04


 分かっている。
 透けた手では、体では、この世に干渉することに限界があることくらい、たぶんこの世の誰よりも私がよく知っている。でも、無理なものは無理だ。爆弾だなんて、犯罪者だなんて、私がそれらに何をできると言うのだろうか。私にできることがあるとすれば、精々出会ったその時に警察に通報することくらいだ。

 死にたくないし、怪我もしたくない。犯罪者なんかできればすれ違うことすらしたくない。――何より、周囲から注目されたくない。「何あの子」と、興味津々な目に晒されたり、「ちょっと変わってる」だなんて自分を安全地帯に置くための道具にされたくない。

 だから、きっぱり断ったというのに、松田という幽霊男は、いつまでも私に付き纏った。彼に出会って、今日で三日目になる。最初の一日こそ口うるさくああだこうだと突っかかられたが、今は私の隣をふよふよと漂っているだけだ。
 ――なら、早くどっか行けばいいのに。
 口に出したらまた歯を剥き出しにして説教される予感しかしないので、心の中で唱えておく。私は確かに幽霊を見ることができるし、触れることもできるが、彼らを祓うような特殊な力は持ち合わせていない。松田がそこにいると決めたなら、私にはこれ以上どうすることもできなかった。

 まあ、浮いているだけなら。
 学校にも部屋の中にも、風呂とトイレ以外は傍をついてくる。私はあれっきり口を聞こうともしていないのに、根性があることだ。一日目のように、ぶにぶにと無遠慮に触ってこないだけマシである。

 
 ――三日目の夜。
 明日は、同級生の誕生日だった。前々から友達と一緒に手造りしていたアルバムと、私からは手作りの刺繍のイヤリングを贈る予定だ。重たい黒髪の彼女に似合うだろうと、少し前から仕上げていた刺繍の縁取りをした白い花に、ゴールドの金具を通していく。
 松田は、退屈そうに頬杖をつけながら、その様子をジっと見つめていた。――それが少し照れくさくて、私は頬を軽く掻く。無言でいるのも気まずく、「なに」とちょっぴり無愛想に声を掛けてみた。

 松田にはバレているし、どうせ彼は暫く諦めるつもりもないようなので。松田はやや意外そうにこちらを見上げてから、フ、とその唇を横に引っ張るように笑った。

『いや、器用なモンだと思っただけ』
「……松田さん、絆そうとしてるでしょ」
『なんでそんな捻くれてんだよ。ま、これで機嫌とれたら御の字さ』

 ペンチの先で金具を留めて、厚紙に飾り付けていく。感心したように、好奇心を隠さない少年のような瞳。先日受けた意思を宿すような光が、こちらにまで伝わるようにキラキラと煌めいていた。私はその表情を見て、つい彼の表情に釣られるように笑ってしまった。

『これ、全部自分でやったの』

 これ、と言いながら松田はイヤリングの先をちょいと軽く指で撫でる仕草をした。私が静かに頷くと、彼は『へえ』だなんて一言漏らして、再び私の指先を見つめる。友達のように「可愛い」「上手」という言葉ではなかったけれど、その一言が、彼にとっての誉め言葉のような気がして。私は軽く下唇を舐めてから、用意したオーガンジーの巾着にイヤリングを詰めた。





「えー、良いの! ありがとう!」

 ぱっ、と黒目がちな小動物のような目つきが輝いた。
 私はその笑顔に、むずむずとする気持ちを感じながら、照れ笑いを浮かべる。良かった。「ありがとう」と喜んでほしくて、彼女の好きな雰囲気を何度も繰り返し刺繍した――その甲斐があったというものだ。

「可愛い〜! やっぱり百花ちゃんは器用だよね」
「ほんと、絶対売り物になるって」
「将来お店とか出したりしないの」

 友人にチヤホヤとおだてられて、私は「そこまでじゃないよ」と手を振った。本当は、少しだけ興味があったけれど――。大きな夢を語るのは、まるでサンタクロースの真偽を語るような恥ずかしさがある。私の未来が、非現実的なものみたいだ。でも、みんなきっとそんなものだ。

 友人たちと会話を弾ませていたら、ふと入口のほうから「高槻さん」と呼ばれた。それほど仲が良いわけではないクラスメイトで、私がそちらを振り向くと、大人しそうな少女が軽く扉の方を指さした。

『あいつ……』

 松田が小さく呟く。視線の先には、すらりとした細い足を惜しげなく晒した少女が、軽く廊下の壁に凭れていた。遠くからでも分かる、日本人らしくないやや窪んだアイホールから、煌びやかなグリーンアイが覗いている。その瞳はパっとこちらを捉えると、明るく輝いて、たたっと此方に駆け寄った。

