05


 松田は、特に何も触れることはなかった。
 教師や親がよく、叱られるうちが花だなんてことを言う。その意味を理解していなかったが、今なら少し分かる気がする。ただ、彼に呆れられたと思った。その事実が、私の心を重くする。それなら、大人として思い切り説教をしてくれたほうが、気が楽だった。

 それでも、私には仲間の輪を外れる勇気はない。
 たかがそんなことかもしれない。けれど、私にとってはされどそんなことなのだ。中学三年生、大げさかもしれないが、生きた心地がしなかった。いつどこにいても、私の話をされているような気分がした。誰に話しかけても、心のうちでせせら笑っているのではないかと疑心ばかりが湧いた。
 
 私はフードのついたカジュアルなワンピースに袖を通す。今日は世良と約束をした日だった。――さすがに、約束をほっぽりだすのは可哀想だし。コテで髪を巻いてから、ポニーテイルに纏める。キャップを被った私の姿を見て、数日口を開かなかった松田がふと尋ねた。

『行くのかよ』
「……約束だし」
『ハァ――……、女ってのは面倒くさいな』

 私が悪いことは知っている。別に自分を正当化しているわけではなかった。
 けれど、松田のそのため息に、自分の図星≠ニいう心が、むかっと腹が立った。私は露骨に表情を歪めて、安物の香水をつけ、ぷいっと踵を返した。
 ――もう良い、あんな奴、一生彷徨ってれば良い。
 分かっている。内心では、私の行動が悪いことくらい。松田という警察官の行動が、どれだけ正義に基づいているかくらい。
 仲間外れに加担した私が悪い。松田が人を救うために協力してほしいという願いを拒む、私が悪い。

 これが単純に、正義と悪だけの問題だったら良かった。
 仲間外れは悪いこと。犯罪を見逃すのは悪いこと。そういう風なら良かった。しかし、人間は善悪の価値観だけで生きているわけじゃない。私だって、私の世界を――社会を守るために、日々を必死に生きているのだ。

 単純に、それをたった一言の「面倒くさい」で済ませたことがムカついた。
 なんだ、面倒くさいって。そんなこと、私が一番分かってるのに。たかだか出会って一週間の――ほぼ他人、しかも既に死んでいる男に言われなきゃいけないんだ。

 『おい』と、背後から声が掛かった。
 聞こえていたけれど聞こえないフリをして、私は勢いよく自室の扉を閉める。親が何かあったのと顔をだしたけれど、「風が吹いただけ」と言っておいた。




 待ち合わせの改札前に向かうと、彼女は既に看板に凭れるようにして立っていた。遠くから一目みただけで、やはり周囲とは一風変わった雰囲気を感じる。ダメージデニムに、大きなシルエットのメンズジャケットを肩掛けにしていた。こちらを見つけたグリーンアイが、きらりと一度煌めく。

 女子にしてはハスキーな声が、「百花くん」と、これもまた少し変わった呼び名で私を呼んだ。

「うわー、こういうお店入るの初めてだよ」

 連れていく流行りの店すべてに、世良は愛らしく猫のような目を瞬かせている。邪な気持ちは一切なく、純粋に、店にある服やアクセサリーを見ては笑うのだ。――良いなあと思った。その服やアクセサリーたちに、羨望が湧いた。
 あんな風に、純粋に「可愛い」「すごい」と――世間体抜きに言ってもらえたら、どんなに嬉しいことだろう。私が今からあげたものにも、あんなふうに両手放しに喜んでくれるだろうか。

 世良は、正面からでもハッキリとした顔立ちが綺麗だったけれど、横顔が一層綺麗だ。ハーフ独特の、高いけれどチョコン、とした鼻。くるんと上向きのまつげは、目じりのほうがやや長め。細い首と小さな顔を繋ぐ輪郭のラインも、くっきりと綺麗に浮き出ている。

 ――短い、ペンダントが良いかもしれない。
 顔つきが華やかだから、あまり派手ではないもの。健康的な肌に埋もれないゴールドのペンダント。華奢で小さなトップには、翡翠色の石にティアラがあしらわれているようなデザインのもの。チェーンは短いのが良い。チョーカーより少し長い程度のもの。そのほうが、その鎖骨がきっと綺麗だ。

 襟ぐりの開いた黒いTシャツをじっと見つめていたら、世良が不思議そうに私を見つめていた。
「このあたりって沢山可愛いお店があるんだな。ありがとう、楽しかった」
「そういえば、転校してきたんだっけ?」
「うん。ママの都合でね……」
 聞いてはいけないことだったかな、一瞬顔色を窺ったけど、世良は案外あっけらかんとしていてホっとした。入った喫茶店で、アイスティーを飲みながら、今度は世良のほうから尋ねてくる。

