陳腐な話でも
「……わからん」
とうとう、北斗くんは絞り出すようにそう言った。ちらりと彼の方を見れば、オスカー・ワイルドの『サロメ』という戯曲を読んでいるらしかった。
「えっと……サロメ、読んでるの?」
「知ってるのか? 部長に勧められた戯曲なんだ」
「うん、それ好き。日々樹先輩って趣味良いよね」
「好き……? 俺にはいまいちよくわからなかった。どうしてこの、サロメという女は想い人の首を切らせたんだ?」
難しそうな、納得しがたいと言いたげな顔を見て、ついくすりと笑ってしまった。
この戯曲の主人公・サロメは、義父となった王に性的な視線を向けられ困っていた。そんなとき、義父が捕らえている預言者ヨカナーンに出会い、恋に落ちる。しかしヨカナーンはサロメのことをなじり、拒絶するだけだった。
そして後日、王の前で踊りを披露するよう言われたサロメは、上手く踊れた褒美として銀の大皿に乗せたヨカナーンの首を強請る。用意されたヨカナーンの首を受け取ると、サロメはそのくちびるにキスをした。……というふうなお話だ。
「北斗くんには、確かに受け入れ難い感じのお話かもね」
「そうだな。相手のことが好きなら、何度断られても諦めずに想いを伝えるべきだ。もし断られたことがあまりにショックだったとしても、殺すのはやり過ぎだろう」
真っ当すぎる考えに苦笑すると、北斗くんはずいと身を乗り出し私の顔を覗き込んだ。綺麗な顔がすぐ近くで真剣な表情を保っている。
「俺は何か間違っているのか? もしわかるなら教えてくれ」
そのきめ細かな肌をじいっと見ると、こんなに綺麗なのにちゃんと生きているのだなあと何となく不思議な気持ちになった。彼は確かに生きているけれど、でも、そうとは思えないほど薄汚い感情に無頓着だ。
柔らかな頬に手を当て、すぐそばにあった薄いくちびるにキスをする。彼は驚くことすら忘れて、ただきょとんとしていた。
「……殺しちゃいたいくらい好き、だったのかもね。首を切り落としてでも、そのくちびるに触れたかったのかも」
私がそう言って笑ってみせると、彼は暫くパソコンがフリーズしたみたいに固まった。そして漸く、無表情なままの顔が赤くなってくる。
「今のは、俺のことを殺したいということか」
「う〜ん! そっちじゃないかな」
「どっちなんだ。言ってくれないとわからない」
赤い顔のまま、北斗くんは少し不満げな表情をする。子どもみたいで可愛いとは思いつつ、どうにも鈍い子だなあと思っていると、彼の方からまた口を開いた。
「…………もしかしてお前は俺が好きなのか、と聞いて否定されたら、流石に立ち直れない」
「うん、うん。じゃあ、そんな心配はしなくていいよ、が私の返事かな」
「……お前は一々婉曲表現が過ぎるんじゃないのか。……部長に似ている。直した方がいい」
「北斗くんは王子様でしょ? 継母みたいにお小言言わないで」
もう、と私が少し拗ねてみせると、北斗くんは少し悔しそうな顔をする。そして私が何か言う前に、今度は彼の方から私にキスをしてくれた。何となくむず痒いような表情で、彼はじっと私の瞳を見つめる。
「俺ははっきり言うぞ、なまえ。好きだ。殺したいなどとは微塵も思えないが、それでも自分が死んでしまうかもしれないと思うくらいには、なまえが好きだ」
「……はい。うん。……うん、私も」
顔が熱くなるのを感じる。覚られたくなくて顔を逸らそうとするけれど、彼はそれに気付いたのかすかさず私の頬に手を当てた。
「照れてるんだな。俺にでもわかる」
「わざわざ言わないで……」
私が小さくそう呟けば、北斗くんは幸せそうに微笑んだ。何だか負けてしまったような気がして、私も溜め息交じりに笑う。
とはいえ、今は殺したてしまいたいなんてこれっぽっちも思えなかった。詩的でなくとも、劇的でなくとも、私は相手が北斗くんでさえあれば何だっていいのだろう。きっと。
