カチャカチャ、軽い陶器の音がした。
 まだ眠い目を擦って、もそもそと寝返りをうつ。シーツに身体をうずめたまま、じい、と目をこらせば、キッチンに立つ恋人の姿がぼんやりとぼやけて見えた。

(あれ? 今日……)

確か今日は休みだと言っていたはずだ。普段休日は俺に合わせて昼過ぎまで寝ているのに、今日はまだ朝の八時。この間のバレンタインに贈ったエプロンを着て、鼻歌交じりに料理をしている。

 トースターから香るやさしいパンの焦げた匂いに、じゅわじゅわと音を立てながらフライパンのうえで火を通される目玉焼きとベーコンの匂い。枕を抱きしめ、キッチンの彼女をずっと、目に焼きつけるように見つめていた。

 声をかけたら、この甘い鼻歌も途切れてしまうのかな。そう思うと、何となく「おはよう」を言い出せなかった。

「……可愛い」

小さく、小さく、聞こえないように呟く。すると不意に彼女がこちらを向いた。驚いて咄嗟に目を閉じる。軽い足音はぱたぱたとこちらに近づいて、ベッドのすぐそばで衣擦れの音がした。

 起きてるのバレたのかな、と思いながらも目を閉じたままでいると、一瞬頬に柔らかい感触がした。

「……ふふ、しあわせ」

甘くやさしい声が、すぐ耳もとで聞こえる。ぱちりと目を開けると、微笑む彼女と目が合った。

「わっ……、お……おはよう、凛月」
「……ううん。ちゃんとキスしてくれないと起きない」

俺がそう言ってもう一度瞼を閉じると、彼女は少しだけ戸惑ってから、恐る恐るくちびるにキスをした。目を開ければ、ほんのり頬を染めた彼女が恥ずかしそうに笑っている。

「うん、俺も幸せ……♪」

彼女の細い指に自分の指を絡め取り、その手の甲にキスをする。

「パン、焼いてるけど食べれる?」
「うん。一枚でいいや」
「ホットミルクでいい?」
「うん、ありがと」

彼女はまるで母親が子供にするように、俺の額を撫でた。そうしてするりと俺の手をほどいて、キッチンへ戻る。

コンロの火を消して、お皿に目玉焼きを並べる。トースターからトーストを取り出し、バターを上に塗る。カチャカチャ、陶器の音。ザリザリ、バターナイフの動く音。

 微睡みのなかで、やさしい幸福の音がする。