「……日和くん、」

彼女の声が微かに震えている。ぼくはそれを無視して、彼女の服をはだけさせた。白い肌に指先を滑らせ、その温度を確かめるようにくちびるで触れる。彼女の手が弱々しくぼくの肩を押し返すから、指を絡めとってベッドに押さえつけた。

「いつかこうなることはわかってたよね?」

少しだけ、責めるようにそう言った。彼女はばつの悪いような顔をして、認めたくないと言いたげに頷く。彼女はぼくの婚約者で、ぼく達はお互いとっくに成人してしまった。

にも関わらず、ぼく達は手を繋いでキスをする以上のことをしてこなかった。彼女は、正真正銘処女だったから。そして、彼女はぼくをそういう目で見ていなかったから。

婚約者にそういう目で見られていないというのは、どうしたって気分が悪い。現にこうして身体に触れてみても、彼女は怯えたように固まって微かに震えているのだ。

「……そんなにぼくが嫌?」
「ちがうっ……違うの、ただ……怖くて、」
「ぼくだから怖いの? ……凪砂くんなら怖くないのかね?」

ぼくがわざとその名前を出すと、彼女は驚いたような顔をした。丸い瞳がぼくを映す。彼女の瞳に映るぼくはひどい顔をしていた。

「どうして凪砂くんが出てくるの、いま、関係ないのに」
「……ぼくたちは親に決められた婚約者だから、きみはぼくを好きになれないのかもしれないけど……ぼくはずっときみだけを見て、きみを傷付けたくなくて我慢していたのに、きみは凪砂くんとはあんなに楽しそうにお話するから……」

じわり、目頭が熱くなる。今日の昼間に見た二人は、まるで恋人のように仲睦まじく、彼女は今まで見たことがないような、幸せそうな笑顔を浮かべていた。ぼくにはそんな顔、見せてくれたことなんかないくせに。

もはや心が手に入らないというのなら、いっそ、いっそ身体だけでも……なんて、我ながら最低だと思うけれど。

「……日和くん、私のことちゃんと見て」

彼女の両手がぼくの頬を包んで、目を合わせさせる。彼女の瞳には先程までの恐怖や不安はなく、ただ真っ直ぐにぼくだけを映していた。

「私は初めて会った時から、日和くんのことが大好きだよ。……凪砂くんといたとき私が楽しそうにしてたのは、日和くんの話をしてたからじゃないかな。凪砂くんと話すのはほとんど、日和くんの話だから」
「え……」
「それと……日和くんと違って私は世間知らずだし、こういうことには慣れてないから……緊張するし、ちょっと怖いよ。でも……日和くんのこと信頼してるし愛してるから、頑張りたい……よ」

彼女が少し恥ずかしそうにそう言うのを、ぼくはただ呆然と聞いていた。

それまで胸を支配していた黒いもやも今はすっかりどこかへ消え失せて、残ったのはすっかり勘違いをしていたことへの恥ずかしさと彼女への愛おしさだけだった。

「……ぼくのこと、すき?」
「うん。愛してるよ」
「……ごめんなさい、ぼく、きみに酷いこと言ったね」

ぎゅう、と彼女を強く抱き締める。彼女は優しくぼくを抱き返して、頭を撫でてくれた。

「いいよ。ちゃんと伝わったなら、それで」
「ぼく……ぼくも、きみを誰より愛してるね。だから、きみのこと全部ぼくのものにしてもいい?」

身体を離して視線を合わせる。彼女の瞳には不安も恐怖ももうなくて、ただありのままのぼくだけが映っていた。彼女は目を細めて穏やかに微笑み、ぼくの頬をそっと撫でる。

「うん、いいよ」

優しく撫でてくれた彼女の手は、どこまでも優しくて陽だまりのように温かかった。