とうとう、北斗くんは絞り出すようにそう言った。ちらりと彼の方を見れば、オスカー・ワイルドの『サロメ』という戯曲を読んでいるらしかった。
「えっと……サロメ、読んでるの?」
「知ってるのか? 部長に勧められた戯曲なんだ」
「うん、それ好き。日々樹先輩って趣味良いよね」
「好き……? 俺にはいまいちよくわからなかった。どうしてこの、サロメという女は想い人の首を切らせたんだ?」
難しそうな、納得しがたいと言いたげな顔を見て、ついくすりと笑ってしまった。
この戯曲の主人公・サロメは、義父となった王に性的な視線を向けられ困っていた。そんなとき、義父が捕らえている預言者ヨカナーンに出会い、恋に落ちる。しかしヨカナーンはサロメのことをなじり、拒絶するだけだった。
そして後日、王の前で踊りを披露するよう言われたサロメは、上手く踊れた褒美として銀の大皿に乗せたヨカナーンの首を強請る。用意されたヨカナーンの首を受け取ると、サロメはそのくちびるにキスをした。……というふうなお話だ。
「北斗くんには、確かに受け入れ難い感じのお話かもね」
「そうだな。相手のことが好きなら、何度断られても諦めずに想いを伝えるべきだ。もし断られたことがあまりにショックだったとしても、殺すのはやり過ぎだろう」
真っ当すぎる考えに苦笑すると、北斗くんはずいと身を乗り出し私の顔を覗き込んだ。綺麗な顔がすぐ近くで真剣な表情を保っている。
「俺は何か間違っているのか? もしわかるなら教えてくれ」
そのきめ細かな肌をじいっと見ると、こんなに綺麗なのにちゃんと生きているのだなあと何となく不思議な気持ちになった。彼は確かに生きているけれど、でも、そうとは思えないほど薄汚い感情に無頓着だ。
柔らかな頬に手を当て、すぐそばにあった薄いくちびるにキスをする。彼は驚くことすら忘れて、ただきょとんとしていた。
「……殺しちゃいたいくらい好き、だったのかもね。首を切り落としてでも、そのくちびるに触れたかったのかも」
私がそう言って笑ってみせると、彼は暫くパソコンがフリーズしたみたいに固まった。そして漸く、無表情なままの顔が赤くなってくる。
「今のは、俺のことを殺したいということか」
「う〜ん! そっちじゃないかな」
「どっちなんだ。言ってくれないとわからない」
赤い顔のまま、北斗くんは少し不満げな表情をする。子どもみたいで可愛いとは思いつつ、どうにも鈍い子だなあと思っていると、彼の方からまた口を開いた。
「…………もしかしてお前は俺が好きなのか、と聞いて否定されたら、流石に立ち直れない」
「うん、うん。じゃあ、そんな心配はしなくていいよ、が私の返事かな」
「……お前は一々婉曲表現が過ぎるんじゃないのか。……部長に似ている。直した方がいい」
「北斗くんは王子様でしょ? 継母みたいにお小言言わないで」
もう、と私が少し拗ねてみせると、北斗くんは少し悔しそうな顔をする。そして私が何か言う前に、今度は彼の方から私にキスをしてくれた。何となくむず痒いような表情で、彼はじっと私の瞳を見つめる。
「俺ははっきり言うぞ、なまえ。好きだ。殺したいなどとは微塵も思えないが、それでも自分が死んでしまうかもしれないと思うくらいには、なまえが好きだ」
「……はい。うん。……うん、私も」
顔が熱くなるのを感じる。覚られたくなくて顔を逸らそうとするけれど、彼はそれに気付いたのかすかさず私の頬に手を当てた。
「照れてるんだな。俺にでもわかる」
「わざわざ言わないで……」
私が小さくそう呟けば、北斗くんは幸せそうに微笑んだ。何だか負けてしまったような気がして、私も溜め息交じりに笑う。
とはいえ、今は殺したてしまいたいなんてこれっぽっちも思えなかった。詩的でなくとも、劇的でなくとも、私は相手が北斗くんでさえあれば何だっていいのだろう。きっと。