「良かった〜! このクラスだったのかあ、ずっと同級生を探してたから見つからなかったよ」

 にぱ、と明るく笑うその口の中に、鋭い八重歯がチラリと見える。
 私はその勢いにやや圧倒されながら、つい「はい」と敬語になって頷いてしまった。松田が横で笑ったのが聞こえた。後で覚えてろ。
 近くで見ると、一層目立つ外見をしている。ハーフチックなのもあるが、くっきりとした華やかな顔立ちはひどく整っていて、細くしなやかなスタイルも合わせるとまるで海外モデルのようだ。一瞬、惚れ惚れとその姿を見つめてしまった。

 ――昔から、アイドルとか芸能人とかには弱い方だ。世間的に言うミーハーな人間なのは自覚もしているので、つい、こういう顔立ちの整った人を見るとドキドキとしてしまう。
 私が呆然としているのに、彼女は小さく首を傾げた。
 その様子を見て、ようやくハっとして、彼女に「どうかしたの」と尋ねかけた。

「いいや、お礼がまだだったなって思ってさ……。ボクは真純、世良真純だよ。先生たちにボクのこと伝えてくれたのはキミだって聞いてね」

 その後話も聞かなかったから、上級生だなんて思わなかったんだ――世良は、ウェーブのかかった髪の毛を軽く掻いて笑った。「ボク」と、つい、つい呟き返してしまった。しかし、私の呟きを聞いても、世良は特に気に留める様子もなく私の手をガシリと両手で握る。女の子の割には指が長く、制服でなければ性別もハッキリと判別できないかもしれない。


「ありがとう、百花くん、だっけ」


 握られたきゅっと指先が丸まって、世良は綺麗に笑う。
 何もかも中性的な子ではあったけど、私の手の甲を掠めた爪先の形が、唯一彼女を女だと、ハッキリと断言できるパーツだった。
「うわ、爪綺麗……」
 自然なラウンド型の曲線が、彼女の指先を彩っている。少しばかり桃色がかっているのも、彼女に混ざっている血のおかげだろうか。見た限りトップコートも何も塗られていないのに、綺麗な手だ。
 その呟きが届いたのか、その頬がポっと赤く染まった。笑うと大きく見えた口元は照れたように引き結ばれていた。大人っぽい容姿をしているけれど、話していると年相応な雰囲気があった。不思議な子だ。


 ――お礼、言われるようなことしてないんだけどなあ。
 正直、私がしたのはエンエンと泣きながら教師に彼女のことを伝えただけで、噂によると世良はその身一つで不審者を伸してしまったらしい。私、別にいらなかったのでは。
 その引っ掛かりが、素直に「どういたしまして」と返せなかった。少し口ごもっていると、世良は興味を移した子どものように、私の友達の方に視線を向けた。

「うわぁ〜……あの子がつけてるイヤリング、すごく可愛い!」
「あ、それ私が作ったやつで……」
「ホント!? すごいじゃないか、天才だよ!」

 華やいだ笑みで言われると、嬉しかった。ぶんぶんと握った手を振られて、私は苦笑いする。
「ボク、女の子らしくないってよく言われるからさ……羨ましいな」
「……作って、あげようか」
 じっと友達の耳元を見つめている世良を見ていたら、なんだか可愛く思えてきた。その反応は予想しやすく、私の言葉に予想通り華を咲かせた笑顔に、私はどこか心が満ちていくのを感じる。世良は何度も「良いの」「やった!」と素直に喜んだ。彼女の私服も分からないので、次の休みに一緒に買い物に行く約束をして、世良は自分の教室へと戻っていった。


「百花、あの子と知り合い?」


 世良が教室へ戻ると、ふと友達がこちらに駆け寄ってきた。私は首を横に振り、「前ちょっとだけ」と告げた。まだ贈ったばかりのイヤリングを揺らしながら、彼女は少し顔を歪めた。見覚えのある表情だった。

「ふーん。てか上級生にタメってやばくない?」
「それ思った。百花、大丈夫だった?」

 私は、彼女たちの言葉に表情を固まらせた。
 彼女たちは、口々に言う。「この歳でボクっ娘て」「ホテル暮らしなんだって、なんかエロいよね」「親いないって聞いたけど」「やー、あれは中二病なだけでしょ」――。その言葉たちは、私の頭を揺らした。

 先ほどの、ニパっとした笑顔が浮かぶ。
 そうだろうか。世良は、そんな風に軽蔑されるような人間なのだろうか。ドクドクと、いやな鼓動が胸を震わす。

「そ、そうだよねぇ……」

 と、私は笑った。それにこたえるように、彼女たちも「ねー」と声をあげて笑う。同調しないと。皆の行動から外れないように、それに染まりきらないと。今度は私がそちら側≠ノなってしまう。

 友人の耳元で揺れるイヤリングが、呪縛のように見えた。作っている時は、あんなに心を躍らせて手を動かしていたのに。今は「お前も同じだろ」という、仲間の証にしか見えない。

 
 情けなく眉を下げて笑う私の本性を、きっと、松田だけが見ていた。ちらりと一瞥した彼の表情は、ひどく冷め切ったような顔をしていたと思う。


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Shhh...