心配しないで
もしかするとこの人は、幽霊なんじゃないだろうか。
ぼんやりそんな馬鹿なことを考えながら、このクソ暑い中でも汗ひとつかかない彼を見つめた。さらりと長い髪が何とも涼しげに風に靡くと、不意に彼の目が私を映す。
「そんなに見つめてどうしました?」
「……暑くないんですか?」
私がそう尋ねると、彼はにっこり綺麗な笑顔を浮かべた。ますます人間らしくないな、と失礼なことを思いながら、仮面のような笑顔を見つめる。
「流石に暑いですね。少し休憩していきます?」
「え……あぁ、暑いんですか? 汗のひとつもかかないからてっきり暑くないのかと」
「私もこう見えて人間なので、暑さは感じますよ。汗をかかないようにしているだけです」
「ふぅん……どうして?」
無垢な疑問を彼にぶつけるが、それまでの会話のテンポが不意に途切れてしまったので、どうしたのかと逸らしていた視線を再度彼に向ける。
彼は少し顔を赤くして、筋の通った綺麗な手で口もとを覆っていた。その表情があんまり人間らしくて面食らってしまう。
「……いえ、そんな、大した理由では……」
「聞かせてください、気になります」
お茶を濁そうとした彼に、すかさず食いついて回答を催促する。こんなふうに彼が狼狽えるのは珍しくて、ますますその理由が聞きたくなったのだ。彼は観念したように溜め息をついてから、私をちらりと見る。
「その、汗臭いとか、思われたくないので……」
「は……、え、それだけ……? ふふっ、え、それだけのためにそんな意味わかんない高等技術を……?」
あまりに彼がいじらしく思えて、つい笑ってしまった。本当にこの人は予想を遥かに超えてくる。私がくすくす笑っていると、不意に彼が強めに私の手を握ってきた。
「貴女に失望されたくないんです」
真剣な目につられて、笑いが引っ込んでしまう。でも彼の主張を咀嚼すると、やはりどこかちぐはぐだ。
「……今更、汗なんかで失望しませんよ。それより、少しカフェで休憩しましょう。汗って、体温調節の役割があるんですよ。ずっと我慢してたら熱中症で死んじゃいます」
握られた手を握り返して、近くのカフェを指さす。彼はどこか恥ずかしそうな顔で、そうですね、と小さく呟いた。それがなんだか子どもみたいに思えて、彼の頭を軽く撫でてやる。
「大丈夫、日々樹先輩のことはなんだって好きですよ」
「……初めてのデートくらい、格好をつけようと思っていたのですが……貴女の前では上手くいきませんね」
彼はそう言って、くしゃりと笑った。ぽたり、と白い肌に汗が一筋、流れる。あぁやっぱりこの人は幽霊なんかじゃない、と小さく笑ってその汗を指先で拭った。
貴方のものなら汗だろうがなんだろうが大概愛おしい、なんて思ってしまうのだけれど、きっとまだ上手く伝わってくれないのだろう。