「髪の毛とかも、すごく器用にやってるんだな。キミがやったの?」
「あ、うん……。昔から、こういうの好きでさ」
「へぇ〜……。良いなあ、ママはあんまりそういうのしないから」

 化粧は上手だけどね。世良が自慢げに言う。
 ――やっぱり、噂はただの噂なのだと、改めて実感した。純粋で、少しだけ気障で、でも、彼女は良い子だ。私は少し罪悪感を感じながら、ストローを奥歯で噛んだ。

「あ、のさ……」

 私は彼女がああだこうだと言われることが、嫌に思えてきた。お節介かもしれない。けれど、こんなに美人で、性格だって素直な子だ。偏見に穿たれているのは、勿体ないというか、可哀想だ。

「世良ちゃん、折角可愛いんだし……ボクとかいうの、やめたら良いんじゃない? 女の子らしいの好きだったら、私雑誌とか貸すしさ」

 精いっぱいの愛想笑いを浮かべて、私は世良にそう告げた。言った後に、やっぱり言わなきゃ良かったかなあ、と少し心残りもあるけれど、同じくらい期待もあった。これで「そうだった」と、あの純粋な瞳が輝けばと思った。そうしたら、彼女とこれからも関係を続けていられる。

 世良は、からんとアイスティーの氷をストローでかき混ぜながら、きょとんとした表情を浮かべた。目を丸くして、口が小さく開く。グリーンアイが、きらりと喫茶店の灯りを受けて光った。


「……なんで?」


 世良はぽつんと呟いた。別に嘲る様子もない、心底不思議そうな風だった。

「確かに女の子っぽい服とかに憧れたりはするけど、ボクはボクが好きなんだ。もし気を遣わせちゃったならゴメンな」

 ボクはボクが好き――。そう言い切れる、彼女の心が羨ましかった。にっと歯を見せて、自信を持って笑える世良の姿が、眩くて目が眩む。
 恥ずかしかった。
 何が――とは明確に分からない。強いて言うなら、全部が。世良にそんなことを言った自分のことも、どこか自分のが優位な立場にいると無意識に感じていたことも、こんなに自信を持った姿を陰で貶していたことも。

「ごめん、私、ちょっと用事があって」

 ぐつぐつと煮える羞恥心をなんとかしたくて、私は千円札をテーブルに置き、ひたすらに早歩きで街を歩いた。ああ、感じ悪かったかも。もしこれで、週明けに嫌われていたらどうしよう。


 時間を掛けて巻いた前髪をがしがしと搔き乱す。
 嫌だ、自分が嫌いだ。松田や世良みたいな、真っすぐな人間を見ると急に嫌悪感に襲われる。分かってるよ、私だって。でも怖いんだよ、嫌われることも、群衆から外れることも。私には、どうして彼らが何の気もなくいられるのか、それのほうが分からない。


「――わっ」


 しまった。つい早歩きになりすぎていた所為で、足元が疎かだった。私は曲がり角でちょうど出くわした、その小さな影と、なかなか勢いよくぶつかってしまった。私も足早に歩いていたし、たぶん、その子も少し勇み足だった。私は少しよろけるだけで済んだものの、小さな影がどんっと突き飛ばされたのを見て、私は慌てた。

「ご、ごめんね。大丈夫?」

 小さく細い体を抱きかかえる。体つきこそ幼いが、色素が薄くくっきりとした顔立ちは、どこか大人っぽくも見える。たぶん小学校の高学年くらいだろうか。一目見て日本人ではないと分かったので、少し口ごもる。
 そのうちに、彼女の額からツウー、と赤いものが垂れていくのが見えた。
 ――え!? そんな強くぶつかった!?
 白い肌に、際立って見える血が瞼に差し掛かり、彼女もようやく指先で額を押さえた。子どもの額は大人よりも切れやすいと聞いたことがある。日本語が通じるかは分からなかったが、私はその小さな手を引いた。

「病院、行こう」

 分かりやすいように単語で区切って伝えると、彼女は焦ったように首を横に振る。
「えーっと、ママがいる?」
「……い、いない」
「良かった。日本語しゃべれるんだ……ほら、すぐそこ。大きな病院だからさ、ちょっとだけ手当してもらおう」
 ね、となるべく優しく微笑んで、私はその体を抱きかかえた。想像していたよりも、少し重たいかもしれない。「あの」「えっと」と口ごもる少女に、私は「大丈夫だからね」と笑いかけた。

 

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