「……そろそろ観念したほうが良さげかなあ?」

家具の少ない小さな部屋に閉じ込められて、もう三時間はゆうに経った。ドアは固く閉じられて開かないうえに、窓はもちろん排気口なんかもない。完全に密室だ。そしてドアには一枚の悪趣味な張り紙。

『相手を殺さないと出られない部屋です。部屋を出ると、中でのことはなかったことになります。』なんて、本当に悪趣味以外の何物でもない。

「観念……って……そんなの、」
「顔が真っ青だぞお。心配しなくても、きみが俺を殺してくれたらいい。殺されるのは嫌だろう?」

部屋の中にあったナイフを手に取り、そっと彼女の震える手に握らせた。彼女は瞳にいっぱい涙をためて、真っ青な顔で俺を見、首を横に振る。

「嫌、無理です、そんな……斑さんをこ、殺すなんて」
「とは言ってもなあ……俺がこれだけ手を打っても出口が見つからないってことは、恐らく指示通りにするしかない」
「なら貴方が殺してください、」

彼女はがたがたと震えながら、ナイフを俺に突き返した。受け取らないまま、じっと彼女の瞳を見据える。錯乱して口走ってしまった、というふうではなかった。

「……こんななまくらじゃあ、どれだけ配慮しても痛いぞお?」
「それでも、貴方を殺すよりはずっとマシです。それに……私、斑さんに死なせてもらえるなら、きっと幸せだから」

どこか決心したような瞳に、思わず華奢な肩を押して床に抑えつける。他人を害するなんて慣れたものなのに、何故かいやに心臓が走っていた。

「本当にこのまま殺してもかまわないのかあ?」
「…………はい、でも、ひとつだけわがまま言っても良いですか……?」
「うん、何個でも言うといいぞお」
「じゃあ、キスしてください。私が怖くないように」

震える手が俺の手を強く握りしめる。こんなに怯えているくせに、やっぱりとは言わなかった。言われたとおりにそっと唇を重ねると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。

 その瞬間、頸動脈を狙って、ナイフを一気に首に突き立てた。

「あ、」

ぎり、と強く強く手を握られる。真っ赤な血が白い肌にこびりついて、床に広がっていく。ああ、こんなふうに汚くせずに、首を絞めてやったほうが良かったのかもしれない。彼女の体は数回痙攣したきり、動かなくなった。脱力した彼女を見下ろし、冷たくなっていく唇にもう一度キスをする。

 カチャリと鍵の開く音がして、身体を起こした。






「……斑さん、斑さん〜」

肩を揺さぶられ、ハッと目を覚ます。目の前にいる彼女を見た途端、その肩に掴みかかってしまった。

「わっ!? ご、ごめんなさい、起こしちゃまずかったですか……?」

どくんどくんと、逸る鼓動のまま彼女をじっと見て、やっとさっきまでのことがただの悪夢だったのだと悟った。パッと手を離して、彼女から咄嗟に距離をとる。

「いやあ、すまない。寝惚けてしまっていたみたいだなあ」
「いえ……すごく魘されてたから、心配になって……お水でも飲みます?」
「そうだな、もらおうかなあ……」

ちら、と彼女の白い首すじを見る。傷一つない綺麗な肌だ。ぱたぱた水を取りに行く彼女の背中を見守りながら、長い溜め息を吐き出す。

 ただの悪い夢だ。そうわかっているのに、心臓は中々落ち着きを取り戻そうとしない。この胸の鼓動がどこか高揚感にも似ているのも、きっと単なる気のせいだ。あんなもの、ただの悪夢に過ぎないのだから。