母のように。

 男の質問攻めが終わり一拍してから、今度はこちらから切り出した。男はいまだに今までの情報を租借するように俯いていたが、私にも私の言い分がある。「あの」と切り出せば、男はその鋭い光をこちらに向けた。ドキリとした。

「あ、あの……私、幽霊とはもう関りを持たないって決めたんで。だから、今後はできれば……関わらないで……ほしいというか……」

 その光がこちらを射抜くと、語尾が弱弱しくなってしまう。それほどに、強い目つきだった。――苦手だ。瞳の中だけで意思を持つような光は、彼の自我の強さを思わせた。

『まあ、気持ちは分かるぜ。人の数だけ幽霊がいるなら、全員を相手にはできねえだろうな』

 男の言葉に拍子抜けした。
 私はつい「え」と声を漏らして、手に持っていたアイスを落としかける。だって、この世の唯一の会話相手だ。私だったら、この機会を逃すことはないだろう。なんだ、こんな横暴そうに見えて、案外良い奴なのかもしれない。
 私は顔を輝かせて「ありがとう」と礼を述べようとした――。

『――が、今回ばっかりは食い下がらせろ。俺にはお前に接触した理由がある』

 ぐしゃっとアイスを握った。
 今頭を下げようとした私の気持ちの十分の一でも返してほしい。私は子どもっぽくついっと顔を逸らした。「無理です」、言い捨てると、男は機嫌悪そうに「あ?」と聞き返した。
 
「どっ、どこのヤンキー……。兎に角、無理なんですってば」
『はっ、言ってろ。お前が断ったら、一日中耳元で怨み事唱えてやる。他の奴には見えないんだろ?』
「拒否権ないのやめてください。さっきは分かるって言ってくれたクセに!」

 男のほうを軽い気持ちで睨むと、彼は先ほどと同じように、私の目の前に顔を突き付けた。そして、ジっとこちらを見据える。掠れたような、ハスキーな声が『知ってる』と呟いた。


『でも、お前しかいない』


 台詞だけ聞けば少女漫画のワンシーンのようだった。その細めの髪の毛が、私の鼻先をこしょぐるのが、妙に色っぽく思えてしまう。その顔つきに絆されそうになったのは秘密だ。

『お前を見つけたのはあの学校の中だ。あのクソみてーなみみっちい爆弾……俺の声に、お前は反応しただろ』
「爆弾……?」

 私は記憶の中を辿り、そして聞き覚えのある彼の声を思い出す。確かに、爆発する前に誰かが叫んだ。よく考えれば、爆発音もしていないのに声がするのは可笑しい。あの声があったから、瓦礫を避けれたわけではあるが――。彼は命の恩人でもあるということか。

『あれは、試作品だ』
「試作……って、爆弾が?」
『掴まったのは犯人グループの中の下っ端。遠隔用のモンも何も持っていなかった。ちいせえ爆弾だ、遠隔操作が効くかどうかのお遊びだよ』

 はあ、と小さく頷く。そんな展開が、本当にこの世に存在するのだろうか。目の前に一番ファンタジーなものを見据えているものの、私の頭はどこか冷め切っていた。
 
 ――否、だからこそだ。昔からそういった作り話の類を信じたことはなかった。だって、全部嘘だ。テレビも小説も、実体験と書かれた心霊レポートも嘘だった。いつしかそういったものを全てフィクションとしか受け止めなくなっていた。

 大体、あの不審者はたった一人しかいなかった。他の誰かが学校内にいたのならともかく、さすがに警察だって校内の捜索くらいしているんじゃないだろうか。

『……もしかしたら、次はもっとデッカいもんが爆発するかもしれねえ。ビルや病院、学校、駅――。愉快犯や知能犯ほど、人の集まる場所を選びやすい』
「分かった。じゃあそうやって警察の人に――」
『馬鹿、あの爆弾を見たのは俺だけだ。爆弾の種類や威力くらいは分かるだろうが……。犯人が捕まったのに、んなことで捜査は動かねえよ。大体、お前なんて説明する気だ』

 確かに、説明はできない。たまたま会った人がそう言っていて――だなんて、どう考えても怪しいし、まともには取り合ってくれなそうだ。うーん、と納得しかけて――そこで思いとどまった。

 待て、待て待て。百歩譲って、この男の言う通りだったとしよう。大きな爆弾テロとやらが都内で起きるかもしれないという可能性が、あったとしよう。それ≠ェ、彼が私に接触した理由――?
 嫌な予感が止まらない。私は小さく背筋を震わせて、視線を彼と合わせた。そして、錆びついたブリキ人形のように首を横に振る。

「む、無理! 絶対、絶対無理だって!!」
『悪いな、こればっかは見ないフリができねえんだわ。……っと、どこいったか』
「お願い、一日でも二日でも怨念唱えて良いから……絶対やらないからね……」

 ぶつぶつと呟く私に対して、男はごそごそと黒いスーツから取り出したものを、こちらに突き付けた。写真の中でも不遜そうな顔つきが、今は目の前でニヤリと薄く笑っている。


『警視庁捜査一課の松田陣平だ。確か名前は……高槻百花、とか言ったな。捜査協力、してもらうぜ』


 こんなことなら、やっぱり幽霊なんてどんなことがあっても無視するべきだったのだ。私はこの悪夢に、思わず悲鳴をあげたくなった。
 

prev The hero! next

Shhh...